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super_acacia155
ホームについて(エッセイ)
ホームは、移動のための場所なのに、時間が一番止まって見える。
電車を待つ人は、たいてい同じ方向を向いて立っている。
けれど、同じ時間を過ごしているようには見えない。
画面に沈む人。
表示板を何度も見上げる人。
ただ線路の先を見たままの人。
時間は同じ速さで流れているはずなのに、その使われ方だけがばらばらだ。
ホームの時間は、何もしていない時間として片づけられやすい。
移動と移動のあいだに挟まった、名前のない時間として。
けれど、完全な空白でもない。
考えが進むこともある。
何も考えずに済むこともある。
そのどちらも、たいていは選ばれていない。
ホームには、始まりかけたまま保留されている時間がある。
行き先は決まっている。
けれど、その先の一日はまだ始まっていない。
だからここでは、時間だけが先に止まって見える。
ホームで過ごした時間は、後から思い出そうとしても、ほとんど形を持たない。
それでも、その積み重ねの中で、考え方や感じ方だけが少しずつ動いている気もする。
ホームは無駄な場所ではない。
ただ、多くの場合、使い道のはっきりしない時間として通り過ぎる。
何をするか決めないまま立っていられること。
それが、この場所の機能なのかもしれない。
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