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『不機嫌猫と聖母の涙』:②

光樹とアオイがシェアハウスに戻ると、カシミヤのコート姿のヒナが暗い玄関でブーツを履き、これから外に出て行こうとしているところだった。

「帰ってきちゃったか...。アオイと光樹君が留守の間に行こうと思ったのに」
残念そうにヒナが声を落とした。
「もう行っちゃうの?」
アオイの眼には、みるみる涙が溜まり零れ落ちそうになる。
「停電してて助かるよ。アオイの泣き顔を見ないで済むからさ」
「止めても無駄なのはわかってる。でもせめてお見送りさせて。どこから発つの?」
涙を堪えてアオイは言った。

おそらく永遠の別れになるだろう。
ヒナと、いや、ヒナという人の中にいる異星の友人とはーー

「神社跡の広場から発とうと思う。みんなで皆既月食を見た場所。美希ちゃんとは、さっき、お別れ済ませた」
「そう…」
「美希ちゃんの病気をヒーリングで治してあげたかったけど、ヒナって人の脳の損傷を少しずつ治すのが手一杯でさ、少ししかやってあげられなかった。それだけが心残り」
「仕方がないよ。美希ちゃんの病気は、病院が再開したら、私が責任を持って連れていく」

と、その時、大地がグラっと揺れた。

「あ、もう行かなきゃ。仲間が呼んでる」
ヒナはそう言って小走りに玄関を出た。
「光樹君、美希ちゃんについててあげて。私、ヒナを送ってくる」
アオイは早口に光樹にそう言い残し、友人を追った。

「地球をこんなに荒らしちゃった後で言うのも何なんだけどさ、あたしは地球に来れて、アオイに出会えて、シェアハウスで暮らせて、本当に良かった。すごく楽しかった。

異世界との衝突や皆既月食も見れたし、幽霊という不思議な存在にも会えて、色んな貴重な体験をした。

全部、故郷の星でゆらゆら揺れてるだけじゃ、体験出来ない事だった。だから一生忘れない」
早口にまくし立てながら、異星の友人はアオイに優しく微笑んだ。

「私もよ。私もあなたのことは一生忘れない」
「ごめん。アオイの記憶は消してく」
「そんな...イヤだよ」
「私に関わった人の記憶は全部消して行く。それが私の星の決まりなんだ」

「ヒナいま『わたし』って言った...?」

「ああ......やっぱり気になってた?
口を使い慣れてないからさ、『わたし』より『あたし』の方が発音が楽なんだ。
白猫探偵ジュリーって漫画の喋る猫も、自分のことを『あたし』って言ってたし。
言葉使いはほとんど漫画で覚えた」
「そうだったの?」
アオイは少し笑った。

「アオイはそうやって笑ってた方がいいよ。特に光樹君の前ではさ。アイツ、教え子をいっぺんに大勢失って、心が壊れかかってる。ご両親の安否確認もまだ取れていないし」
「うん、そうだよね...」

「それと、ジュエルの中にいる子のこと、よろしく頼むね。アオイや光樹君や美希ちゃんの傍を離れたくない、って。
ジュエルは大迷惑だって言ってたけど」

「ジュエルと話せるの?」
「テレパシーで話せるよ」
「そうなんだ」

「ジュエルの中にいる子は『ぴちゅぴちゅルルル』って言ってあげると喜ぶ」
「ぴちゅぴちゅルルル?」
「そう。あの動物の言語はそれが全て。
私の種族は言葉は喋れないけど、テレパシーでそう言う音の信号を送ってあげると、勝手に良いように解釈して喜ぶんだ。
人間の言葉で言うところのポジティブ思考ってヤツ?
オモチャみたいな指輪も、光る山の地下の穴ぐらで、あの子たちが作ってる」

「えっ、そうなの?で、結局あれは何に使う物?」
「旅人へのお土産にあげてるみたいよ。友好の証的な。だからアオイのおじいちゃんも私の星に一度は来てるのかも知れないね」
「へえ...」

2人は神社跡の広場についた。
その場所もかなり崩れてしまっていて、高所からの落下を防ぐための柵が無くなり、危険な姿になっていた。

「今まで本当にありがとう」
異星の友人が改めてアオイに言った。
「こちらこそ。元気でね」
アオイは涙を堪えて、声を絞り出した。

「この人の身体は、私の仲間に、こういう姿の青い星の種族にお世話になったって、見せて伝えたいから借りて行くね。
明日の朝までに仲間と力を合わせて、体育館のご遺体と並べて置くようにする。
私が離れると、この人の命はもう繋げられないから」
「...うん、わかった」

「それと、復興が早く進むように、これから毎日、仲間と協力してパワーを送るね。せめてもの罪滅ぼしに。...じゃ」
異星の友はそう言うと、アオイから2、3歩離れて空を見上げた。

アオイの視界は涙に滲んで、もう、何も見えない。

塵に覆われた空から、どこからともなく舞い降りた光の粒子たちが異星の友を覆い隠し、彼女に関する記憶もろとも一瞬で消えたーー


異星の友の記憶が消えたアオイは、空を見上げながらじっと佇んでいた。

どうしてだか分からないが、心にぽっかりと穴が空いたような気がしていた。
元々この里山に移り住んだ時には、天涯孤独の身だったけれども、その時より更に孤独になった気がした。

光樹はいつの間にかシェアハウスから姿が見えなくなったアオイを探していた。
彼もまた、ヒナという女性とシェアハウスで共同生活を送った記憶は失っていた。

いつ明けるやも知れない夜の闇は、孤独感が増すばかりだ。
潰れた実家に両親の遺体はなかったから、どこかで生きていてくれるといいが。
大勢の教え子を失い、友人のワタナベの安否確認もできていない今、もう誰一人として失いたくなかった。

視線を上方に向け、柵の壊れた広場に立つアオイらしき人影に気づいた彼は、石段を駆け上がって行った。
「アオイさん!」

名前を呼ばれて我に返ったアオイは、息を切らして立っている彼を不思議そうに見た。
「光樹君、どうしてここに?」
「アオイさんこそ。探したんですよ」
「ごめん、ごめん」
「ここで何を?」
「星を見てた」
彼女の言葉に光樹は上を見上げた。

「星なんて見えないけど...?」

「でも、あの塵の向こうにあるはずでしょ?星も月も太陽も...その向こうの宇宙だって。見えないからと言って、無くなってしまったわけではないわよね?」

「そうですね。きっとまたいつか見えるようになりますね。......あ、そこ、石段が崩れそうになっているから気をつけて」
そう言って、光樹は彼女に手を差し伸べた。

自分の手に掴まってきた柔らかくて小さな手を、男の僕が守ってやらなければと、思う。
落ち込んでいる場合じゃない。
陸の孤島と化してしまったこの里山が、多方面地区との繋がりを回復し、普通の暮らしが出来るようになるまでは、何としてでも頑張らないとーー

「美希ちゃんは、当分あのままなのかな...」
アオイは光樹と手を繋いで歩きながら、呟くように言った。
「どうなんでしょうね。僕がアオイさんを探しに家を出る時も、スマホを握りしめて地下室の隅で膝を抱えて...。話しかけても反応無しでした」
「困ったわね...。仲良くしてたマイって子が亡くなった事は、まだ当分伝えられないわね」
「はい...。柊麻衣の遺体は明日荼毘に付される予定なんですけど、最後のお別れもさせてあげられそうにありません」


「しかし、この家はよくここまで無事に残りましたね」
光樹は、シェアハウスの敷地に立ち、煉瓦造りその建物を見ながら、しみじみとした口調で言った。

「ほんとよね。お陰で命拾いしたわ」
アオイが、今は亡き祖父から受け継いだその家は、煉瓦の外壁がボロボロと剥がれている部分もあったが、屋内はほぼ無傷だった。
食器棚から飛び出して割れた食器は相当数あったが、他の被災者が住んでいた住宅と比べたらそんなことは大した問題ではない。

「家はこまめに手入れしてあったようだし、シェルタールームまで。アオイさんのお爺さんに感謝しなきゃですね」
光樹はそう言い、
「あ、そうだ。明日の授業はアオイさんのお爺さんから聞いた、面白い話をしようと思っています。良かったら聞きに来ませんか?」
「ぜひ聞きたいわ」
と、アオイは微笑んで答えた。

𝙉𝙚𝙭𝙩 ︎ ↓