ライトSFP #14 時代旅行列車
「本列車は、時代旅行列車『昭和大阪号』です」
車内放送が流れた。
「東京を出発し、昭和を通って、大阪へ向かいます」
高校二年生の悠斗は、窓のない車内を見回した。
壁も天井も、すべて白い。
座席だけが、昔の新幹線を思わせる青色だった。
「本当に窓がないんだ」
悠斗が言うと、隣に座っていた祖父の正志が笑った。
「窓がないから、いいんだよ」
「普通は逆じゃない?」
「今に分かる」
ドアが閉まり、列車が静かに動き始めた。
東京駅を出たはずなのに、外の景色は見えない。
悠斗は少し落ち着かなかった。
新幹線に乗れば、ビルや線路や工場が流れていく。
それを見るのが普通だと思っていた。
やがて、左右の壁がゆっくりと明るくなった。
白い壁に、東京の街が現れる。
ただし、今の東京ではなかった。
低い建物。
昔の看板。
道路には、丸みを帯びた車が走っている。
歩いている人の服装も、今とは違う。
「これ、いつ?」
悠斗が尋ねた。
「昭和四十五年」
祖父が答えた。
「大阪万博の年だ」
列車は、実際には最新の高速鉄道だった。
しかし車内の壁には、現在の位置に合わせて、過去の風景が映し出されていた。
今、列車が品川付近を走っているなら、昭和四十五年の品川が映る。
多摩川を渡れば、当時の川沿いの風景が現れる。
小田原を通れば、昭和の小田原が映る。
単なる録画ではない。
古い写真。
映画。
地図。
新聞。
航空写真。
個人が提供した映像。
そして、当時を知る人々の記憶。
それらをAIが組み合わせ、現在の列車の位置と同期させていた。
悠斗は壁に近づいた。
「これ、本物の映像なの?」
「一部は本物。一部は復元だ」
祖父は答えた。
「どこまでが本物か分からないじゃん」
「記憶だって、そういうものだよ」
列車は速度を上げた。
車内放送も、昔のものに変わった。
少し雑音の混じった声。
今よりゆっくりした話し方。
車内販売の女性が、当時の制服を再現した服装で現れた。
「お弁当、お茶、冷凍みかんはいかがですか」
悠斗が振り返る。
「冷凍みかん?」
「昔は、よく駅で売っていた」
祖父は懐かしそうに言った。
「食べてみるか」
「硬そう」
空が広い。
遠くに富士山が見える。
悠斗は思わず声を上げた。
「きれいだな」
「昔は、もっとよく見えた」
祖父が言う。
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「昔の景色は、少しずつきれいになるんだ」
「AIが?」
祖父は首を振った。
「人間の中で」
悠斗は祖父の顔を見た。
祖父は車窓を見たままだった。
車内の壁に映る景色は、名古屋へ近づいていた。
大きな工場。
貨物列車。
小さな家。
煙突。
昔の駅。
そして、突然、祖父が身を乗り出した。
「止めてくれ」
悠斗は驚いた。
「何?」
祖父は座席の操作端末に触れた。
映像が一時停止した。
画面の隅に、小さな食堂が映っていた。
古びた看板。
赤いのれん。
店の前に、自転車が二台置かれている。
「この店を知ってるの?」
「知っている」
祖父の声が少し震えた。
「若い頃、ここで働いていた」
悠斗は画面を見た。
「名古屋に住んでたの?」
「一年だけだ」
祖父はゆっくりと話し始めた。
高校を卒業して、東京へ出る前。
祖父はこの町の工場で働いていた。
昼休みになると、同僚とこの食堂へ行った。
一番安い定食を食べた。
味噌汁をおかわりした。
給料日の前は、店の主人が代金を待ってくれた。
「この店、記録に残ってるの?」
悠斗が尋ねた。
「残っていないと思う」
「じゃあ、どうして映ってるの?」
祖父は座席の横にある記憶提供ボタンを押した。
画面に質問が表示された。
《この場所について、記憶がありますか》
祖父は、食堂の名前を入力した。
店の中の様子。
主人の顔。
壁に貼られていたメニュー。
定食の値段。
入口の横に置かれていた植木鉢。
思い出せることを、一つずつ話した。
AIは祖父の言葉を聞き取り、画像を修正していった。
ぼやけていた看板に、店の名前が現れる。
店内に、古いテーブルが並ぶ。
壁に、手書きのメニューが貼られる。
「こんな感じだった」
祖父が言った。
祖父はしばらく考えた。
「誰も覚えていなければ、最初からなかったことになる」
悠斗は黙った。
列車は再び動き始めた。
食堂は、ゆっくりと後ろへ流れていった。
それから祖父は、何度も昔の話をした。
初めて給料をもらった日のこと。
東京へ出るために夜行列車に乗ったこと。
新幹線に初めて乗ったこと。
祖母と出会ったこと。
祖母と初めて大阪へ旅行したこと。
「今回の旅行も、おばあちゃんと来たかった?」
悠斗が尋ねた。
祖父は少し笑った。
「来られたら、よかったな」
「代わり?」
「違う」
祖父は車窓を見た。
「誰かに覚えていてもらいたかったんだ」
列車が京都を過ぎると、車内の照明が少し暗くなった。
夕方の昭和の町が映る。
古い商店街。
銭湯の煙突。
路地で遊ぶ子どもたち。
家々から夕食の匂いが流れてくる。
車内には、当時の音も再現されていた。
自転車のベル。
商店の呼び込み。
テレビの音。
遠くを走る電車。
悠斗はスマートフォンを取り出そうとした。
しかし、すぐにポケットへ戻した。
撮影しても、意味がない気がした。
大阪駅が近づくと、車内放送が流れた。
「まもなく、昭和大阪駅に到着いたします」
悠斗は窓のない壁を見た。
大阪の街が近づいてくる。
高層ビルは少ない。
大きな広告看板。
路面電車。
人であふれる駅前。
列車が停止すると、ドアが開いた。
ホームには、昭和の大阪が広がっていた。
駅員の制服。
昔の案内板。
売店。
時計。
ポスター。
すべてが、昭和四十五年に合わせて作られている。
ただし、見えない場所には最新技術が使われていた。
自動翻訳。
顔認証。
防災設備。
空調管理。
医療支援AI。
利用者は、昔の不便や危険まで再現する必要はなかった。
「ずるいね」
悠斗が言った。
「何が?」
「便利なところは現代のままで、見た目だけ昔」
祖父は笑った。
「旅行なんて、だいたいそういうものだ」
二人は駅を出た。
そこからホテルまでは、昭和の路線バスを再現した送迎車に乗った。
車内には切符の箱があり、乗客は硬い紙の切符を受け取った。
ホテルは、昭和の大阪を再現した宿泊施設だった。
ロビーには大きな柱時計。
赤いじゅうたん。
真鍮の鍵。
部屋には、ブラウン管テレビの形をしたモニターと、ダイヤル式電話が置かれていた。
冷蔵庫には瓶のジュース。
机の上には、その日の昭和新聞。
窓の代わりに、壁一面の時代窓があった。
そこには、昭和の大阪の夜景が映っている。
「ホテルにも窓がない」
悠斗が言った。
「外を見たいか?」
祖父が尋ねた。
「少し」
悠斗が現代表示のボタンを押すと、壁の景色が切り替わった。
現在の大阪。
高層ビル。
高速道路。
光る看板。
遠くまで続くマンション。
同じ場所なのに、まったく違う。
悠斗は何度か、昭和と現代を切り替えた。
「どっちが本物なんだろう」
祖父が言った。
「どちらも本物だ」
「でも、昭和の方は再現だよ」
「今の大阪も、いつか再現になる」
悠斗は壁を見た。
現在の景色。
昭和の景色。
現在。
昭和。
何度切り替えても、町は同じ場所にあった。
翌朝、二人は昭和の喫茶店を再現した食堂で朝食を食べた。
厚いトースト。
ゆで卵。
小さなサラダ。
銀色のポットに入ったコーヒー。
祖父は、昨日よりもよく話した。
食堂のこと。
工場のこと。
祖母のこと。
若い頃の失敗。
一度だけ会社を辞めようと思ったこと。
悠斗が初めて聞く話ばかりだった。
帰りの列車に乗る前、駅の案内係が尋ねた。
「復路も昭和コースになさいますか」
祖父は悠斗を見た。
「どうする?」
悠斗は少し考えた。
「帰りは現代で」
「昭和はもういいのか?」
「違う」
悠斗は答えた。
「昭和は、おじいちゃんから聞く」
帰りの列車にも、窓はなかった。
壁には、現在の街が映っている。
新しい駅。
高層ビル。
太陽光発電施設。
高速道路。
工事中の建物。
見慣れた景色だった。
けれど、悠斗には昨日までとは違って見えた。
その場所に、以前は何があったのか。
誰が暮らしていたのか。
どんな店があり、誰がそこで食事をしたのか。
見えないものを、想像するようになっていた。
東京駅に近づいたとき、祖父が眠っていた。
悠斗は車内端末を開いた。
《記憶を提供する》
そこに、昨日祖父から聞いた食堂の話を入力した。
店の名前。
赤いのれん。
安い定食。
給料日前には、支払いを待ってくれた主人。
入力を終えると、画面に表示された。
《この記憶は、次の時代旅行で使用される可能性があります》
悠斗は保存ボタンを押した。
《同区間について、他の提供者の記憶と相違があります。両方の記憶を保存しました。》
壁には、現在の東京が流れていた。
――――――
あとがき
乗客が記憶を置いていくたびに、路線は少しずつ濃くなっていく。
乗るほど価値の増える交通インフラ、というものを考えてみたかった。
あなたの町の路線には、誰のどんな記憶が残せるだろうか。
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ない地球シリーズ
