見出し画像

「明日から来なくていいってことですか?」1on1での対話を諦め、スクラムを鉄の檻で守り切った記録『マネーボール』

「クビですか」と言う彼は、トキシックワーカーなのか

PO(プロダクトオーナー)としてスクラム開発をしていたときのことです。あるエンジニアのタスクが滞り、スプリントが完了しないことが増えていました。
チームで成果を出すため、スプリント計画時に、ポイントの大きいタスクを30分から15分のサイズに分解し、メンバーで割り振ることを提案しました。スキルが高くなくても手を出しやすく、チーム全員でタスクを前に進めるための、ごく自然なアイデアのつもりでした。

しかし、彼から返ってきたのは、血の気の引くような一言でした。
「たまみさん、もう明日から来なくていいって事ですか?」
仕事を取り上げられた、不要だと切り捨てられた、彼は本気で被害妄想を膨らませていました。何の話をしているのか、一瞬頭が真っ白になりました。

振り返れば、彼は日常の言動からして、チームで仕事をする前提がズレていました。

  • PBIの説明を指示と受け取る:POが作るユーザーストーリーを全て「指示」と受け取り、認識を合わせるための確認も質問もしない。

  • PRレビューを批判と受け取る:コードへの指摘を否定と受け取り、「じゃあ、正しいコードを教えてください」と開き直り、理由や意図を確認しない。

  • レトロスペクティブは個人の話だけ:チームが主語ではなく、個人の感想や反省ばかりで、改善に繋がらない。

1on1を重ねるほど深みにはまるPOの孤独

私自身、話の噛み合わない上長との関係に苦しんだ末、転職した過去がありました。だからこそ、最初から彼を突き放すような真似は出来ませんでした。

それに、このチームには過去にストレッチタスクと密な対話を重ねることで、苦境を乗り越え見違えるように成長したメンバーがいました。「愚直に向き合えば、いつか変わるはず」という成功体験が、私の中にありました。

しかし、どれだけ対話を重ねても、彼から返ってくるのは被害者面と言い訳だけでした。
「たまみさんの言い方だと、僕はそう受け取ってしまいました」
1on1を重ねるほど、彼は被害妄想の深みへ陥っていく悪循環。自分の育成力のなさを深く責め、一人で抱え込んで精神が壊れそうになっていました。

そんな私を救ってくれたのは、他のメンバーでした。
「彼は裏でこう言ってました、たまみさんの話が伝わっていない気がします」客観的な状況を報告してくれ、先輩として彼に働きかけてくれました。
さらに、彼の元上長からは貴重な助言をもらいました。「彼は受け取り方の癖があり、私もかなり苦労しました」

どんな組織も自分とコミュニケーションの波長が合う人ばかりではないことは頭では分かっていましたが、一人で孤独に潰れそうだった私を救ってくれた周囲の存在に触れたとき、私の腹は固まりました。

「一人で彼を何とかするという考えを捨てよう。チーム全体にとって彼がいてもプラスになるような強固な仕組みを作ることが、私の責任だ」と。

マネーボール』(2011年公開)監督:ベネット・ミラー ジャンル:ヒューマンドラマ / スポーツ 評価スコア:IMDb ★7.6/10 ・ Filmarks ★3.7/5 概要:メジャーリーグの貧乏球団オークランド・アスレチックス。GMのビリー・ビーンが統計学に基づいた独自の理論「マネーボール理論」を武器に、資金力のある金満球団を相手に奇跡を起こす。

対話で分かち合える幻想と、『マネーボール』の軌跡

『マネーボール』でゼネラルマネージャーのビリー・ビーンも、自らがかつて高校時代にスカウトの言葉を鵜呑みにして進学を捨て、プロで挫折したトラウマを抱えていました。
だからこそ彼は、長年の勘と経験を信じる古いスカウト陣や監督に対し、情や感覚で対話することの危険さを誰よりも知っていたのです。彼が持ち込んだ「出塁率」という合理的な指標は、古いスカウトたちからすれば自分たちの正義に反する敵でしかありませんでした。

私は「議論を尽くせば、分かってもらえる」と願っていたのかもしれません。しかし、目の前で起きていることは、前提の異なる人と人が言葉だけで歩み寄ることは不可能という事実です。

ビリーが直面したのは、野球のやり方の違いではなく「古い前提から抜け出せない人間との溝」でした。組織を変えるときに必要なのは、対話だけではなく、歪んだ解釈を挟ませない堅牢な枠組みです。

ここから先は、密室の1on1を捨てて、公開のガバナンス構造をスクラムの現場に持ち込むことで、個人の思い込みを物理的に封じ込めた実践のノウハウを明かします。個人に寄り添い過ぎず、チームで成果を上げたい人だけ、読み進めてください。


チーム全員をオープンな「構造」で篩にかける

当時はコロナ直後で、すべての業務がオンラインで進行していました。
対面と違い、画面越しでは細かいニュアンスが脱落し、統制のない会議は「声の大きい人の主張」や「個人の思い込み」に侵食されます。1on1では、こちらの意図がどう届くかコントロールできません。

そこで私は、ホラクラシー組織の形式を応用し、主要なスクラムイベントに公開の枠組みを設定しました。

  • 発言の指名制:ファシリテーター(スクラムマスター)の指名がない限り発言不可。全員に均等に順番に発言権を与え、割り込みを抑制し、脱線時は即座に「まった」をかけて進行をコントロールする。(リファインメント)

  • 発言のフェーズ分離:「質問フェーズ」ではポイントづけに必要な問いのみ、「リアクションフェーズ」は手上げと指名により、懸念の「表明のみ」とし、その場での議論を一切禁じる。(リファインメント)

  • 全発言の公開:発言や回答はGithub ProjectsのPBIのコメント欄に全てテキスト化。「話したこと、決めたこと、決めなかったこと」を分けて、解釈の隙をログで塞ぐ。(リファインメント、レトロスペクティブ)

  • 個人とチームの分離:個人の感情は付箋に書いてもいいが、議論するのは「チームの話」に限定する。「代案なき反対」は無効とし、無責任な感情論を無力化する。(リファインメント、レトロスペクティブ)

衆人環視の会議体の中では、悲劇のヒロインを演じる隙は1秒もありません。
他チームから「彼がたまみさんにこう言われたと言ってましたよ」と聞いても、もう私は本人に直接確認する愚は犯しませんでした。

対話を諦めた私と、前進し始めたチームの結末

仕組みを導入して1ヶ月後、スクラムを停滞させていた無駄なやり取りは一掃され、スプリント完了率は安定し始めました。

一方、自分の言い分を取り上げてもらえる場を失った彼は、間もなく「別のプロジェクトに移りたい」と自ら申し出て、静かにチームを去っていきました。

彼がスクラム開発をやりたいと言って異動してきた日のことを思い出すと、チームで仕事をする面白さに引き込めなかった悔しさは残ります。しかし、彼を責めて潰すことなく、お互いの尊厳を守ったままチームを正常化させる。これが、POとしての精一杯の誠実さでした。

ただの会議をチームの投資に変える5つの基準

あなたがもし、コミュニケーションの難しいメンバーに振り回され、チームをどのように運営していくか悩んでいるなら、以下の5つの型を適用してください。

  1. 【主観の排除】個人の見解を結論と言い張らせていないか
    主張や思い込みを結論と称する勘違いを禁じる。問いに対する事実と選択肢を短いチャンクで話させ、結論はチームで出す。

  2. 【機会の平準化】独演会や、黙ってやり過ごす偏りを放置していないか
    ファシリテーターの指名制で発言時間をコントロールし、声の大きい人の独断や、発言せず沈黙で逃げようとするメンバーにも均等に説明責任を持たせる。

  3. 【フェーズ分離】共有・質疑・相談の時間枠を混ぜていないか
    共有・質疑の場で持論や不満を語らせず、相談・検討の場では代案なき反対を無効化して、不毛なやり取りを構造的に排除する。

  4. 【決定権の明示】誰が決めるかを曖昧にしたまま議論させていないか
    決定権者を明示し、議論と実行を分離する。一度決まった方針には納得感に関わらずチームとして従う「Disagree and Commit」を徹底する。

  5. 【場の分離】チーム課題を密室の1on1に持ち込んでいないか
    会議ではチームのイシューのみを扱い、1on1は個人のケアだけに限定する。密室の1on1を交渉や説得の場にしない。

あなたは、まだ「言葉で分かち合える」と信じ続けますか?

ビリーがアスレチックスを再建できたのは、誰からも嫌われない善人であり続けたからではありません。誰かの居場所を奪い、選択肢を物理的に削る非情さを引き受けたからです。

言葉が通じない相手に「対話」だけで向き合い続けるのは、誠実さではなく、他のメンバーへの「裏切り」になります。
周囲から「冷たい」と囁かれても、チームのミッションを守るために線引きをしたあなたの判断は、決して間違いではありません。


もし、この思考の跡があなたの「武器」や「盾」の一助となったなら、「スキ」をいただけると幸いです。
画面の向こうに、同じ景色を見ている誰かがいる。それだけで、明日もまた現場に立てる気がします。

ここから先は

0字
2026年12月末までに全20本(有料記事6本含む)をお届け

本当に価値あるものをつくるために、現場は何を捨てるべきか。 アジャイル開発の罠、形骸化したスクラム、技術負債、生成AIへの適応など、プロダ…

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?