女風がなくても、生きられると気づいた話
※すみれが女風利用やめる話ではありません😂
私と女風との今の距離感を表現したらこうなりました…!
わりと頻繁に女風を利用していた時期がありました。
予約を入れるときの高揚感。当日が近づくにつれて増していく期待。終わったあとの、あの独特の余韻。
それは間違いなく、私の生活の一部でした。
でもここ最近、体調を崩したりやることが重なったりして、少しだけ女風から距離ができていました。
女風がなくても生活はまわる
不思議なことに…というのか、当たり前だけど…が正しいのかはわかりませんが、その間も生活は普通に回っていました。
朝は来るし、仕事もあるし、やるべきことはちゃんと進みます。
「あれ、なくても生きられるんだな」と思いました。
当たり前のことなのにちょっと新鮮でした。
そしてもうひとつ気づいたことがあります。
月の支出がすくないな…?
予約をしないと、お金って減らないのです。当たり前すぎる事実に、妙に感心してしまいました。ああ、私ちゃんと消費してたんだな、と。
そもそものコース料金、ホテル代。それ以外にも美容代。私の場合、しばらく女風の予定ないしもうちょっと先でいいか…と、美容院とまつげパーマの周期を遅らせました。
女風の必要がなくなったわけではない
それでも…
女風が不要になったわけではありません。
なくても生活はできます。でも、あれば私はそこに行くのです。
ときどき無性に、誰かの目に映る自分を確かめたくなるのです。そしてふれられる前のあの一瞬の緊張はやっぱり好きです。
「どうしても今すぐ必要」ではなく、
「そろそろ行くか」という感覚。
この距離感は、少し前とは違うなと思いました。
女風に対する私のマインドの変遷
利用初期はときめきが欲しくて、肯定される言葉が欲しくて、非日常に浸りたくて、そこへ向かっていました。
今はもう少しフラットで…
ときめきたいと思えば、取りにいける。性的に興奮したいと思えば、迷わず選べる。
そこに無理はなくて、罪悪感もなくて、でも切実な渇望もなくて。
選択肢のひとつ。それが、いまの私と女風の関係です。
先日、リアルで男性と食事をした夜、私は少しだけ面倒くささを感じました。
丁寧に距離を縮めて、健全な話題から始めて、時間をかけて関係を育てる。
それはきっと尊いものです。
でも同時に、目的がはっきりしている世界の合理性を思い出したのです。
欲しいものが明確で、お互いの前提が共有されていて、遠回りしなくていい関係。
私はその構造を知っています。
だからこそリアルが刺さらなかった夜も、悲壮感からの「じゃあもう私には女風しかない」とはなりませんでした。
なくても生きられる。でも、あるから余裕がある。
依存ではなくて、拒絶でもありません。生活の一部として、そこにあるのです。それが今の私と女風の距離感だと思います。
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