【余命 第3話】“余命半年”と言われた妻は元気で、父の最期は突然だった
「余命半年」と言われた妻・遥(はるか)は平穏な日々を過ごすなか、父は静かに去った。震災と重なる日々の中で、僕は“死”と“生きる”を同時に見つめ直していた。
やはり、一寸先は闇だ。
遥(はるか)は「余命半年」と
告げられていたが、
脱毛や足のむくみといった副作用は
あったものの、
半年が過ぎても病状に
大きな変化はなかった。
あの日、
医師の告知を受けた直後に、
妻が微笑んでいるかように
見えたのを思い出す。
もしかしたら、
彼女には、半年後も変わらずに
過ごす自分の姿が見えていたのだろうか。
そんな中でも、
家族の間には少しずつ変化が生まれていた。
「子どもたちには、余命のことは言わないでほしい」
――それが、遥(はるか)の願いだった。
心配や負担をかけたくない
という気持ちを僕も分かっていた。
けれど、
娘は高校2年生、
息子は社会人1年目。
もう子どもという年齢ではない。
ある冬の日、母親の「余命半年」と
いう現実を家族全員で共有した。
それを機に、ほんの少しだが、
子どもたちは家事を手伝うようになった。
今では、あのとき話してよかったと思っている。
告知から半年後、
日本にとっても忘れられない日が訪れた。
――2011年3月11日、東日本大震災。
死者・行方不明者は2万2千人を超え、
世界が揺れた日だった。
けれど僕にとっては、
あの混乱と衝撃のなかに
「我が家」もあった
ような気がしていた。
もし医師の言葉通りに命が尽きていたなら、
ちょうどあの震災と同じ頃、
遥(はるか)もこの世にいなかったことになる。
それを思えば、震災後も変わらずに
遥(はるか)がそばにいてくれることは、
奇跡のようだった。
一方の父は、
認知症と身体の衰えが急速に進み、
施設に入り、入退院を繰り返していた。
震災の翌日、病室を訪れると、
父は新聞を広げて言った。
「大変なことが起きたなぁ…」
そして、続けてこうつぶやいた。
「遥(はるか)の
おっぱい(乳がん)、大丈夫か…?」
自分も弱っているというのに、
遥(はるか)のことを案じてくれていた。
その言葉に、胸が締めつけられた。
その2ヶ月後、父は病状が悪化し、
この世を去った。
父の死は、僕に「死」というものを
現実として突きつけた。
けれどそれは、恐怖や絶望ではなかった。
「死もまた、自然なことなのだ」
そう思えるようになったのは、
父の死を間近で
見たからこそだと思っている。
遥(はるか)は、1年が過ぎ、2年が過ぎ、
3年が過ぎても、大きな変化はなかった。
当時の彼女の生活は、
見た目にも穏やかで充実していた。
家ではパッチワークに夢中になり、
韓流アイドルグループの
ファン活動にも熱を入れていた。
頻繁ではないにしろ、
娘や友人と旅行やライブにも出かけていた。
車で片道6時間という遠出さえも。
「自分らしく、今を生きる」
その姿に、僕は何度も励まされた。
支えるというより、
学ばされることばかりだった。
そのうち、僕たち家族は思うようになった。
――あの医師の「余命半年」という言葉は、
間違っていたんじゃないか、と。
僕自身はというと、
告知から1年ほどは、精神的に参っていた。
うつ症状も重なり、
週末は朝から晩まで寝込むことも多かった。
父の死後には、年金や相続など、
初めての手続きが山ほどあった。
司法書士に任せる性格ではなかったから、
自分で役所や法務局に何度も足を運んだ。
そんな小さな日々の経験の積み重ねが、
少しずつ僕を現実へと
引き戻してくれたのかもしれない。
父のことが一区切りついた頃、
ようやく「自分の家庭」にも
目が向くようになっていった。
その最初の一歩が――料理だった。
【まとめ】
・遥(はるか)は「余命半年」と告げられながらも、変わらずに日常を楽しんでいた
・子どもたちには現実を伝え、家族で支え合う時間が生まれた
・東日本大震災と妻の告知の時期が重なり、生の奇跡を実感した
・父は最期まで遥(はるか)を案じながら逝き、その死が「死の自然さ」を教えてくれた
・遥(はるか)の姿から「今を生きる強さ」を学び、僕自身も少しずつ現実に戻っていった
――誰も予測できない未来の中で、
ただ確かなのは「今ここにある命」。
その尊さを教えてくれたのは、
父のし死と妻・遥(はるか)の生きざま、
そして家族の時間だった。
最後まで
お読みいただきありがとうございます。
この続編【余命 第4話】では、
そして、ついに妻・遥(はるか)の命も…。
せび、次も続けてお読みください。
いいなと思ったら応援しよう!
この記事が、あなたの心にちょっとでも寄り添えたなら、サポートしていただけると、とても励みになります。
いただいたチップは、これからの執筆活動と、同じように悩む誰かへの物語づくりに大切に使わせていただきます。