三つの名 秋桜とコスモスと大波斯菊と|風まかせ文芸部《名前》
春の桜、葉桜となりし頃、ふと秋の気配を思い出したり。
まこと無粋なれど、脳裏に名について綴りし短篇が蘇りき。
◇秋桜
聞いていたFMラジオから、百恵の「秋桜」が流れ来たり。
哀愁帯びし秋の歌に、今日が寒露なるを知る。
いつの間にやら秋は来ぬ。
三つ名を持つ秋の花のごとく、三つの名を持つ里山を巡れば、秋の気配とふるさとの匂ひ、胸奥にひそやかに満ちゆく。
◇名付くこと
古来、わが国には実名を敬避する習俗がありき。
名は人格と結びつきし特別なるものにて、真名を口にすれば、その人を支配せんとの思想ありし。これを展開すれば、名は他者に知らるるべからず、との思考にも至る。
故に命名とは、対象との特別なる縁を結ばんとする命名者の意志の発露なり。
その身近なる例、両親が子に与ふる名である。名は愛を結ぶしるしにして、また、ときに逃れがたき縁ともなる。
赤みを帯びはじめし空に向かいて、己が名の響きを溶かすとき、我が名を誰かに呼ばれし遠い日の記憶を思い起こす。その声は誰そ、と、密かに噛みしめたり。
とりわけ命名の縁が所有の意思に基づくとき、そこには領有権や命令権の発動が含まれる。かの神隠しの湯屋において、働かんと申し出た少女の名が奪はれ、別の名が与えられし象徴的な契約の場面ありき。
ネーミングライツの売却など、当に名を介する支配権の譲渡なり。即ち「貴方にすべてを委ねん」との、全面的服従の印である。
◇山の名は。
名の力は人の間のみにあらず、自然の事物にも宿らむ。名付けられ呼ばれ続ければ、それもまた関係なり。山名とは、ヤマとヒトとの関わりを明示する記憶装置である。
両者のあわいが近年まで近きにあれば、山に固有の名が留めらるること必然なり。
故に、三地籍の境に立つその山が、旧U村よりはU山、旧S村よりはS山、旧T村よりはT山、と呼ばるるも必定。人々がそれぞれに「おらが山」を眺め、愛着を以てそれぞれの名を呼び続けし証なり。
あなたも、関わる人の数だけ、呼はれ方が変わることもあらむ。その人多かれば、付けられし名前も増える。即ち、複数の山名は、ヤマとヒトの歴史を静かに語りかけるものなり。
道はつと里を離れ、山道へと入りぬ。
野路の石仏は、いにしえの思ひを現代に伝えけり。久しく人の手の及ばざりて、忘れ去られんとする里山の歴史、ここに垣間見ゆ。山名の思索などに耽りつつ、心の奥底の好奇心をくすぐられながら先に進まん。
踏み跡薄き道には、伐採と萌芽が繰り返され、奇怪なる姿になりしコナラの巨木。大きなオスジカが一声鋭く鳴き、目の前を横切っていく。ふと、山中に独りぽつねんと立ちをる我が心に触る。独り故に思ふ。
奥山ならぬ里山に、落ち葉踏み分け鳴く鹿の声は、どこかもの悲しい。
◇あなたの優しさが沁みてくる
頂には、花崗岩のケルンに囲まれたる三角点、傷つきながらも独り立ちたり。
山名には、三山の名併記されたり。登山道はそこにて途切れ、そこより先は頼りなき踏み跡のみ、見えざりし国境に沿ひて続きけり。
麓に下り来たり、江戸の昔に栄えし街道を踏みしめる。細く頼りなき道にも、往来の息づかひぞ聞こゆ。
道とは、人の作りし生き物なりて、往来多ければ命を繋ぎ、途絶えれば息絶えん。
山を降りれば、秋が一段深まり、往還の傍ら、淡桃のコスモスが揺れおる。
その姿に、秋の豊かさと里山と人々の営みの連続性を感じ入る。
はじめて呼ばれし名の記憶、秋風にふと蘇る。
この名を与えてくれし両親の優しさが沁み、感謝の念、胸満ちたり。
かく温かな陽の穏やかな日は、もう少しあなたの子どもでありたい。
──いや、明日、嫁ぐわけでは、ないけれども。
「風まかせ文芸部」に便乗して書いてみました。お題は「名前」です。
タイトルはいずれもコスモスの別名。また「秋桜」はさだまさしが山口百恵に提供した楽曲のタイトルです。セルフカバー曲は押し並べて作曲者版を推しましが、この歌はどちらも素晴らしい。
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