“Hello”から始まった恋—スポーツクラブで出会った彼が、止まっていた時間を動かした—第1章
※この物語はフィクションです。
登場人物・団体等は実在のものとは関係ありません。
あらすじ
夫と別居中の40歳の香織は、スポーツクラブで働きながら、毎日を淡々と過ごしていた。そんなある日、カナダ人のジョンと出会う。彼の明るい笑顔に惹かれ、そして香織は英語を学び始める。
言葉や文化の違いに戸惑いながらも、少しずつ距離を縮めていく二人。ジョンのまっすぐな優しさは、自信を失っていた香織の心を少しずつ癒やし、止まっていた時間を動かしていく。
しかし、大人だからこその現実や、それぞれが抱える事情は、二人の恋を思いがけない方向へ導いていく――。
恋を通して「自分らしく生きること」の意味を見つけていく、一人の女性の再生を描いた、大人の恋愛小説。
第1章 あの日、人生が少しだけ動き出した
パート先はスポーツクラブだった。
昔からスポーツは好きだったから、パート後に運動できるのも魅力の一つだ。
フロント業務は楽しいが大変だ。
オープン時にはお客さんが長蛇の列で並び、我先にとロッカーのキーをもらいたがる。
ーーある日、3列に並ばなければいけないところを、4列になってしまった。
60代くらいの男性が言った。
「こっちの列が最初に並んだんだ!」
70代くらいの女性は、
「何言っているんですか!こちらが先ですよ。」
まるで子どものケンカだ。
いや、
子どもの方が素直かもしれない。
人生の先輩達に向かって諭す。
「はい。では交互にこちらの列に並んでくださいね。」
―やっと開店時の混雑が解消した。
たびたびバトルが繰り広げられる。
歳を重ねれば、
もっと穏やかな人間になると思っていた。
でも現実は違う。
むしろ、
年齢と一緒に“譲れないもの”が増えていくのかもしれない。
自分はこれくらいの年齢になった時には気を付けようと思った。
そんなへとへとな日々を送っていた日、
入口の自動ドアが開いた。
「Hello~」
満面の笑みであいさつした男性の二人組。
アメリカ人かな・・・
「ハ、ハロー」
カタカナ英語で返事をする。
「I'd like to join this gym.」
「・・・・Yes」
中学英語すら忘れかけていたが、多分ここに入会したいはず。
テーブルに案内して、資料を探した。
英語表記あったかな・・・
なんとか英語版の入会案内を探し出し差し出すが、困惑気味に言われた。
「I don't have a photo.」
「・・・・Yes,OK!」
さっきから私、yesしか言ってないじゃん。
そんなドタバタなやりとりが彼との始まりだった。
あとで知った。
彼はカナダ人で、
隣の陽気な男性はオーストラリア人だった。
その日から週に何回も来るようになった。
自動ドアが開くたびに、
「Hello~」
と明るく挨拶しくれる。
来ない日は自動ドアにその姿がみえるまで気にしてしまう自分がいた。
今日はこないのかな・・
たいして会話もできないけど、明るい二人が楽しそうに近づいてきて、
身振り手振りで会話してくれるのが楽しい。
もっとちゃんと喋りたいな・・
気づけば、
自動ドアが開く音に、
少しだけ期待するようになっていた。
――仕事が終わり帰宅すると、小学生の息子はゲームに夢中だ。
「宿題やったの?」
「う~ん。あとで。」
「後でじゃないでしょ。先にやっちゃいなさい。」
いつものやりとりだ。
夕飯の支度をしながら、背中越しにゲームをやめる気のない息子とバトルする。
――夫はもう半年帰ってきていない。
理由は聞かなくてもわかっていた。
スマホを見る時間が増え、
帰宅時間が遅くなり、
最後には、
「少し距離を置きたい」
と言われた。
女として見られていないことだけは、
痛いほど伝わってきた。
人格を否定されたような気分で、毎日の雑用をこなす。
ただ毎日をやり過ごすので精一杯だった。
――でも今は違う。
スポーツクラブに行けば、ジョンの笑顔が待っている。
ただのお客さんではあるが、
「Hi ! kaori~ .What's up?」
明るい笑顔で挨拶してくれる。
「It's not bad.」
覚えたての言葉で返すと、大笑いされた。
「You're interesting.」
「Thank you」
サンキューじゃないか。面白いって言われたら、なんて返すのかな?
そんな会話も楽しかった。
――玉ねぎを切りながら、
昼間のジョンの笑顔を思い出していた。
気づけば、
ひとりで笑っている。
最近こんな気持ち、
忘れていた気がする。
知らぬ間に鼻歌を歌っていた。
息子が寝た後は、眠っていた英語の辞書を片手に
今度言いたい言葉を探す。
辞書の例文を自分用に変えて、想像してみる。
英語の勉強がこんなに楽しいなんて知らなかった。
――しばらく自分で勉強していたけど、もっとちゃんと勉強したくなった。
英会話教室なんて、贅沢かな・・・
でも自分の為の時間も大切だよね。
いつも妻や母親の役目ばかりしてきた。
ふと気が付くと自分の名前を呼ばれることもなくなっていた。
○○のお母さん。
○○の奥さん。
香織ってよばれたの、久しぶりだ。
“母親”でもなく、
“妻”でもなく。
ただ、
香織と呼んでもらえたことが、
思っていた以上に嬉しかった。
――よし。英会話教室に通うことにしよう。
意を決して近くの英会話教室に向かった。
受付の女性に申し込みを告げると、入会についての説明を受けた。
しばらくすると奥から見慣れた顔の講師が現れた。
「ジョンさん。」
「kaori ?」
そこはジョンが講師をしている英会話教室だった。
これって運命?
勝手にありきたりなドラマのような出会いに困惑する。
――そして、
胸の鼓動は少しずつ速くなっていた。
ここに通えば、
もう“たまたま会うお客さん”ではなくなる。
それが嬉しいのか、
怖いのか、
まだ自分でもわからなかった。
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