小説&ピアノ「四季」④ Winter
『星の降る街』
プロローグ
夜。
窓の外は空気が凍りつきそうな寒さだけれど、分厚い毛織りのカーテンを二重にかけた部屋の中は暖かい。
暖炉の上では、ケトルがシュンシュンと心地良い音を立てている。
星は、恐ろしく寒い夜に降ってくるんだ ―—。
静かに外気が冷えていくにつれ、ずっと聞かされてきた言葉が頭の中で蘇る。
いつ来るかわからないそのときのために、僕らの仕事はある。
僕たちのつくるものは、いわば生き物だ。
長くストックしておくことはできないから、どれほど心を込めて作ろうと、「そのとき」が来ないまま役割を終え捨てられるものが大半を占める。
—― 無駄になるのに、どうして作らなくちゃいけないの?
僕が口にする疑問に、父は何度でも答えてくれた。
「いいかいルーヴ、私たちの作るものは、無駄になるとかならないとか、そういうものじゃないんだ。おまえは、どうせ死ぬのにどうして生きるのかと思うかい?」
母が姉のアンリに、こんなふうに話していたのを聞いたこともある。
「毎月やってくる月のものと同じなのよ。わたしたちの体は、いつ授かるかわからない命のために毎月毎月血を流す。たった一度のそのときのために、準備万端にしておくの。神さまがつくったその仕組みを、あなたは無駄だと思う?
わたしたちの体がやっていることと同じ仕事を、わたしたちはやるのよ。『そのとき』のために、準備万端にしておくの。それはそれは、大切な仕事」。
風さえ凍てつくこんな夜には、決まって父母の声が耳に戻ってくる。
今はもういない彼らの声は、凍えそうな夜に僕を包む。
父や母の言葉が正しいのかどうか、僕にはわからない。
「使いもせずに捨ててしまうものをつくり続けるお前の仕事の意味はどこにあるのだ」ともしも誰かに問われたら、僕はたぶん、肩をすくめるしかない。
でもこれだけは確かだと、自分の手を見つめて思う。
僕は、この仕事が好きだ。
窓の外で鳴る風の音に耳を澄ます。
暖炉の上ではケトルが変わらずに音をたて、部屋の隅ではランプの炎が、滑らかに湾曲した壁と天井にちらちらと影を落としている。
止まっていた手を、僕は再び動かし始める。
紡ぎ車の輪がゆっくりと回り出すと、炉が放つあたたかな光が糸の上を滑った。
指先で撚りをかけるたび、どこか遠く、意識の奥底から声が聴こえるような気がする。
ちりちりと、微かな痛みを伴う声。
糸が細く強くなっていくにつれ、僕の意識の一部が糸へ移っていくような、そんな心持ちになる。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在初日 】
到着は午前10時、天候は快晴、気温は摂氏マイナス12℃。標高約4,100m。
集落の構造は段丘に沿っており、各家屋は分厚い壁と丸みを帯びた屋根を持つ。居住空間は小さく、個々のコクーン(繭)型の住居が母屋の周囲に分散して配置されている。建築には寒冷地特有の断熱仕様が施されており、内部は火の使用による熱で十分に暖かい。
この土地の代表者(村長)に挨拶し、自己紹介と滞在の目的ーー天文学及び民俗学の研究のために滞在し、可能であれば人々の生活を観察・観測させてほしい旨ーーを伝え、承諾を得る。
集落の中央広場で住民に紹介される。同席者は16名。口数が少なく思慮深い人々、温和なコミュニティであるという印象。
村長の紹介により、ルーヴという名の少年と言葉を交わす。今後の調査協力を打診し、こちらも承諾を得る。15歳とのことだが、かなり大人びた印象を受けた。すでに自活している由。
拠点となるキャンプ地を選び、テントを張る。
* * * *
ルーヴ
ヒュー・マーストンと名乗るその男に紹介されたのは、夕暮れの雪雲がすっかり赤く染まりきった頃だった。
村の広場で、彼は大人たちに囲まれて立っていた。
厚手の外套を着ていたが、寒さがまだ体に馴染んでいないのが一目でわかった。肩に積もった雪をぎこちなく払う仕草、所在なく雪を踏みしめる足。
「天の動きを研究している学者だそうだよ」と誰かが小声でささやき、「古い歌や習わしを調べる人でもあるらしい」 と別の誰かが付け足す。
天と歌。
僕の世界の中心にあるものだ。
村長に促され、彼がこちらを向く。そのまま僕に歩み寄り、軽く頷いて右手を差し出した。
「きみがルーヴ君、だね?」
ゆったりとした口調、低い声。言葉をひとつずつ確かめながら置くような響き。
「はい」
差し出された右手を軽く握り、僕は答える。
「私はヒュー・マーストン。天文学と民俗学の研究をしている。ヒューと呼んでくれたら嬉しい。
君には少しお世話になるかもしれないと聞いているよ。天体観測の拠点を置くのに、君の家はうってつけの場所に立っているらしいね」
外の世界の人だとすぐにわかるような話し方。
ひろやかな音をもつ張りのある声は、雪原の中で渡り鳥の鳴き声のようによく響く。
「星を調べに来られたのだとか」
僕が言うと、ヒューは少し目を細めて笑った。
「そう、星も。それから、君たちの暮らしも」
僕の沈黙を確かめるように間を置いてから、明るい声音でヒューは続ける。
「ここに来るのは、正直なところかなり骨が折れたんだ。でも、とてもわくわくしているよ。こんなに静かな場所は初めてだ。ここの風は……なんだろう、とても不思議な匂いがする」
そう言って、ヒューは周囲を見渡した。
雪、白い獣たちの影、小さな家々。
僕には見慣れたものばかりのそれを、彼はじっと眺める。
不思議な匂い?
小さく周囲の空気を吸い込んでみても、僕にはその匂いは感じられない。
たぶん僕は、この土地に馴染みすぎているのだろう。
どんな匂いがするのか彼に聞いてみたいような気もしたけれど、黙っていた。
「ルーヴ、あとでいくつか話を聞かせてくれるかい?」
「はい、僕でよければ」
「ありがとう。君が紡ぐという糸や、君から見える星々のことを聞かせてほしいんだ」
彼がそう言ったとき、胸の奥でほんの少し空気が動くような感覚があった。
細く開いた扉から吹き込んできた、外界の風。
それはさざなみのように僕の身体に静かに留まり、やがてやってきたときと同じように静かに消えていった。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在2日目 】
この集落では「マグオス」と呼ばれるこの土地固有の動物が家畜として飼育されている。
体毛は白く、偶蹄目に分類されるヤクに非常によく似ているが、蹄はない。足裏の形状は象に酷似しており音を吸収するため、巨体にもかかわらず歩行音は極めて静か。
この地に自生する硬い香草しか食さないため、体や糞からはこの草特有のハーブ香がし、不快臭は皆無。この強い香りは天然の虫よけとしても機能し、マグオスを寄生虫から守る役割を果たしている。
マグオスの家畜としての利用法は実に多様で、毛と皮は衣服や寝具等あらゆるファブリック類に、乳と肉と内臓は食料に、骨は建築材や装身具に、糞は肥料及び燃料として用いられている。(動物糞燃料はその構造上、弾ける要素をほぼ持たない。そのため、燃焼の際に薪燃料のようなぱちぱちという破裂音がせず、ほぼ無音で燃え続ける。)
建造物からファブリックに至るまでこの家畜が使用されるため、住民の家屋にはマグオスの匂い(ハーブ香)が染みついている。
興味深いことに、マグオスは家畜として利用されるだけではなく、人々の精神的支柱のような霊的役割も果たしているようである。
民俗学的観点からも、この土地での住民と家畜との関係は非常に興味深い。
* * * *
ルーヴ
音は、糸になる。
そう教わったのは、まだ父がいた冬のことだ。
雪の降る音もケトルがたてる蒸気の音も人々の声も、すべては糸に撚ることができる。
耳で聴くのでなく骨の奥で拾いあげ、指先でまとめていく。
暖炉の炎は音もなく揺らめき、小さな家の中は獣の匂いで満ちている。
獣の毛と、青く爽やかでわずかに苦いハーブの香り。
炉のそばの低い卓に、撚りかけの糸束がある。獣の毛から生まれた白い繊維に、音を溶け込ませた糸――音糸だ。
僕らの家は、星が降る夜に備えて代々この糸を紡ぐ。それが僕たちの仕事であり、命を削る原因でもある。
音を撚るたびに、脳のどこかがちりちりと微かにすり減っていくのがわかる。
けれどそれでも、僕は糸を撚りたいと感じる。意識の底に響く遠い呼び声は、否応なく僕を誘う。
たとえそれが、死へ向かって駆けることであっても。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在3日目 】
この地の住民は音を非常に大切に扱う。
口調や笑い声は極めて控えめで、特に大人たちは、言葉を発する時間に比べ周囲の音に耳を傾ける時間のほうが圧倒的に長い。
特筆すべきは、「星守り」と呼ばれる職種の存在だ。
彼らは音の振動数を増幅させる構造を持つ「音糸」と呼ばれる撚り糸を用いて、周期的に訪れる災害(流星の落下)からこの地を守る役割を負うという。
音糸とは細い繊維状の構造をもつ糸のことで、「音を溶け込ませた糸」の意。
彼らによれば、「星が落ちる」とは重力現象ではなく、惑星同士の共鳴であるとのこと。
歌と音糸によってその共鳴に干渉し、星と地が引き合う力を「ずらす」—— それが「防ぎ」らしい。
これらの話は私の耳にはやや神話的すぎるように聞こえるが、天文学的にも民俗学的にも大変興味深いものであることには違いなく、引き続き観察及び考察を行うものとする。
彼ら星守りの注目すべき特徴として、その極端な短命さ(推定寿命25〜35歳)が挙げられる。
後天的な職業病なのか遺伝的・先天的なものなのかは、現段階では不明。
* * * *
ルーヴ
夜。
音もなく揺れる暖炉の炎の前で、僕はいつものように糸を撚る。
細い糸が指に触れるたび、脳の奥が微かにざわつく。ほんのわずかな電気的な痺れ、消耗の兆し。
こうして糸を撚っていると、まだ幼かった頃の記憶が蘇ることがある。
その日、8歳になったばかりの僕は雪原を駆けていた。
雪の下に生える香草を食んでいたマグオスたちは顔を上げ、穏やかな緑色の目で僕をじっと見つめる。
彼らのあいだを縫って、僕はただやみくもに、走る走る走る。
なにもかもが悔しかった。
捨てるとわかっているものを作ることも、生活の厳しさも、父さんと母さんがもうすぐ死んでしまう事実も。
なぜ作るの?
なぜここはこんなに寒いの?
なぜ僕らの命はこんなに短いの?
なぜ、なぜ、なぜ?
まつ毛を濡らす涙はみるみる凍りついていく。
僕の吐く息が、雲のようにくっきりと僕のうしろに流れていく。
僕の体からいつもいつも熱を奪おうとするこの土地。
それなら僕は、温かい息をこの地に吐き続けてやる。
繰り返し繰り返し、何度でも。
僕は叫ぶ。気の触れた獣のようにわめく。
それから、雪の上につっぷして泣いた。
その夜、僕は熱を出した。
繰り返し襲う寒気と熱さ、途切れ途切れの悪夢。
父さんが誰かと話す声、額に触れる母さんのひんやりとした手。
熱は三日間続いた。
ようやく外出許可が出たのは五日目で、まだすこしぼんやりする頭を抱えたまま僕は家の外に出た。
空、雪原、マグオスたち。
光も風も匂いも、五日前とまるで変わらない風景が広がっている。
君がいくら叫ぼうと世界はまるで変わらないんだよと、風がささやいたような気がした。
母さんに呼び戻されるまで、僕はそこに立って風のささやきを聞いていた。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在5日目 】
発熱、38.9℃。頭痛と悪寒。下痢なし。
住民がテントまでスープを持ってきてくれた。
独特の苦味があり飲み下すのに苦心したが、飲み終えて間もなく体がぽかぽかと温まり、悪寒と節々の痛みが和らいでいくのがわかった。
この寒さの中私のテントで寝起きするのは無謀とのことで、使われていないコクーン型住居のひとつを使わせてもらえることになった。大変ありがたい。
火を焚いた住居の中は非常に暖かく、断熱性の高さが実感できる。粘土質の土にマグオスの毛を練り込んだものが材質に使われている由。
* * * *
ルーヴ
朝。
光が雪にはねかえり、窓の外はきらきらと眩しい。
僕ら(僕とソルヤだ)の小さな家は、半分雪に埋もれている。
音という音が雪に吸いこまれたような静かな窓辺に、ソルヤが座っている。
暖かく軽い毛織りの布を膝にも肩にもかけ、獣毛の糸を指に絡ませながら低く歌う。
彼女の声に呼応して、呼吸するように糸が揺れる。
「また、糸を起こしてるの?」
湯気の立つカップを彼女のそばに置きながら訊くと、彼女は笑って糸の先を指でつまむ。
「夜、糸を触りながら歌っているうちに眠っちゃったの。そのまま夢の中で撚っていたみたい。目を覚ましたら、糸が勝手に歌っていたのよ」
こんなことを、彼女はよく言う。
冗談のような本当のような声。
「“ ソルヤ ”ってね」
彼女が糸を指に絡めながら、ふと呟く。
「“ 陽の光 ” っていう意味なの。母さんがつけた名なのよ。暗い冬の中で、光とあたたかさをもたらすように、って。
あなたの “ ルーヴ ” は?どんな意味かしら」
彼女が僕を見る。
「 " ルーヴ " は、" 結ぶもの " だよ」
僕が答えると、「音糸の撚り手としてぴったりね」と言ってソルヤは笑い、糸をそっと持ち上げてみせる。
「君の歌が、僕を少しずつ救ってる」
僕が言うと、ソルヤは嬉しそうに笑った。
「それなら、わたしはいくらでも歌う」
そう言って、彼女は手の中の糸にそっと息を吹きかける。
糸はわずかに光を帯びて、空気の中でひとひらの羽のように揺れた。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在7日目 】
ようやく体調が回復し、「星守り」と呼ばれる人々の家業に関する観察と測定を開始。
彼らの日常的な仕事は「糸を撚る」ことで、家内手工業として代々引き継がれ、作業は糸撚り車を手で回して行われる。
この作業により「音糸」と呼ばれる糸を生産し、完成した糸は星の落下を防ぐ際に使うとのこと。原材料はマグオスの体毛。
糸撚りの作業中、許可を得た上で作業者の手指、腕、脳の活動を測定。作業者の脳波にはα波の低下と微弱なγ波の増加が見られた。
手指操作の反復に伴い、前頭葉の活動が持続的に高まり、作業終了後には疲労感に加え短期的な意識の曖昧化が生じる。
作業中、撚り手とペアとなる歌い手が小さな音量で歌を口ずさむ。「歌を糸に溶け込ませ、撚り手の痛みを和らげる効果がある」とのこと。
歌唱中、作業者の脳波には高周波のコヒーレンス現象が現れ、呼吸や心拍と同期することが確認された。
歌声が空間内の空気の振動数を変え糸の張力や形状に微細な変化を与えているように見受けられたが、仮説の域を出ないためデータの収集が必要。
* * * *
ルーヴ
午後。
暖炉が音もなく燃え、マグオスのハーブ香が部屋に満ちている。
いつもの匂いだ。雪と、家と、獣。
そこにふと、外の世界の香りが混ざる。
コーヒーだ。
外から差し込む弱い光の下で、ソルヤが湯を細く落としている。
小さな布の上で、粉になったコーヒー豆がじわりと湿ってゆく。
この地では滅多に手に入らない、遠いどこかの、陽の強い土地で育った豆。
たまにしか来ない交易商が置いていくその香りは、外の世界の風のように僕の胸にひろがる。
「なんだか今日は、いつもよりよく香る気がするね」
僕が言うと、ソルヤは笑う。
「いつもより少しだけ多く入れたの、豆を。だって今日は、のんびりする日でしょう?」
ソルヤは「のんびりする日」をとても大切にする。
仕事でも準備でも誰かを助けるでもなく、ただふたりで家にいて、息を整えるだけの、何でもない日。
僕の前にカップを置きながら、ソルヤが言う。
「ね、この香り、ちょっと外の風みたいよね。ここじゃないどこかから吹いてきたみたいな。飲んでいると、遠い場所の誰かの笑い声が聞こえるような気持ちになる」
外の風。
同じように感じていたことがくすぐったくて、僕は思わず笑ってしまう。
「なあに、どうしたの」と、ソルヤもつられて笑う。
「なんでもないよ。コーヒー豆が生まれる場所はここよりずっと暑い国なんだって、交易商が言ってた。きっと、うんと遠い国だね」
僕が言うと、彼女は「素敵」と目を輝かせる。
「暑いって、どんな感じかしら。そこはきっと、こことは全然違う匂いがするんでしょうね」
「そうだね、きっと陽の光もここよりずっと強くて、聞こえる音もぜんぜん違うんだろう」
「いつか、行ってみたいな」
声を弾ませてそう言ったあと、彼女はふいに黙り込む。
いつか。
その言葉はときどき、僕たちには眩しすぎる。
「でも」
沈黙のあと、彼女は小さく呟く。静かで柔らかで、焚火の奥で赤く輝く炎のような、彼女の声。
「こうして飲むと、ちゃんとここの匂いになる。わたし、この匂い、大好きよ」
僕たちは、湯気ごしに微笑みあう。
雪と、家と、獣と、コーヒー。
なじみ深くて新鮮な香りが、柔らかい午後の光と一緒に、僕たちの今に満ちている。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在15日目 】
この土地に保管された郷土資料を閲覧する。
文書はマグオスの皮で作られた羊皮紙に似たものに記され、星守りの伝承、流星群の周期、星の落下を防ぐ手法に関する記述などがある。
記述によれば、大規模な流星群は概ね10〜20年周期で訪れ、なにも策を講じなければ、そのいくつかが地上に落下するとされる。
注目すべきは、星の落下が「集落周辺の土地が放つ振動と星との共鳴現象」として記録されている点だ。
資料には、「星は ” 落ちる ” のではなく、地上の周波数と星の周波数が一致したときに起こる量子的共鳴により ” 引き合う ” 」とある。
この記述は、先日住民から聞いた説明とほぼ符合している。
また資料には、流星による災害を防ぐ手立てとして、この地では古くから歌と撚り糸(音糸)を用いた防衛行為を行ってきたことも記されていた。
音糸の撚り手が短命になる理由にも言及されており、「意識の干渉が生体の脳に負荷をかけ、削る」とある。
* * * *
ルーヴ
夜。
空はよく晴れ、いつにも増して星が光っている。
星が、言葉を持たずに語りかけてくる。
その声に意識を向けると、頭の奥がちりちりと痛む。
奥の部屋で、ソルヤの歌声がかすかに揺れている。
彼女の声は僕の神経を優しくなだめ、星の囁きに含まれる冷たく硬い響きを和らげてくれる。
僕は目を閉じ、その声に身を浸す。
やがて歌声が止み、ブランケットを肩に巻いた彼女が僕の隣にやってくる。
長い髪が肩からさらりとこぼれ、ソルヤの匂いが鼻先に届く。彼女が髪を洗う時に使う、ハーブ水の匂い。
「聞こえる?」
彼女が囁く。「今日は南の空ね」
僕は頷く。「うん、あれはトルヴァの群れだね。数が多い」
「防ぎに、行くの?」
「いや、今夜は大丈夫、まだだいぶ遠いから。でも星の声を聞いておくよ、念のためにね。ただ、頭が少し痛むんだ。……ソルヤ、少し歌ってくれる?」
ソルヤの目が、心配そうに揺れる。
中指と人差し指で僕のこめかみにそっと触れてから、心配をそっと振り払うように微笑む。柔らかく、冷たい指先。
彼女は目を閉じ、息を吸い込んだ。
声が生まれる。
低く、澄んだ旋律。
彼女の歌が流れ出すたび、頭の奥でざわめいていたノイズがやわらいでいく。
意識の縁を焦がすような痛みが、少しずつ溶けていく。
気がつくと、歌声が止んでいた。
目を開けると、ソルヤがじっと僕をみている。
「ありがとう、ソルヤ」
僕が言うと、「どういたしまして」と彼女は微笑む。
「ルーヴ、あなた少し疲れてるみたい」
ソルヤは、僕の腕にそっと手を添えて言う。
「もう寝ましょう。糸撚りの続きは、あしたやればいいわ」
その夜、僕は夢を見た。星が大量に降ってくる夢だ。
音はない。
空を埋め尽くすほどたくさんの星があるのに、星の声が聞こえない。いくら意識を集中しても、僕の体に彼らの声は届かない。
星の声を聞きとれなければ、僕は無力だというのに。
背骨が恐怖で凍りつく。
無言の星たちが、不吉な速さで僕に向かって降ってくる。
叫び声が喉から飛び出す直前、目が覚めた。
服が汗でぐっしょりと濡れていた。
隣ではソルヤが、あたたかな布団にくるまってすやすやと眠っている。
僕は彼女を起こさないようにそっとベッドを降り、新しい服に着替えてから、もう一度ベッドに滑り込む。
ソルヤの規則正しい寝息と肌のあたたかさが、僕のささくれた神経を撫でる。
彼女の呼吸に合わせて息をするうちに胸のざわめきは少しずつ鎮まり、僕の意識は再び眠りへと引きこまれていく。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在21日目 】
トルヴァ流星群。
天候条件に恵まれ、観測用の装置を設置。
星が流れる瞬間、通常は見られない微細な空気振動や磁場変化が観測された。
土地の人々の言によれば、これは「音糸によって増幅された星守りの意識と歌い手の歌声が星に影響するため」とのこと。
* * * *
ルーヴ
「ね、ルーヴ」
糸撚りの最中、隣で口ずさんでいたソルヤの歌がふと途切れ、彼女が小さく僕の名を呼ぶ。
「あなたの名前、“ 結ぶ ”って意味だって、前に教えてくれたよね」
「うん、父さんがそう言った。この仕事を続けるなら結ぶ者であれ、って」
「じゃあ、私は やっぱり “ 光 ” ね」
彼女は嬉しそうに笑う。
「光はほどけるためにあるけど、結ばれるときが一番美しいから」
彼女の言葉はときどきとても謎めいていて、うまく意味がつかめない。
でも僕はその言葉を、胸の奥で反芻してみる。
この世界のすべてが、ほどけることを前提に結ばれている。
糸も、星も、命も。
それでも僕らは結ぶ。
ほどけると知っていても、何度でも。
僕はソルヤの肩をそっと引き寄せる。
彼女は小さな頭を僕の肩に預け、静かに呼吸する。
僕たちがこうして絆を結ぶことが、どこへ繋がるのかはわからない。
僕たちのどちらも、十年後にはもういないかもしれないのだ。
結んでも結んでもほどける糸を結ぶ意味は、一体どこにあるだろう?
——無駄になるとかならないとか、そういうものじゃないんだ。おまえは、どうせ死ぬのにどうして生きるのかと思うかい?
父の声が耳に蘇る。
そうだね、父さん。
長くても短くても、僕らはみんないずれ死ぬ。
でも、生きることはどう考えても、無駄なんかじゃない。
ソルヤのあたたかな体温を確かめたくて、腕にそっと力を込める。
ソルヤは僕を見上げてにっこりと微笑み、また頭をもたせかける。
僕の心音を確かめるみたいに。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在27日目 】
この土地の住民と言葉を交わすにつれ、星守りの犠牲的役割に対して、私は複雑な感情を抱くようになった。
彼らの手仕事は確かにある種の科学的根拠に基づき星の落下を防ぐ(彼らによれば「星と地の共鳴をずらす」)効果を持つのかもしれないが、短命であるという代償はあまりにも残酷であるように私には思える。
しかし同時に、彼ら自身がそれを受け容れ、静かに(紛れもない明るさを持って)日々を生きている姿には、部外者による余計な口出しは不要なのだと思わされるのも事実である。
* * * *
ルーヴ
雪が降っている。
今夜も暖炉の炎は静かに燃え、部屋に獣毛とハーブの香りが漂う。
ケトルの湯気が部屋に柔らかい光を散らし、僕とソルヤの影が壁に揺れる。
僕は糸を撚る。
指先の痺れがじわりと広がり、手のひらから腕、脳の奥にまで熱が昇る。
頭に微細な痛みが走る。糸の一本一本が、意識の一部を少しずつ奪っていく。
隣でソルヤが静かに歌う。
声はごく小さいけれど、空気の振動を通じて糸の表面を震わせ、僕の痛みに微かに共鳴する。
痛みは苦しさだけでなく、世界と僕とを結ぶ感覚として頭の芯に広がる。
「もしもいつか」
僕はふとソルヤに訊いてみる。
「もしもいつか、僕が星を防ぐときがきたら、君が歌うことになる。……それは、怖くはない?」
ソルヤは歌を止め、少し考えてから微笑み、声を糸に溶かすように答える。
「もちろん怖いわ。でも、歌う」
あたりまえでしょう?というように、彼女は片眉を上げてみせる。
どさり、と雪が樹から落ちる音が聞こえ、やがてその音も空気に吸い込まれ、そんな音など初めからなかったかのような静寂が戻った。
今ここにある僕たちの命も言葉も生活も、消えてしまえば初めからなかったかように、世界は続いていくのだろう。
僕たちは、降っては消えていく雪のひとひらと同じだ。
それでも、僕はここで生きていきたいと強く願う。
ここで、雪とマグオスたち、そしてソルヤと一緒に。
* * * *
来訪者
【 調査記録:滞在32日目(最終日)】
総括。
この土地の文化、家屋、獣、風土、作業体系、意識と物理の関係性は極めて独自で、他地域の文化とは容易に比較できない。
人々の犠牲的職務には人道的課題を感じるが、同時に彼らの世界観と生活は科学的観察だけでは測ることのできない尊厳を備えたもののように思われ、外部者による軽率かつ安易な介入・干渉は慎むべきであると思われる。
私個人はまだこの地とここに住む人々のことを完全に理解することはできないが、滞在を通じてその文化と営みの独自性に深い敬意を抱くに至った。
追記:
この地で行った天体観測では非常に興味深い現象が確認された。ここで得られたデータは、引き続き研究所にて精査及び解析を行うものとする。詳細は別添の天体観測報告書参照のこと。
別添資料:《天体観測報告書》
日時:XX年XX月XX日 現地時刻 23:47〜02:15
観測地点:北緯XX°XX′ / 西経XX°XX′
標高 約4,450m
天候:快晴・無風・気温 マイナス26.4℃・湿度18%
記録者:ヒュー・マーストン
【1. 観測経過】
23時47分、南東の空に小さな流星を確認した。
普通の流星よりずっとゆっくりと、淡く、長く光っていた。継続時間はおよそ2秒強。
尾の部分から、目には見えにくい“ゆらぎ”のような信号が検出された。分光装置が記録したその波形は、約2.30Hz──人間の耳にはほとんど聞こえないほどの低い振動を示していた。最も深い眠りのときに現れる脳波、デルタ波に近い領域である。
同じタイミングで、地磁気センサーにもわずかな変動が現れた。周期は2.28Hz、つまり流星のゆらぎとほぼ一致していた。光と磁気が同じリズムで震えていたことになる。
因果関係の詳細は不明だが、何らかの共通の原因、あるいは干渉が起きていた可能性を示唆する。
【2. 星守りたちについて】
観測地点から南西に約2.5km離れた小集落に「星守り」と呼ばれる一族が暮らしている。
彼らは、古くから夜空を見上げ、糸を撚り、歌を紡ぐ人々で、彼らの作業及び歌には一定の規則性がある。低く、深く、ゆっくりとした旋律が繰り返され、音の底にほとんど聞き取れない振動が隠れている。この旋律を音響解析すると、やはり2〜3Hz前後の波が検出される(そばに身を置くと、低周波音特有の、体の奥がかすかに震えるような感覚を覚える。彼らはその音を「星の音」と呼ぶ)。
【3.天体 観測との符合】
流星の現れた方角は、まさにその集落──ルーヴとソルヤの家のある方向であった。
私は彼らの家で何度か時間を共にし、歌と糸の共同作業を観察した。
流星の干渉波形とソルヤの歌声を分析した結果、両者の波形がほとんど一致していた。光と音と磁気が、同じリズムで震えていた。
それが偶然の一致なのか意図的・技術的にコントロールされたものであるのかは、現段階では不明。
【4. 暫定考察】
現時点では、この現象を自然的なプラズマ波動やノイズとは断定できない。また、人為的信号の痕跡も確認されていない。
一つの仮説として、彼らの「歌」と「糸撚り」の行為は、人間の意識が作る微細な振動(脳波的共鳴)を媒介とし、局所的な電磁場に干渉している可能性が考えられる。
彼らが伝承で語る「星の糸」は、比喩ではなく、何らかの実際的な共鳴現象を指しているのかもしれない。
ただし現段階では、この仮説を立証するだけの物理的モデルは存在しない。よってこの報告の内容は、あくまで現象観測の範囲を出るものではない。
【5. 所感】
私は科学者として、説明できないものを信じることに慎重であろうとしてきた。だが今夜の観測は、そうした境界を静かに溶かすようだった。
彼らが糸を撚り歌を歌う姿は、古くから世界各地で行われてきた「祈り」に通じるものがあった。
光と音と人の意識が同じ速さで震える瞬間と「祈り」との間の相関関係について、天文学及び民俗学的観点から今後の研究対象としたい。
以上。
* * * *
エピローグ
天体観測の夜から三日後、私はルーヴとソルヤのもとを再び訪ねた。
ルーヴは相変わらず糸車の前に座り、ソルヤはその隣で、声を整えるように静かに呼吸していた。
「ドルヴァの夜、君たちは歌を空に届けたのかい?」
私が言うと、ルーヴは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「届ける?あなたの使う言葉はおもしろいな。僕らは届けるのではなく、星たちの声を聞いているんです」
「聞いている?」
「そう。僕たちの歌は星の声を聞きとって調整するためのものなんです、届けるのではなく」
「歌は糸の端。切れて逸れた星の道を、結びなおすためのものなの」
そばで私たちの話を聞いていたソルヤが、歌うようにつぶやく。
彼女の言葉は詩のようで、どこまでが比喩なのかさえ私にはうまく判断できない。
けれどその声を聞いていると、心拍がゆっくりと落ち着き、意識が静まっていく感覚があった。
「私は、今日ここを発つ。でも、必ずまた戻ってくるつもりだよ。叶うなら、君たちのいう” 防ぎ ”を見てみたい。大流星群がこの地上に落ちないように君たちがどんなふうに仕事をするのかを、見てみたいんだ」
私がそう言うと、「ええ、もし僕たちのいる間にその時がくるのなら。」とルーヴは頷き、ソルヤは柔らかく微笑んだ。
別れ際、ソルヤが私に小さな白い糸を手渡した。「あなたが、わたしたちのことを忘れないでいてくれるように」と言って。
指先で触れると、糸はわずかに熱を放っていた。失くしてしまわないよう、私はそれを胸ポケットにしまう。
日常に帰ったら、私はここでのできごとを忘れてしまうのかもしれない。あるいは、なにもかも夢だったのだと思ってしまうのかもしれない。
私はふと、そんな感覚に襲われた。
いや大丈夫だ、と私は自分に言い聞かせる。
あの流星の軌跡とそれに重なる2.3Hzのゆらぎは、ちゃんと記録に残っている。
私は、きっとこの地をまた訪れるだろう。そう遠くないうちに、必ず。
体の奥で小さく脈打つ不思議な確信に励まされて、私はようやく彼らに背を向ける。
この物語は、前作「Autumn」で主人公が持っていた『星の降る街』という本の一節(作中作)です。
【予告】music & novel『星守りのルーヴ』
この作品は、連作短編小説「四季」の物語のひとつです。
全話は、こちらをどうぞ▽
【小説担当:さち】
お読みいただきありがとうございました。
本を読むことと、ものを書くことが好きです。
ここnoteでは、小説やエッセイのほか、読んだ本の感想などを書いています。
たくさんの優れた物語に、生きることを助けてもらってきました。
文章や音楽にはそういう力が備わっていると信じています。
そういうものを、みなさんと一緒に共有できますように。
【ピアノ担当:Jaga(じゃが)】
お聴きくださりありがとうございました。
幼少期から習ったクラッシックピアノをベースに曲作りをしています。いくつかピアノコンクールで賞をいただいたりしながら、5年ほどギター片手にストリートミュージシャンをしていたこともあります。絵を描くことも好きです。音楽と絵と文章との間を自由に飛び回りながら、みなさんとやさしい世界を作っていきたいなと思ってます。
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