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風通しのいい文章 ー 川上弘美さんのこと

 川上弘美さんの書く文章は、風通しがいい。
 たとえどれほど湿度の高そうな人間関係を描こうと、じめじめしない。どこか風通しがよく、そよそよと乾いた風が吹いている。

 川上弘美さんの文章はまた、この世とあの世の境界線がうすい。
 ちょっと散歩に行こうと思って、す、と踏み出した先が異界だったりするのだが、その描き方があまりに日常と地続きなので、こちらもつい「そうか、ふつうに生きてたらそんなこともあるよね」などという気になって、あっさりと受け容れてしまう。

 それはたとえば、こんなふうだ。

 ミドリ公園に行く途中のやぶで、蛇を踏んでしまった。
 (中略)
 蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のようなもやのような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。
「踏まれたので仕方ありません」
 今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。人間のかたちになった蛇は、五十歳くらいの女性に見えた。

川上弘美『蛇を踏む』(芥川賞受賞作)p9~10


 あるいはまた、こんなふう。

 くまに誘われて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどの川原である。
 (中略)
 くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の305号室に、つい最近越してきた。ちかごろの引越しには珍しく、引越し蕎麦を同じ階の住人にふるまい、はがきを十枚ずつ渡してまわっていた。ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、やはりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう。

川上弘美『神様』p9


 また別の物語ではこんなふうで、

 歩いていると、ついてくるものがあった。
 まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた。

川上弘美『真鶴』p7


そしてまた、こんなふうなのだ。

 このごろずいぶんよく消える。
 いちばん最近に消えたのが上の兄で、消えてから二週間になる。
 消えている間どうしているかというと、しかとは判らぬがついそこらで動き回っているらしいことは、気配から感じられる。風がないのに次の間への扉ががたがたいったり、箸や茶碗がいつの間にか汚れていたり、朝起きてみると違い棚に積もっていた埃が綺麗に拭われていたりするのが、兄なのであろう。
 消えるのはありふれたことなのでさして心配はしないのだが、兄には差し迫った結婚話があり、そのことが難儀なのではあった。

川上弘美『消える』(前出の『蛇を踏む』に収録)


 ここで引用した文章はどれも小説の冒頭文で、つまり物語はこの唐突な「あの世感」から始まる。

 そこではふと踏んでしまった蛇が話し変形し立ちあがって歩き出すのだし、三つ隣の部屋に越してきたのは律儀に引越し蕎麦をふるまう熊だ。
 歩いているとうしろから正体不明の何かがついてくることもあれば、家族が消えたまま同じ家の中で生活する日常もある。

 この奇妙な、でも「こんなことはいつものことですよ」とでもいうようなからりと乾いたあの世感に、読み手は冒頭からふわりと足元をすくわれる。そこから先は、すっかり川上さんの世界だ。
 その先どれほど恐ろしい展開になろうと、やはり川上さんの文章は「こんなことはよくあることですよ」という顔をしたままで、だから読み手も、奇妙な安心感に包まれたままその異界を進んでゆくことができる。

 彼女が描いてみせる世界は、底知れぬ深海のよう。
 読み手としてその海をたっぷりと泳いだあとには、この世で使われる「多様性」という言葉が、浅瀬でちゃぷちゃぷと無垢に戯れるちいさな魚のように感じられる。

 わたしには書けない文章だ、と思う。
 川上弘美さんは芥川賞作家なのだから当たり前なのだけれど、なんというかそういうことではなく、もしもわたしが彼女と同じく芥川賞を受賞するほどの文才があったとしても、それでもわたしには絶対に書けない文章だ。そう直感する。

 それは文章の書き方というより、つまり生き方の問題なのだろう。
 わたしにはできない生き方、わたしにはできない世界との距離の取り方を、川上さんは、する。
 だからわたしは彼女に憧れて、彼女の書いたものを繰り返し読みたくなる。

 川上弘美さんのようになりたい、というのではない。
 なれないし、ならなくていい。
 ただ違うものとして、憧れている。
 川上弘美さんとは違うものとして彼女に憧れることができてよかった、と思う。

 自分と世界との間に、つねに風が吹きぬける人。
 親交を結ぶ相手が蛇だろうがくまだろうが人間だろうが、同じ距離感を保つ人。
 だからどれほどどろどろとした関係性や闇を描いても湿度が低く粘着しないのだし、粘着しないその隙間から吹く風は常にやわらかな希望を孕む。

 そういう川上弘美さんの書く文章に、わたしはずっと、憧れている。


 <この記事を書いたのは>

お読みいただき、ありがとうございました。
十年一刷舎の、さちと申します。
本を読むことと、ものを書くことが好きです。
ここnoteでは、小説やエッセイのほか、読んだ本の感想などを書いています。

たくさんの優れた物語に、生きることを助けてもらってきました。
文章や音楽にはそういう力が備わっていると信じています。
そういうものを、みなさんと一緒に共有できますように。

* * * *
<略歴>
第一回有吉佐和子文学賞入賞。
社会福祉士・保育士・ケアマネージャーを経て、専業主婦として子育て中。


十年一刷舎では、音楽と物語を折り合わせた作品を作っています ▽

小説とピアノの作品『Spring』▽



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