停電の夜は...落語 de night! ~私のベトナム備忘録😅~
1990年代前半からベトナムに住み着いたワタシのちょっと変わった滞在記、想い出の備忘録シリーズです。(笑)😅😅
サイゴンの思い出|何祐子
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今から約30年前のベトナム・ホーチミン市。
割と頻繁に停電と断水がありました。最近住み始めた方は、もう想像もできないと思いますが。😅
思えば、、ベトナム戦争終結(1975年)後も近隣諸国との緊張関係(中越戦争、カンボジア侵攻)が続き、ドイモイ(刷新)政策(1986年)開始からホンの数年しか経っておらず、未だアメリカが経済制裁中で外国投資の姿もちらほらだった頃。
当然、電力と水道の供給は不安定でして、大概夜7、8時頃、各家庭の電力消費がピークになった頃に突然の停電or断水があり、運が良ければ1、2時間位、悪い時は4、5時間、朝までそのままの日もありました。
あの当時は、どこのお家でも台所や風呂場に、デッカイ蓋つきバケツに水が溜めてありました。シャワーの最中、頭にシャンプーの泡を載せたまま、うんともすんとも言わなくなった蛇口を何度空しく見つめたことか。。。(笑)
コンクリ製貯水槽があるお家では、ボウフラ対策の為か槽の中に小さい魚が入ってることが多く、初めの頃は戸惑ったワタシもだんだんと、”ほーら、今から頭のシャンプー流すから、はよ下へ行け~~” と、魚ちゃんに話しかけたりして。案外、慣れると楽しかったです。😅😅
断水に比べると、停電は結構辛いものです。
真っ暗闇の中で、携帯電話もPCもなく、本も読めない。蒸し暑い暗闇でじっとしているしかない。
『人間とは、暗くてやることの無い環境には耐えられない生き物である』
20代の女子に、こんな哲学⇧を教えてくれたベトナム。(笑)
音楽を聴く手もあったけど、暗闇の中で聞く音楽はどことなく味気なく集中できない。何か他にいい時間潰しはないかしら~と悩んでいた時、或る日本人のお宅で秘蔵のカセット・テープコレクション『古典落語名人集』を発見し、”これだ!!”と、早速マニアお薦めの厳選落語をダビングしてもらいました。
その日以来、夜のピーク・タイムに電気が落ちて、近所中に ”わあー!!”の大歓声が響く中、ワタシはベトナムで落語デビューしました。。
藁をもすがる消極的動機で聞き始めた落語だったのに、これが実は、大変面白かった。\^o^/\^o^/
ある時期はほぼ毎日、暗闇でじっと集中して繰り返し繰り返し聞くうちにすっかり落語ファンとなり、中でも特にお気に入りは『天狗裁き』と『代書屋』で、あの頃は殆ど暗記してた位です。。(笑)
これが、『天狗裁き』のあらすじです。⇩
あらすじ
家で昼寝をしていた喜八は妻に揺り起こされる。寝言や寝顔などが、どうもおかしかったらしく「どんな夢を見ていたんだい?」と尋ねられるが、喜八はまったく覚えていないので「見ていない」と言う。しかし、妻は喜八が何か人には言えないような夢を見たために嘘をついたと考え、しつこく尋ね返す。喜八も「見てない」と繰り返すが、この押し問答は最終的に激しい夫婦喧嘩に発展する。
あまりにうるさいので喧嘩に気づいた隣人の徳がやってきて2人から事情を聞く。徳はたかが夢ごときでこんな喧嘩はいけないと仲裁するが、直後に喜八に「で、どんな夢を見たんだ?」と尋ねる。だから見てないと喜八も返すが、徳は納得せず、今度は喜八と徳が喧嘩を始める。この騒動を聞いて、今度は長屋の大家がやってきて、たかが夢ごときと2人を仲裁するが、やはり大家も喜八に「私には夢の内容を教えろ」と言う。やはり喜八が見てないと言うと、激怒した大家は長屋から出て行けと言う。
話が大きくなってしまい奉行所が裁くことになる。話を聞いた奉行は、こんなことでお上の手を煩わせるとは何事だと大家を注意する。こうして一件落着かと思いきや、奉行も喜八にどんな夢を見たのかと尋ねる。やはり喜八は見てないと答えると、激怒した奉行は、喜八を奉行所の庭木に吊るすよう命じる。
庭木に吊るされ途方に暮れる喜八であったが突然、突風に身体を巻き上げられると、そのまま気づいたらどこかの山奥にいる。そして目の前には大天狗がおり、たまたま奉行所の上空を通ったところ理不尽な目に遭っているのを見つけたので助けてやったという。喜八は感謝するが、やはり大天狗も夢の内容を聞いてくる。喜八も見てないと同様に弁解するが、激怒した大天狗はその首を掴む。喜八は首筋に大天狗の長い爪が食い込むため悶え苦しむ。
ここで喜八は妻に揺り起こされる。見れば自宅で昼寝していたようである。妻が言うにはだいぶうなされており、今までのことは夢であった。喜八が助かったと安心していると妻が言う。「どんな夢を見ていたんだい?」
何てことない『夫婦喧嘩の仲裁』が題材ですが、流石一気に引き込まれる奇想天外な展開と熟練の話術で、当時はテープの落語家が誰なのか全然気にしておらず、かなり後にテープ音声を頼りにYou tubeで探してみたら、どうもこの方だったようです。⇒三代目 桂米朝 (上方落語家名鑑)
以前はYou tubeに『桂米朝 天狗裁き』の動画がありましたが、何故か今は見つかりません。著作権の問題なのかな? 残念です。。。😭😭
えー、ちょっとここで、前回投稿したこの記事(⇒僧衣に兵杖を帯びた異形の集団『僧兵』、どこの誰、どこへ消えた?の謎。)に戻ります。
そこに、こう書いて置きました、⇩
しかも、その『陰』の萌芽が、極東島国の土壌で培養され、やがて「怒りや、にくしみや、呪いや、嘆きの中」で『モンスター集団』へと成長し、なんとビックリ平安時代から戦国時代までの700年もの長い期間、人事介入、訴訟、おねだり、ゴリ押しの度に集団で『嗷訴』、『放氏』を繰り返して日本の政治・社会を揺さぶり続けた、嘘のような本当の話。
700年も実在した不思議な山法師の集団『僧兵衆』。彼等が使った必殺技が、集団デモ=『嗷訴(ごうそ)』でした。
しかしです、更にそれ以外に、『寺社側』が繰り出した超・超ウルトラビックCの必殺技があったんです、それが『放氏(ほうし)』。⇩
伝家の宝刀『放氏』
由来僧兵が、彼等の武器として長刀(なぎなた)を愛用することは周知の如くであるが、南都興福寺には、別に伝家の宝刀がある。
使う相手は藤原一門に限られるが、廟堂に列してはその権勢をうたわれる彼等も、一度この宝刀を抜かれると、たちまち茫然自失の体になるという、目に見えぬ不思議な宝刀すなわち「放氏」である。
放氏とは、氏から放つことで、つまり藤原氏からの追放である。
興福寺は藤原氏の氏寺、その鎮守の春日明神は氏神であり、祭神の一なる天児屋根命(あめのこやねのみこと)は藤原氏の祖神であることから、興福寺の別当及び三綱の役は、藤原氏の氏人が選定し、別当は多く関白の子弟で、氏の長者宣をもって補任される例である。
このような関係から、藤原氏の氏人は、必ず祖神や氏神の意志に従うべきであり、氏寺の利益に反する行為をなす者も、当然祖神の反逆者として処分されなければならぬ。
これが放氏である。
…この行われる経路は、まず反逆者としての疑いをかけられた者の罪状が、興福寺の大衆に従って詮議され、これが決定すれば、事の次第を春日明神に奉告する儀式が執り行われ、寺の別当から、朝廷並びに氏の長者に対しての報告が出されるのである。
この処分を受けたものは、藤原氏としての資格を失うことになるので、朝廷に出仕することも出来ないし、経済的にも脅威を受ける。またこれを抗議する道もないというわけで、一旦放氏された者は、何とかしてその怒りをなだめ、処分を取り消して貰うより外に方法はないのである。その恐懼謹慎の状が寺の方に認められれば、はじめて処分が解除される。それを続氏または継氏という。
この放氏第一号にあがったのが、参議正三位藤原隆季である。(長寛元年)(中略) …以後、この伝家の宝刀はしばしば用いられて、鎌倉時代から室町に至る凡そ三百年の間に、二十二回に及ぶ放氏の例が数えられている。
今その中、2、3の場合を挙げて放氏の様相を見よう。
弘安7年(1284)8月28日に、興福寺の衆徒が大挙して多武峰の四か所を襲撃し、これを焼き払って、双方の死傷数を知らずという事件があり、翌9月7日に宣旨が下されて、その張本人である興福寺の深慶・浄顕等を召捕ることを、五畿七道の諸国に命令された。
この宣旨を奉じて署名しているのが蔵人治部少輔藤原兼仲で、職掌柄当然のことであったが、これが興福寺衆徒の気に入らず、十五日至り、兼仲の放氏を決議してしまった。
朝廷からこの事を鎌倉に伝えるための書類作成を、関白が南曹弁藤原経頼に命じた所、彼は後難を恐れてか、固辞してこれに従わず、後宇多天皇の「其職に在りながら、命令を奉じないとは以ての外」とのお叱りで、やっとこれを書くという始末であった。
放氏に処せられた兼仲は、亀山上皇の院宣を受けた関白兼仲のとりなしで、十月九日に至り、ようやく継氏が許された。
先日、この⇧勝野隆信先生のご著書『僧兵』を読んでいた時に、何となく寺社と藤原氏(=政治家)の関係が『腐れ縁の夫婦喧嘩』みたいだなぁ~、と思った途端、ハッと思い出が蘇り、それで、気が付いたんですよね。。。
30年前のベトナムで、一人夜な夜な汗をかきかき真っ暗闇に寝っ転がって聞いてた、落語『天狗裁き』。
あれは、あれは、、きっと、700年間もの間、寺社と山法師(僧兵)と時の政治家が、国民そっちのけで繰り広げてた、『世にも奇妙な夫婦喧嘩』=『嗷訴』と『放氏』 。。。コレが題材か。。😅
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俺は悪くない、嘘ついてない!と言い張る亭主(=藤原氏=時の政治家)。悔しい~、こうなったら離婚(=放氏)よ!!と伝家の宝刀を抜く女房(=寺坊主)。そこへ、”待て待て待て~!!”と霧の如くに現れた山法師ならぬ鞍馬の大天狗(=僧兵衆)。些細な内輪揉めが、、何故か大勢の人(市井の人々、町の有力者、奉行所)を全て巻き込んで、最後はとうとう大天狗の爪(=長刀)が喉元にぐいぐい食い込み、魘される亭主(=時の権力者)へ向かって、古女房(=寺坊主)がこう声を掛けるんです。
”ちょっとー、ちょっとアンターー、、、
えっらい魘されてぇ。。。一体、どんな夢みたん???” 😅😅😅
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そうか。。。
『あの時』、、誰かがやらなければならなかった。。。
、、、織田信長が『①比叡山延暦寺焼き討ち』で突破口を開き、次に豊臣秀吉が『②寺社に武装解除を勧告』し、最後は徳川家康が『鎖国・私貿易禁止』で寺社の港湾利権と海外貿易利権を剥奪した。。
3人の絶妙な連携プレーで、700年の伝統芸『嗷訴』と『放氏』を強制終了させた日本。
もしあの時強制終了してなかったら、当然今の日本は無く、もうとっくにイエズス会のアジア植民地経営の重要拠点-『極東植民地本部島』だったんでしょう。。。😱😱
日本国中が大荒れに荒れた時代。
漸く訪れた天下泰平の世にはもう、藤原も織田も豊臣も○○もXXも全員居ない。。。ふと見れば、たった独りだけ、涼しい顔した無傷の者がいる。。。
”ちょっとー、ちょっとアンターー、、、
えっらい魘されてぇ。。。一体、どんな夢みたん???”
こう、、、『古女房』に言わせた江戸時代の庶民のユーモア・センス。
最高ですよね。🤣🤣
