<ショートショート> 既読がない地球
その地球に着いて、最初にしたことはスマホを見ることだった。
画面は普通に使えた。
時刻も表示されている。
電波も入っている。
地図も開く。
メッセージアプリも開く。
けれど、何かが違っていた。
最初は、文字の配置が少し違うだけかと思った。
私はいくつかの画面を開いた。
家族とのやりとりや、友人とのやりとり。
仕事関係の連絡。
以前送ったまま、返事が来ていないメッセージ。
どの画面を見ても、そこにあるはずの二文字がなかった。
「既読」
その表示が、どこにもない。
「送信済み」
表示されているのは、ただそれだけだった。
おかしいと思い、設定画面を開いた。
いくつかの項目を探しているうちに、私は「読了通知」というページを見つけた。
そこには、短い説明があった。
[読了通知機能は、二十年前に段階的に廃止されました。
相手が読んだかどうかを自動表示する機能は、現在すべてのメッセージサービスで使用できません]
私はその文章を何度も読んだ。
「読了通知」
つまり、私の地球でいう「既読」のことだろう。
さらに下には、廃止の理由が書かれていた。
[読了通知は、当初、連絡の効率化を目的として導入されましたが、その後、返信圧力、不安の増加、誤解、対人関係の疲労を生む要因の一つとされ、段階的に廃止されました。]
既読が、廃止された。
この地球では、昔は既読があった。
けれど、人々はそれを便利な機能として残すのではなく、手放したのだ。
私は駅前のカフェに入った。
隣の席で、制服姿の女子生徒が二人、スマホを見ながら話していた。
「昨日、彼氏から来てたメッセージ、返した?」
「まだ」
「まだ返してないの?」
「読んだ。でも、軽く返す話じゃない気がして」
「喧嘩?」
「喧嘩じゃない。これからのこと。進路とか、会う時間とか、そういう話」
「それなら、なおさら何か返した方がいいんじゃない?」
「うん。だから考えてた」
「考えてるって、相手には見えないからね」
その言葉に、私は少しだけ顔を上げた。
考えていることは、相手には見えない。
それは、既読がある地球でも同じだった。
女子生徒の一人が、しばらく画面を見つめたあと、ゆっくり文字を打ち始めた。
「読んだよ。軽く返したくないから、少し考えたい。明日ちゃんと返すから、もう少し待っててね」
彼女は、友達にも聞こえるくらいの小さな声でそう言いながら、返事を打っていた。
その一文には、既読よりも多くのものが入っている気がした。
私の地球では、既読がつけば、相手が読んだことはわかる。
でも、そこまでだ。
相手の疲れも、迷いも、言葉を選んでいる時間も、そこには表示されない。
それなのに私は、表示されていないものまで勝手に読もうとしていた。
相手からは何も言われていない。
それでも、返事のない画面を見ていると、沈黙が少しずつ別の意味を持ちはじめる。
「読んだからって、すぐ答えが出るわけじゃないよね」
隣の席の女子生徒が、ぽつりと言った。
もう一人がうなずいた。
「それを言葉にするしかないね。見えないんだから」
見えないんだから、言葉にする。
私は、その言葉を心の中で繰り返した。
この地球の人たちは、既読を失った代わりに、言葉を少しだけ取り戻したのかもしれない。
ただ、少なくとも、機械が先に相手の沈黙を暴くことはない。
沈黙に意味をつける前に、少しだけ待つ余白がある。
やがて、戻る合図が来た。
気がつくと、私は元の地球に戻っていた。
いつもの駅のホームだった。
スマホを見ると、昨日、友人に送ったメッセージが開いたままになっていた。
既読はついていた。
しかし、返事はまだなかった。
私は一度、文字を打ちかけた。
「大丈夫?」
でも、送信ボタンは押さなかった。
その一言は、優しさのようでいて、少しだけ自分の不安を相手に渡す言葉でもある気がした。
もう少し待ってみよう。
そう思った時、友人から返事が来た。
「ごめん。読んで、ちょっと考えてた」
私はほっとして、すぐに返信欄を開いた。
そして、何も考えずに短く打った。
「既読」
送信してから、私は画面を見つめた。
しまった。
既読がない地球から帰ってきたばかりなのに、私は自分の手で、既読を作っていた。
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