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【余命 第4話】「大丈夫、僕がいるから」──それが最後の言葉だった

妻・遥(はるか)にたむけた
僕の最期の言葉は「大丈夫、僕がいるから」。
余命半年を超えてくれた3年半の時間は、
苦しみと共に、何よりも深い贈り物だった。


告知から3年。

平穏に見えた 遥(はるか)の病状が、
この頃から少しずつ変わり始めた。

急に痩せ、体力も落ちてきた。
秋のある日、突然入院することになった。

見込みは2〜3週間程度と聞かされたが、
僕の中では、
「もう家に戻れないかもしれない」という
予感があった。

やはり3週間経っても、
遥(はるか)は帰ってこなかった。

それから僕は、
昼休みに毎日病院へ通うようになる。

遥(はるか)は、病院食を食べ、
僕は、朝作ったお弁当を食べる。

食べながら、
話せるのはわずか10〜15分。

夜は子どもたちの食事があり、
平日の夜は、面会が難しかったからだ。

「病院食がまずい」と妻は笑う。

リクエストされた「いちご」や「プリン」を
持って、僕は日々病室に足を運んだ。

この昼休みの病室通いは、
2ヶ月、3ヶ月と続いた。

冬の寒さとともに、
容体はさらに変化していった。

事前に同意していた
緩和ケアとモルヒネ投与が
必要な段階に入った。

いよいよその時が近いのか——

僕は何かに祈るような気持ちで
いっぱいになった。

遥(はるか)もそれを察し、
珍しくこんな言葉を口にした。
「お父さん、どうしよう。」

これから自分がどうなるのか、
さぞ不安だったのだろう。

僕は「大丈夫。大丈夫。僕がいるから大丈夫。」と返すのが精一杯だった。

実際、これが最後の会話となった。


モルヒネを打たれた後、
言葉は交わせなくなった。

振り返れば、
あの時が実質的な「お別れ」だったのだ。

数日前から、
妻の実家の母も病室に来てくれていた。
妻とのLINEが途絶え、
急いで駆けつけてくれたのだった。

最後には、子どもたち2人も加わり、
4人で病室に詰めて妻を励まし続けた。

しかし、モニターの波形と数字は
少しずつ弱まり、
やがて妻の呼吸は静かに止まった。

◇ ◇ ◇

翌日から、僕と子どもたちは、
家族を失った現実を静かに受け入れていった。

それは、
3人だけで生活を回していくということ。

入院中も遥(はるか)は家にいなかったが、
もう二度と帰ってこないという事実は、
あまりにも重かった。

しかし、この3年半で、
僕は実践を通して生活力を身につけ、
考え方もたくましくなった。

簡単には折れない精神力も手に入れた。
だからこそ、遥(はるか)には
感謝してもしきれない。

そして、宣告された「余命半年」を
大きく超え、
「+3年」「合計3年半」の時間をくれたこと。

それは、妻から僕への
——かけがえのない
「無形のプレゼント」だった。


【まとめ】
・平穏に見えた3年後、妻の容体が悪化し入院
・昼休みの短い面会を重ね、食べ物でささやかな支えを続けた
・モルヒネ投与後、最後の会話は「大丈夫、僕がいるから」
・子どもたちと母も見守る中、妻は静かに息を引き取った
・3年半の闘病で、生活力と精神的な強さを身につけた
・妻が残した時間は「無形のプレゼント」として心に刻まれた

最期まで寄り添い合えたことが、
何よりの誇りだった。
そして僕の中で、妻はいまも生き続けている。


最後まで
お読みいただきありがとうございます。

この続編【余命 第5話】では、
このような経験のなか、少しづつ
僕が立ち直っていった足跡を綴っています。
同じような絶望を味わっている方が
立ち直れるきっかけになるかもしれません。
ぜひ、お読みください。

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澪(みお)│人生探究家│📖note実験室|フォロバ100% この記事が、あなたの心にちょっとでも寄り添えたなら、サポートしていただけると、とても励みになります。 いただいたチップは、これからの執筆活動と、同じように悩む誰かへの物語づくりに大切に使わせていただきます。