真夜中ベーカリーの誘惑|掌編小説 片想い文芸部
1223字
真夜中に営業するパン屋さんがある。
日中忙しくて、ゆっくり食事ができなかったひと、夜に働くひと。
社会のすきまにこぼれてしまう人々を、暗闇に浮かぶ灯りと小麦の香りで、ほんのひととき救う場所。
駄菓子屋さんをリノベーションした建物には、子どもたちの笑い声が響いてきそうなぬくもりがある。
夜中に炭水化物を摂取する? そんな罪悪感に対応するためか、店内にはころんとしたミニサイズのパンコーナーがあり、萌夏のお気に入りだ。
「きな粉とくるみ」、クリームパン「あふれ出るカスタードの情熱」、チョコが練り込まれた「ちょこちょこデニッシュ」。
「ソーセージとコーン」「大人スパイシーカレーパン」「ドライトマトとクリームチーズ」の惣菜パン。
てのひらサイズだからと、思わず複数を手にとるのはご愛嬌。
なかでもイチオシは、大小の気泡が入ったハード系バゲット。
パン教室に通う姉いわく、一次発酵の段階でしっかり気泡ができれば、形状がキープされる。
いつ見てもクオリティが一定だから、この店主の腕はたしかみたい。
「りんごとレーズンで天然酵母を育ててんだけど、もう発酵したあわあわがいとおしくて」
今までは聞き流していた姉のパントーク。
何者でもなかった材料を配合し混ぜ合わせ、寝かせる。こねて叩いて成形し、卵白を塗るなどしてオーブンへ。仕上がりは神頼み。想像どおりかそれ以上にぷっくり成長した我が子にフィリングを入れ、自信を持って店頭へ。
子育てそのものだという主張は、はずれてはいないのかも。
小麦と塩、水だけのハードボイルドな感じがめちゃくちゃいい。カリッとしたてっぺんスライスが当たったらラッキーデイ。
弾力のあるバゲット生地をかみしめれば、小麦の甘みとうまみが仕事の疲れをふわっと包み、かき消してくれる。
廃棄処分寸前の商品をパン屋さんから預かって販売する仕組みもあり、全体的にやさしい価格設定。
経営は大丈夫なのかなあ、といらぬ心配をしながら、イートインでまったり。カフェインレスコーヒーを頼めるのも至れり尽くせりだ。
「残業おつかれさま、わたし会」を開催していたら、毎回のように目にする客に気づいた。
彼も勤め人のよう。ネクタイをすこし緩めて腕まくりし、やる気満々でパンにかぶりつく。
どんなガッツリ系かと思いきや、手にしているのはかわいらしいサイズのミルクフランス。ほかの種類をえらぶ気配はゼロ。
ふふっと萌夏が笑ったタイミングで、ふたりの視線がぶつかる。
「あ、こんばんは……」
どうも、と声に出さずに会釈が返ってきた。
何度か顔を合わせるうち、言葉を交わすようになった。
「おいしいですよね、ここのミルクフランス。粗塩の食感と甘じょっぱさがたまらん! って感じ」
口いっぱいにほおばっている彼は、顔と目で必死に同意してくれる。
自分史上ナンバーワンのミルクフランスである。とばかりに、うなずきながら親指を立てた。
毎度毎度、口の端にクリームをつけているのは、相当あざとい。
(おわり)

Eijyoさんのパン生地……じゃなくてパン記事に創作意欲(食欲だろ)を刺激され、できたお話です
ありがとうございます♬
ナルさんの企画に参加いたします
パンの気泡で炭酸刺繡て……
とうとうネタ切れしたようです(∀`*ゞ)エヘヘ

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