深名市怪談57|咀嚼音
Kさんは、周りの環境音が気に触るほど神経質な性格をしていた。
職場で、アパートで、そしてレストランで。
仕事中の同僚の聞くに耐えない鼻歌、隣室の夜更けの物音。
何かに集中している時に限って、これらが聴こえてくるたび、苛立ちは募っていった。
特に耐えられなかったのは、食事中に聞こえるクチャクチャという咀嚼音だった。
他人の口の中で湿ったものが擦れ合うようなその音を耳にすると、料理を待っている最中でも席を立った。
数日後、Kさんの苛立ちはさらに強くなった。
同僚の愚痴、ステンレス皿の擦れる音、誰かの呼吸音。
その雑音の奥に、微かに混じるあの不快な音――。
時が経つにつれ、それは次第にはっきりと、そして近く聴こえるようになった。
会議室、電車内、果ては自宅にも。
まるでKさんの後を追うように。
耐えきれなくなったKさんは、耳鼻科を受診した。
しかし結果は異常無し。
受診中にも聴こえてくる不快な咀嚼音を訴えるKさんを前に医者は首を傾げるだけだった。
耳栓をしても、その音はKさんの耳の中にへばり付くように聴こえてくる。
職場でガムを噛みながら話かけてきた同僚を無意識に殴り倒してしまうほど追い込まれていったKさんは、事情を聞いた上司からの勧めで心療内科へ受診することになった。
軽い鬱状態と診断されたKさんは、一ヶ月ほど休職することになった。
自宅に帰り、処方された薬を飲んだKさんは、ベッドの上に寝そべりながら思わず殴ってしまった同僚の顔を思い浮かべていた。
復職した際、どう謝ろうかと考えていると、すぐ背後からあの咀嚼音が、聴こえてきた。
クチャクチャ。クチャクチャ。クチャクチャ。
その音は、徐々に耳元に近付いてきた。
ベッドから飛び跳ねるように降りたKさんは、背後から聴こえてくる音に寒気を感じながら恐る恐るベッドの方へ振り向いた。
それ以降、Kさんの記憶は途切れていた。
一ヶ月が過ぎ、連絡が全くないKさんを心配した上司がアパートに行くと、そこには開けっぱなしの冷蔵庫の前で座っているKさんがいた。
不気味な笑みを浮かべながら腐った生肉をクチャクチャと不快な咀嚼音を響かせていた。
それから。アパートの管理人の話では、Kさんが引っ越した部屋に新しく入居した人は一ヶ月と持たず、すぐ引っ越していく。
そして入居1日目で毎回必ず苦情が入るのだという。
『どこからかクチャクチャと音がする』と
