1000文字掌編「誕生日の電話」
あなたは四十二歳になった。休日と誕生日が重なるのは十年ぶりである。運がいいとは、あなたは思わない。
カーテンの隙間から細い光が一本、床に伸びている。あなたはその線が部屋を横切っていくのを、一日かけて見ることになる。
ピロン。LINE、大学時代の友人。スタンプがひとつ。ピロン、ピロン。Facebook、Instagram。八年会っていない人間の名前が並ぶ。Gmailには企業からの祝いが六通。誕生月限定の特典。あなたは全部を選択してゴミ箱に落とす。その指は迷わず、滑らかに動く。
妻から連絡は来ない、とあなたは考える。来るかもしれない、とも考える。
来ても嬉しくない、と考える。
それは嘘である。
今さら何なんだ、と思う。今さらでいい、とも思う。あなたは自分の思考を最後まで追わない。追えば結論はひとつしかない。
光の線は壁をのぼり、細くなって消えた。
六時、電話が鳴った。母である。
「ああ、おったおった。よかった。あんた誕生日やろ、おめでとう。何歳になったん」
「四十二」
「もうそんなになるんか」
「自分の子の年も忘れたのかよ」
「そんなんいちいち覚えてられんわ。今日何しとったん」
「一日寝てた」
「なんや、誕生日やのに……あんた、景子さんとどうなっとん」
「なんだよ、急に」
「急にじゃないわ。お父さんも心配しとるんよ。そや、いっぺん帰ってき。どうせいろいろ困っとるんやろ」
「うるさいわ、もう切るで」
「あっ、ちょ」
母は知っている。
八時、また鳴った。画面に「斉藤次郎」と出る。先月のプロジェクトで一緒だった別部署の男である。
「あー、どうもぉ。先日はお世話になりましたぁ。今日、お誕生日だったと思いまして。おめでとうございます」
斉藤次郎は誰の誕生日にも電話をかける男である。
「ありがとうございます。わざわざすみません」
「いえいえ。また今度、飲みにでも」
切ると画面が暗くなり、そこにあなたの顔が映る。あなたは目を逸らす。
キャビネットの奥から趣味の銀塩カメラを取る。空シャッターを切る音が、今日この部屋で鳴った最も大きな音である。
十時、ピロン。
後輩のエミリからだった。キラキラした小さいクマが跳ねている。頭の上で「HAPPY BIRTHDAY!!」の金文字が回っている。
やがてクマは止まった。
あなたが画面に触れると、また跳ね始めた。
部屋で動いているのはそれだけである。
エミリはこれを職場の全員に送っている。
「ありがとう」と打つ。消す。文字では足りない、とあなたは考える。
斉藤次郎の電話は形式だった。エミリのクマは違う、とあなたは考える。数あるスタンプから、わざわざこれを選んだのだ、と考える。
それも嘘である。
一度だけ、エミリから電話がかかってきたことがある。仕事と親と人生について、順序のない話を四時間聞いた。
それは事実である。
クマは止まっている。
あなたは画面に触れる。
画面の上に通話のマークがある。押せばつながる。
「わざわざありがとう」
声に出してみる。その声は、斉藤次郎の声によく似ている。
あなたは指を止める。もう少しで斉藤次郎になるところだった。
クマの動きも止まっている。
今度は画面に触れず、伏せて置く。
磨かれたカメラを見る。
「クソ」
何がクソなのかは、あなたにもわからない。妻か、母か、跳ねるクマか、自分か。あなたは特定しない。いっそクソになってしまえばいい。衝動だけが十一か月分たまっている。
あなたは電話帳を開く。
は行までスクロールする。同じ苗字が縦に並ぶ。
消せる。消していない。
あなたは妻の名前をじっと見る。
あなた、ご飯よ。
あなた、これ、どう思う?
あなた、あなた、
伏せた画面を起こした光が、顔に下から当たっている。
「苗字、返せよ」
あなたは同じことを十一か月前にも言った。妻が別居を切り出した夜である。
それが、あなたの返事だった。
1000字掌編30日チャレンジ、25日目。
AIに、30日分のタイトルを作ってもらいました。一時間以内に制作という自主条件で、挑戦中です。
今回は「誕生日の電話」というお題でした。どの日よりも他者を意識する日だと思いましたので、二人称で書きました。
1日目「鍵の行方」
2日目「氷の入ったコップ」
3日目「母の字」
4日目「朝の電車」
5日目「塩の量」
6日目「隣の声」
7日目「写真の整理」
8日目「友人の幸福」
9日目「傘の骨」
10日目「時間の貸し借り」
11日目「声の高さ」
12日目「週末の約束」
13日目「名前を呼ぶ練習」
14日目「コーヒーカップの欠け」
15日目「雨の夜の帰宅」
16日目「窓の外の木」
17日目「忘れた約束」
18日目「口紅の蓋」
19日目「二つの傘立て」
20日目「返事の遅さ」
21日目「砂糖の位置」
22日目「走る練習」
23日目「先に寝る」
24日目「知らない町の地図」
🎂25日目「誕生日の電話」
26日目「夏と嘘」
27日目「図書館の予約」
28日目「夕方と影」
29日目「手紙の封」
30日目「ぬるいお茶」
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