見出し画像

『不機嫌猫と聖母の涙』:①

「これから授業を始める。
今日は君たちに、とある惑星の物語を聞かせてあげよう」

化学教師の岩見光樹は、誰も居ない教室の教壇に立ち、静かに語り出した。

ガラスの無い窓の向こうから、ベートーヴェンの月光のソナタを奏でるピアノの音が聞こえていた。

『遠く遙かな宇宙の片隅に、小さく名もなき惑星があった。
そこは青みがかった空と、連なる山々が特徴的な世界。

山々からは地球のダイヤモンドに似た輝く石が採れ、無数の異星人たちがその資源を狙って侵略を繰り返していた。
惑星の住人は、名前を持たない生命体たち。

雌雄同体の彼らは、背丈は30センチほどで、下等生物と植物が融合したような姿をしていた。

普段は大地に根を下ろし、栄養を吸収しながら風にゆらゆらと揺れているだけ。
ただゆらゆらと。

口はあるが言語はなく、胞子を飛ばして静かに繁殖する。
愛という概念すら知らない、至って平和な存在だ。

しかし、彼らには隠された力があった。
ヒーリング、透視、テレポーテーション、サイコキネシスなどなど──これらの超自然的能力は、侵略者から身を守るためのもの。普段は使われず、ただ眠っている。

ある日、透視の力で彼らは知った。
彗星が近づいてくる。

それは、異星の侵略者が仕組んだもの。
彗星には、彼らを根絶やしにするウイルスが搭載されていた。

生命体たちは集まり、力を合わせた。
サイコキネシスの念波を集中させ、彗星を太陽の方向へ押し返す。
膨大なエネルギーが宇宙を震わせ、彗星は軌道を変えた。

その衝撃で、二体の生命体が惑星から弾き飛ばされた。
虚空を漂い、青い星へと落ちていく。
青い星の表面に到達した時、一体の生命体は偶然、事故で頭に大怪我を負った女性の体に潜り込んだ。

その女性は瀕死の状態だったが、生命体のヒーリング能力が彼女の命を繋いだ。

生命体は彼女の体を借り、仲間が呼び戻してくれるまで、青い星で暮らそうと思った。
超自然的な力を用い、自力で故郷の惑星に戻るには、その青い星は遠すぎたのだ。

もう一体の生命体は、その事故現場近くで開催されていた、骨董市で売られていた聖母マリア像の置物の胎内に身を潜めて震えていた。
離れ離れになった仲間が迎えに来てくれるのを、ただ震えながら待っていた。

ここは見たことのない知らない世界。
やがて夜になり、警戒しながら像の中から顔だけ出して空を見上げれば、遥かな宇宙が広がっていた。

テレパシーで仲間に自分の居場所を示してみたものの、応答はなかった。
体の大きな異星人の足音を聞いた気がして、その小さな生命体は再び像の中に首を引っ込めた。』

化学教師はそこで話を止め、教室内を見回した。
彼の網膜に映るのは、潰れて壊れた紙製の空箱のような歪な空間だった。


青い星に落ちたのは、二体の生命体だけではなかった。
そのおよそ7年後、彗星に搭載されていたウイルスが青い星に降り注いだ。
その青い星の名は、地球──

ウイルスは地球ではステラウイルスと名付けられ、
およそ150万人の女性が感染し、うち6万人の命を奪ったが、一週間程度で感染の拡大は終息した。

後は彗星をミサイルで粉砕すれば、脅威は何も無くなると誰もが信じて疑わなかった。
ごくごく少数の物理学者とその周囲の人間以外は。

だが彗星の不安定な回転のせいで、ミサイルでの粉砕は失敗に終わった。
それだけではない。
ミサイルが掠めたことで彗星の軌道が変わり、地球へと一直線に急速で向かったのだ。

衝突まではわずか72時間──
それは日本時間にすると、森下アオイの祖父が地下室に遺していたメモに書かれていた日にちと一致していた。

半信半疑ながらも備えのあったシェアハウス・ジュエルの住人たちは、地下シェルターに身を隠し、難を逃れる事ができた。


衝突の瞬間は、地球の叫び声のように轟いた。彗星は大気圏で爆発的に蒸発し、破片が太平洋中央に墜落。

エネルギーはチクシュルーブ隕石の10倍を超え、海底に直径800kmのクレーターを抉り出した。

海水が一瞬で蒸発し、数兆トンの水蒸気と塵が成層圏へ噴き上がった。
これが「永遠の冬」の幕開けだった。
太陽光の70%が遮断され、地表温度は急降下。北半球では雪が降り積もり、南半球でも異常気象が荒れ狂った。

「津波が来る! 高さ500mだ!」
環太平洋諸国は一夜にして消滅。
東京、ロサンゼルス、サンフランシスコ、数億の命が波に飲み込まれた。

インフラの崩壊は、まるでドミノ倒しのように連鎖した。
衝突の衝撃波が全球を駆け巡り、地震がM9級で連発。

電力グリッドは瞬時にダウンし、変電所が爆発炎上。
送電線が切断され、都市の灯りが永遠に消えた。

衛星は電離層の乱れで機能停止、GPSと通信網が途絶。
インターネットは崩壊し、人々は孤立した闇の中で叫んだ。
「神はいないのか!!」

原子力発電所では冷却ポンプの故障で炉心が溶融寸前──チェルノブイリの悪夢が再現され、数基が放射能を撒き散らした。

石油パイプラインは破裂し、燃料が海に流出。交通網は麻痺し、航空機は塵でエンジンが詰まり、墜落事故が続発。

橋梁と鉄道は崩落し、物流は停止。
世界の心臓部が止まった瞬間、人類の文明は原始時代へ逆戻りしたかのようだった。


化学教師は、静かに物語の続きを話し始めた。
教師の目には見えない、亡霊となった教え子の前で。

『事故で瀕死の重症を負っていた女性の名は西田日向(ヒナ)。
ヒナの身体に潜んだ生命体は、ヒナの傷をヒーリングの力で少しずつ癒しながら、彼女に寄生して暮らしていた。

それまではただゆらゆらと揺れ、胞子を撒き散らすだけの生活を送っていた生命体には、地球の日本の国での暮らしは、刺激的で楽しいものだった。

今まで言語など持っていなかったので、ヒナの眠っている脳から学ばなければならず、それが一番苦労した。
ヒナの口を使い音を出すのだが、これがなかなか上手くいかない。
また、今まで口から栄養を取ることも無かったので、物を食べるという行為も難しかった。

ヒナの両親は娘の呂律の回らなさや、口から食べ物をボロボロ零してしまうのは、脳に受けた傷のせいだと思ってくれたので、それは助かった。

時々記憶に障害が起きることがあったが、それもまたニンゲンの脳を使い慣れていないせいなので、致し方なかった。
またヒナの脳の損傷が大きかったのも、その理由だった。

ヒナの身体の使い方にすっかり慣れた頃、両親から見合いというものを勧められたが、ヒナの脳を透視しても何だかよく分からないので断った。

その代わり、就職というものを経験してみたいと思い、両親のツテというものを使って就職した。

職場で森下葵(アオイ)という同年代の女性と出会った。
アオイは明るく優しい人で、働く部署は違っていたが、カフェで語らったり、公園を散歩して夜空を見上げたり。
地球の空気、食べ物、人々の笑顔に触れ、初めて「喜び」を感じた。

愛という物は全く理解不可能だったが、アオイと語らう日々は心地よく、徐々に自分が異星から来たことを忘れていった。
ただの人間、ヒナとして生きることに没頭した。

まさか自分の惑星から、自分によく懐いていた小指ほどの大きさの動物が、一緒に地球に落ちていたとは、知る由もなかった。
その小動物は運良く地球の老人に助けられ、後に偶然、再会を果たした。

一方、故郷の惑星では、仲間たちが失われた同類を探していた。
透視し念波を地球へ送り、呼びかける。
しかし、その波動は地球に異常を引き起こした。
突然の地震、異常気象、不可解な磁気嵐。

研究者の一人は、これを「外宇宙にある異星からの攻撃」と誤解した。

ヒナに寄生していた生命体が、自身が異星から来ていたことを思い出したのは、大災害に見舞われた直後のことだった。』

気づけばピアノの音はいつしか止んでいた。

「今日はここまでにしよう。
続きはまた明日」


教室を出ると、廊下でアオイが待っていた。
「授業終わった?じゃあ帰りましょ」

言葉もなく、肩を並べて帰る暗く荒れた道。
空は塵に覆われ月も星も見えない。
災害前は温暖化の影響で夏日や真夏日だった気温が、今は零度を下回る事もあり、家の中でも外でも、セーターやダウンのコートが手放せなかった。

アオイはチラリと後ろを振り返り、歩を早める。
「体育館に居た人たちがついて来てる」
アオイには亡霊が見えるので怯えている。
でも命を失った彼らを気の毒に思う気持ちの方が強く、また自分が生き残った事への後ろめたさのような気持ちもあり、遺体安置所となった高校の体育館に連日、追悼のピアノを弾きに通っていたのだった。

「走って帰りましょう」
岩見光樹はそう言い、彼女の手を引いて走り出した。


𝙉𝙚𝙭𝙩 ︎ ↓