ライトSFP#15 パスポートが短くなる国
男は、新しいパスポートを受け取るため、窓口を訪れた。
「こちらが新しい旅券です」
職員から渡されたパスポートを開き、男は顔をしかめた。
「ちょっと待ってください」
「何かございましたか」
「有効期間が一年になっています」
職員は端末を確認した。
「はい。一年旅券です」
「私は十年で申請しました。
手数料も払っています」
「申請内容に誤りはありません」
「だったら、なぜ一年なんですか」
職員は、男の顔を見た。 「
納税信用期間が回復していないためです」
男は黙った。
三年前、経営していた会社で、大規模な所得隠しが発覚した。
取引先へ支払ったように見せかけた架空経費。
親族名義の会社への資金移動。
海外口座に隠した売上。
すべて税務調査で発見された。
しかし、男は追徴された税金も、加算税も、罰金も支払っていた。
「全部払いましたよ」
男は言った。
「一円も残っていません」
「確認しております」
「だったら、もう終わったことでしょう」
「納付は完了しています。しかし、信用はまだ回復していません」
男はパスポートを窓口に置いた。
「金を払ったのに、まだ罰を受けるんですか」
職員は静かに答えた。
「これは罰ではありません」
「一年しか海外へ行けないなら、罰と同じでしょう」
「海外へ行くことは禁止されていません。一年ごとに、現在の納税状況と資産申告を確認させていただくだけです」
男は声を荒らげた。
「毎年、更新手続きをしろというんですか」
「はい」
「私は海外で仕事をしているんですよ」
「ですから、一年間有効な旅券が発給されています」
「こんなものでは、長期の契約ができない」
「それは、契約先の判断になります」
男は言葉を失った。
数年前までは、パスポートの有効期間は、年齢だけで決まっていた。
成人は十年または五年。
子どもは五年。
だが、新しい制度では、社会的信用によって有効期間が変わる。
十年旅券。
五年旅券。
三年旅券。
一年旅券。
そして、渡航のたびに審査を受ける一回旅券。
普通に納税している人のほとんどは、これまでどおり十年旅券を取得できる。
単純な申告ミスや、事業不振による納税の遅れは対象にならない。
税務署から指摘される前に自主的に修正した場合も、原則として期間は短縮されない。
対象となるのは、財産を意図的に隠し、虚偽の書類を作り、納税能力があるにもかかわらず税金を逃れたと認定された者だけだった。
最初の認定では五年。
悪質な場合は三年。
再犯すると一年。
海外へ財産を移した場合は、一回旅券となる。
ただし、一度短縮された期間が永久に続くわけではない。
毎年正しく申告し、納税を続ければ、信用期間は少しずつ回復する。
一年旅券から三年旅券へ。
三年旅券から五年旅券へ。
そして、最終的には十年旅券へ戻る。
制度を作った担当者は、国会でこう説明した。
「追徴税や罰金は、過去の行為に対するものです」
議員の一人が尋ねた。
「では、旅券期間の短縮は何なのですか」
担当者は答えた。
「未来の信用を確認するためのものです」
制度の導入には、強い反対があった。
海外旅行は納税者への褒美なのか。
移動の自由を制限するのか。
脱税とは無関係な家族まで影響を受けるのではないか。
「運転免許の期間制に続き、今度は旅券まで信用で縛るのか」
政府は、対象を裁判または第三者機関によって悪質と認定された者に限定した。
家族には適用しない。
納税が困難な人には適用しない。
税務署との見解の違いだけでも適用しない。
さらに、異議申立てと司法審査の制度も設けた。
それでも反対は消えなかった。
制度に反対する経営者団体の代表は、記者会見で訴えた。
「税金を支払った後まで、国民を監視する制度です。人は一度の過ちで、いつまで信用を失わなければならないのでしょうか」
その映像を見ていた一人の会社員が、テレビに向かってつぶやいた。
「払わなかった期間と同じくらいじゃないか」
会社員は三十年間、一度も申告期限を破ったことがなかった。
給料から税金が引かれ、買い物をするたびに消費税を払っていた。
海外旅行へ行ったのは、新婚旅行の一度だけだった。
十年旅券を持っていたが、ほとんど使わないまま期限が切れた。 それでも、毎年税金を払っていた。
道路を使うため。 災害が起きたとき、誰かが救助されるため。
自分が直接使わないものにも、税金を払っていた。
一方、一年旅券を受け取った男は、窓口から動かなかった。
「私は雇用を生み出してきたんですよ」
職員は黙っていた。
「何百人という社員を養ってきた。会社が払った税金だって、相当な金額です」
「はい」
「少しくらい申告に問題があっても、十分に国へ貢献したはずです」
職員は端末を操作した。
「お客様が隠していた税額で、小学校を一校、十年間運営できるという試算が提出されています」
男は職員をにらんだ。
「数字の話でしょう」
「税金は、すべて数字です」
職員は一度言葉を切った。
「使われるまでは」
男は一年旅券を手に、庁舎を出た。
入口の近くに、小さな旅行代理店があった。
店頭の画面には、世界各地の映像が流れている。
パリ。
ニューヨーク。
シンガポール。
ドバイ。
男はドバイの映像の前で立ち止まった。
海外口座に資金を移したとき、何度も訪れた街だった。
画面の下に、広告が表示された。
《十年旅券保有者限定・世界一周信用ツアー》
婚活サイトのプロフィール欄に、『旅券:十年』という項目が増えたらしい。
そんなニュースを、どこかで見た。
男は鼻で笑った。
そこへ、小学生くらいの男の子が母親と歩いてきた。
男の子は、母親が持っているパスポートを見て尋ねた。
「お母さんのは、何年?」
「十年よ」
「どうして十年なの?」
母親は少し考えてから答えた。
「十年間、外国へ行っても大丈夫だと思ってもらえているからかな」
「どうしたら、そう思ってもらえるの?」
「約束を守ることなのかな」
「外国との約束?」
母親は首を横に振った。
「まず、自分の国との約束」
男は一年旅券を上着の内側へ入れた。
翌年、男は再び旅券窓口を訪れた。
「こちらが新しい旅券です」
男は、その場で有効期間を確認した。
一年だった。
「去年は、正しく申告しました」
「確認しております」
「税金も期限どおり払いました」
「はい」
「それなのに、また一年ですか」 職員は説明した。
「信用回復には、三年間の継続が必要です」
「一度守っただけでは足りないと?」
「信用とは、そういうものです」
男は何も言わず、パスポートを受け取った。
さらに一年後。 その次の年も、男は正しく申告し、期限どおり納税した。
四度目に窓口を訪れたとき、職員は新しいパスポートを渡した。
男は有効期間を確認した。
三年。
「十年ではないんですね」
「はい」
「でも、一年でもない」
「はい」 男はパスポートを閉じた。
「次は、何年ですか」
職員は答えた。
「それを決めるのは、私たちではありません」
「では、誰が決めるんですか」
職員は、男の手にあるパスポートを見た。
「これからの、あなたです」
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