照射|黒猫といふ装置|あわいの掌編集5|シロクマ文芸部《猫を飼う》
猫を飼ふなら黒猫がいいわ。
ひととき互いに心を寄せ合っていた人が、むかしそう言った。
どうして、と問えば、彼女は薄く笑った。
黒猫が道端を横切るたびに、その薄かった幸せが胸を刺す。
でも、そのあと彼女が何を言ったのか、思い出せない。
いや、抗って奥底に仕舞い込んでいただけかもしれない。
しかし、そのやせた黒猫が闇に紛れて庭に紛れ込んできたとき、
つひにその続きが、形をもって脳裏に現れた。
木戸が、静かに軋みながら閉まった。
さうすれば、黒猫に遭ふ度、貴方はわたしを思ひ出すでせう──
ああ、とうとうしてやられた。
黒猫は、その言葉の続きを聞いているやうに、
こちらをじっと見上げていた。
──黒猫は時限装置よ。
あの頃は、わたしたちは圧倒的に若くて、未来を疑わなかった。
その瞳の色は彼女の面影を宿していたけれど、記憶の中の彼女は若いままで、
対して、その瞳が鑑のやうに映す自分は、あの頃のわたしではない。
わたしは黒猫を、そっと招き入れた。
招き猫ではない。ただ、わたしが猫を招いた。
黒猫は、そこかしこに残った思ひ出の欠片を一瞥し、
まるで積み重なった時間を量るやうに、満足げに座り込んだ。
わたしは、その猫をただ「クロ」と呼んでみた。
まだ何者でもないしなやかな娘猫は、「にゃー」とだけ応へた。
わたしは、傷だらけの無骨なカラビナを、抽斗の奥へそっと滑らせた。
奥底で、かちりとやけに金属質な音がした。
まるで、何かがつひに噛み合ったやうな。
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