『不機嫌猫と聖母の涙』:③
綿貫美希はシェアハウスの地下にあるシェルタールームの隅で、毛布に包まって膝を抱えていた。
沈黙を続けるスマホを握りしめながら。
もう何時間そうしているのか、時間という概念さえ頭にはなかった。
心は虚ろだ。
女の人に「サヨナラ」と言われたような気もするが、現実だったのか夢だったのか...。
体が重くてダルい。口を開くのも億劫だ。
私の身体の横にいる、ふわふわした白い生き物はなんて名前だっけ...。
そこに居るのは誰?
どうして私を見ているの?
私をイジメに来たの?
勝手にすればいい。
(プリちゃん。マイね、明日遠くに行く事になった。またいつか会おうね。プリちゃんは私の分まで幸せになってね。バイバイ)
アオイは困り果てていた。
美希が何も口にしようとしないからだ。
備蓄のレトルトはメニューの種類に限りがあるし、油分の多いものは今の彼女の胃に負担になるだろう。
せめてお粥ぐらいは食べて欲しいのだが、スプーンで掬って口に運んでも、口を固く閉ざしたまま横を向いてしまう。
せっかく生き残れたのに、生を拒むというのか……。
「やっぱり食べませんか...」
光樹がキッチンに来て、レトルトパウチにまるまる残っている白粥を覗き込んで言った。
カセットコンロで沸かした少量のお湯で温めたものだ。
「残しても勿体ないから光樹君、食べちゃって」
「アオイさんが食べてください」
「光樹君が食べて」
「アオイさん、あんまり食べてませんよね?倒れられたら困ります」
「私は大丈夫よ」
「強情な人だなぁ」
光樹は怒ったように言って「じゃあ半分こしましょう」
レトルトパウチの中身を半分、紙コップに流し入れた。
それにプラスチックのスプーンを放り込んで、突き出すように「どうぞ。あなたの分です」と言ってアオイに渡す。
「明日の授業のあと、オヤジとお袋を見た人がいないか聞いて回りがてら、野菜農家や養鶏場に寄って物々交換出来ないか聞いてきます」
「無理にでも、うちのシェルターに居て貰えば良かったわね」
アオイは後悔を口にした。
「でも、断ったのは向こうですから。多分、どこかの避難所にいると思いますよ」
光樹自身、軽く考えていたわけではない。
しかし、そう思っていなければ募る不安で心が押し潰されそうだった。
東京にいる友人のワタナベとも連絡を取る手段がない。
無事でいてくれたらいいが…。
次に会えた時、「ほら見ろ。だから言っただろう?」と、勝ち誇ったような笑みを浮かべるだろう。
そうしたら「流石だな」と肩を叩いて彼を賞賛し、彼の馴染みの小さな酒場で祝杯をあげればいい。
東京の街はどうなっているだろう。
世界は...?
電話もネットも使えない今、陸の孤島となってしまった里山では、何一つ情報を得る事が出来ないのだった。
名もなき小さな惑星に戻った生命体は、宿主のヒナという女性の体から出て、興味津々そうに根っこを伸ばして集まって来た仲間たちにニンゲンを透視の力で調査させた。
その星に住む種族は、元々の下等動物から進化する過程で驚異的な速さで超自然的な力を開花させ、今の知能はニンゲンを遥かに超えていた。
使う必要が無くなった目や口や鼻や手足は退化しつつある。
他の惑星の生命体に寄生すれば、その生命体を操れるという特性は何世代前かに持つ事が出来たが、使ってみた生命体はそれまで僅かだった。
他者から攻撃されなければ性格は穏やかで、異星を侵略しようという野心の持ち合わせはない。
年に数回、身体を光らせて胞子を飛ばし、寿命を迎えて消えた仲間の頭数の分だけ穴埋めをしている。
好奇心は旺盛だが、対象物が側に無ければ、風の吹くまま気の向くまま、大地から栄養を取りながらゆらゆら揺れて、何年でもそうして過ごしている。
調査を終えると、それぞれが得た情報をテレパシーを使い共有する。
それから皆で力を合わせて、既に事切れてしまっているニンゲンを、青い星の里山にある高校の体育館にサイコキネシスの力で移動させた。
透視の力で正確な場所を見極めて指示をする生命体と、移動させる生命体とに分かれて、遺体の損傷が無いように力を加減しながら行なうのは、彼らの団結力をもってすれば、至極簡単な事だった。
用事が済むと、好きな場所に散らばって、いつものように根から栄養を取りながらゆらゆら。
惑星に戻った生命体が青い星を透視してみると、その星は塵に覆われて青さを失い薄汚れて見えた。
あの塵を取り払いたいが、青い星に居る間に、エネルギーをほぼ使い果たしてしまっていたため、仲間より時間をかけて栄養を取る必要があった。
生命体はゆらゆら揺れながら、青い星での楽しかった日々や、そこで出会ったニンゲン達のことを想った。
その間に、侵略しに来た他の惑星の宇宙船から攻撃を受けそうになったが、仲間たちが力を合わせて対処していた。
数匹の小動物がぴちゅぴちゅルルルと鳴いて、青い星に残っている仲間のことを聞きに来た。
安全な場所で元気にしているとテレパシーで伝えると、安心した様子で彼らの棲む光る山の地下へと戻って行った。
彼らは普段は群れで暮らしているので、群れからはぐれてしまった仲間が心配だったのだろう。
光樹は庭に出て、アオイが支度を終えて玄関から出て来るのを待っていた。
朝の空は夜とは違い灰色で、空を覆う塵の向こうにある光源ーー太陽の在り処がぼんやりと分かる。
その太陽に向かって大きく伸びをしていると
「お待たせー」
と言いながら、アオイが駆け寄って来て、夜道ではそうしていたように、光樹と手を繋いだ。
が、すぐに
「あ、そっか」
と、聞こえ無しかの小さな声で呟き、繋いだばかりの手をバツが悪そうに離した。
アオイは、足元が見えるこの時間帯は、手を繋いでもらわなくても安全に歩ける事に気づいたのだった。
光樹は彼女の手が離れた瞬間、この人まで消息を絶ってしまうのではないか、という恐ろしい不安に駆られた。
だから今度は光樹の方からアオイの手を掴んだ。
アオイは一瞬、驚いたような顔で光樹を見上げたが
「光樹君と手を繋いでいると安心する」
と言って、照れたような笑みを浮かべた。
その笑みに心がときめくものを感じた光樹は、少年少女じゃあるまいし、と何だか思春期の頃の奥手な自分に戻ったみたいで自分で自分が可笑しくなった。
と、同時に、この人の心も不安でいっぱいなのだと悟った。
どうせ天涯孤独の身だから、と言っていたけれど、だからこそ里山に移り住んでからの人との繋がりを大切にして過ごしていた彼女なのだから。
繋いだ手を自分のコートのポケットに入れて歩いていると、
「美希ちゃんがね、今朝やっと少し口をきいてくれたんだけど………」
呟くようにアオイが言った。
「昨日マイちゃんが来た、って。
だから、その子が亡くなっている事を知ったみたい」
「そうか……」
どういう理由なのかは分からないが、
四日前の大災害以降、第六感を開花させた人が多くいるようだった。男女に拘わらず。
アオイも美希も、元々霊の視えるシックスセンス保有者だったが、その力が一層強くなったように見受けられるのだった。
その点についてもワタナベの見解を聞いてみたいところだ。
光樹は全く視えない側の人間だった。
「実は...アオイさんにお願いがあります」
「え?どんな?」
「教室に来ている生徒がいるか視ていただきたいんです」
つまり、亡霊となっても尚、授業に出て来ている生徒がいるか、彼は知りたいのだとアオイは理解した。
授業を聞きに来ないかと誘った理由はそれだったのか……。
それならそうと、最初から言ってくれたら、と思わないでもなかったが、彼の気持ちもわかるので、
「分かったわ」
と、アオイは頷いて承諾した。
教室に入る前に、入口ドアのガラスが嵌った部分からアオイが中の様子を窺うと、五人の生徒の亡霊が席に着いているのが見えた。
「窓側の列の前から二番目の席と...その隣の列の一番後ろと...」
アオイが光樹に教えると、彼は手にしていた出席簿の該当生徒の名前の欄に、ペンで印をつけた。
「彼らはどんな様子で?」
光樹のその質問には
「普通よ。先生が来るのを待っている授業前の感じ。多分、亡くなっていることに気づいて無いんだと思う」
アオイは見たままを伝えた。
「町で見かける人たちの中にも、自分の死に気づいて無さそうな人がいる。体育館にいる人たちは、自分の遺体を見て呆然としているわ」
里山では3分の1近くの町民が犠牲になった。
政府は彗星衝突がおよそ72時間後という段になった2時間後に、全国民に緊急避難を勧告したが、これほどの大災害が起こるとは思っていない人も多くいて、また逆に生き延びる事を諦めた人もいた。
光輝の両親は後者の方で、どうせ助からないのなら、夫婦の思い出の地で終焉を迎えたいと、シェアハウスのシェルターに私たちと一緒に隠れましょう、と言うアオイの申し出を頑として聞き入れなかったのだった。
また、生き残りを願って避難所で難を逃れようとしていた人の多くが、避難所に充てられていた頑丈であるはずの建物が呆気なく倒壊して亡くなったという事実が、生き残った住民らを得も言われぬやり切れない思いにさせていた。
𝙉𝙚𝙭𝙩 ︎ ↓
