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ホームについて(エッセイ)


ホームは、移動のための場所なのに、時間が一番止まって見える。

電車を待つ人は、たいてい同じ方向を向いて立っている。

けれど、同じ時間を過ごしているようには見えない。

画面に沈む人。

表示板を何度も見上げる人。

ただ線路の先を見たままの人。

時間は同じ速さで流れているはずなのに、その使われ方だけがばらばらだ。

ホームの時間は、何もしていない時間として片づけられやすい。

移動と移動のあいだに挟まった、名前のない時間として。

けれど、完全な空白でもない。

考えが進むこともある。

何も考えずに済むこともある。

そのどちらも、たいていは選ばれていない。

ホームには、始まりかけたまま保留されている時間がある。

行き先は決まっている。

けれど、その先の一日はまだ始まっていない。

だからここでは、時間だけが先に止まって見える。

ホームで過ごした時間は、後から思い出そうとしても、ほとんど形を持たない。

それでも、その積み重ねの中で、考え方や感じ方だけが少しずつ動いている気もする。

ホームは無駄な場所ではない。

ただ、多くの場合、使い道のはっきりしない時間として通り過ぎる。

何をするか決めないまま立っていられること。

それが、この場所の機能なのかもしれない。

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