私の病歴(精神科の診断)のはなし
PTSD
47歳で他界した私の母は、私がお腹に居る頃からすでに父から暴力を受けていた。
そのストレスか、初めての子育てで真面目な性格が出過ぎてしまったのか、私は母から、しつけという名の暴力を受けていた。
中学生になり、これはしつけなどではなく
母のヒステリーの対象なのだと気づくまで、
閉め出されたり叩かれたりするほどの悪い事を、自分がした記憶はない。
むしろ優等生で、勉強も自ら行い成績も良く
月曜から土曜までびっしりと習い事が入っていて、ピアノやバイオリンは毎日数時間練習しなければならなかった。
それが苦痛になってやめたいと言った時や、うまく弾けなかった時、友達と遊びに行きたいと強く希望した時や、口ごたえをした時に叩かれていたと思う。
深夜になると、父の怒声、母の叫び声、物が飛んで壊れる大きな音に怯えていた。
10歳の時に、「死にたい」と強く思い始めた。
これははっきりと覚えているのだが、それ
以外の楽しかった記憶や、学校での思い出、
私が6歳の時に産まれて一緒に過ごしていたはずの妹の存在も、記憶のどこにも居ない。
中学生になったある日、友達とおとりさん
(酉の市)に行くことになった。
受験勉強を機に、習い事は中断していて、
中学に入るとすぐに部活を始めていた。
下校が17時頃、
それからお祭りに行くのだが門限は19時。
行き帰りの時間もあるのでほんの少ししか
楽しめず、「わたし帰らなくちゃ」と息を切らせて自転車をこいだ。
家のチャイムを鳴らしたのは19時1分………
入れてもらえなかった。
まだ冬物のコートを着るほどの気候でもなく
薄手の長袖で出掛けていたので、時間が経つにつれて耳も痛くて震えが止まらない。
「ごめんなさい、お願い中に入れて😭」
母から返って来たことばは、
「お父さんが帰って来るまでそこに居なさい」
「いつも私がどんな気持ちで待ってるか!!!!」
プツンっ…
私の中の張り詰めていた何かが切れた。
その日父が帰宅したのは日が変わる頃。
部屋に入るなり布団に潜り込んだけど、
「寒い、、寒いよぉぉ😭😭😭」
布団を何枚重ねても重ねても寒くて、たぶん
低体温症だったのだと思う。
それから40度の高熱が出た。
その日から、父や母に口を開いたことは
ほとんど無かった。
何を言われても、そこに母は居ないように
過ごす私にまた手が上がったけれど、小柄な私は力ではまだ勝てる気がしなかったので、
そのへんにあったリコーダーやら何やら
とにかく硬いもので、青アザができるほどに
とにかく無言で殴り返した。
ぶつけていたのは、10年以上の恨みだったのかもしれない。
その日から、母が私に手をあげることは無く
壊れ物に触るように、返事がなければ引き下がっていった。
同じ屋根の下に妹が居たはずなのだが、
そういう時、彼女がどうしていたのか
本当に記憶が飛んでいる。
両親とも妹には甘く、のびのびと遊んでいたから妹に対する嫉妬などもあって記憶が乖離しているのかもしれない。
表だって嫉妬していることなどまったく無く
仲は良いのですが…
話は飛んで、26歳。
同棲する相手から4年近くDVを受けていた。
疲れ果て、最後はシェルターに入れてもらい
摂食障害で初めて心療内科へ連れて行かれた
体重計に乗って、34,33,32,31,30…29キロ台が見えた時、このまま消えていけるという錯覚に陥った。お腹も空かなくなった。
「死にたいのだ」と口にすると、
精神科入院となった。
当時の診断は、
PTSDによる抑うつ、摂食障害だったと思う。
長くなりそうだ。
この辺でいったん終わって分けよっ…🥴
本当は、パニック時の頓服がヒルナミンで、
ずどーんと重くなる上に、幻聴幻覚まであるから変えてもらったさ。
っていう話を書きたかったのに、前置きが
長すぎてPTSDで一記事になりますた🙃
関連no+e
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