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硝子の靴異譚10|方言女子って可愛いよね

ランジミーナ・ダイアンサス第一王女のご誕生以来、母子の体調管理から、その観測や公的行事の記録に至るまで、ミ・キノ王付主席薬師兼王宮記録院総監の仕事量が爆増しておる。──というのは、表向きの理由で、最近は、そうでなくても、日々の史記の記載量が増えて、取りまとめに時間が掛かっているという。

なるほど、それは大儀であるな。ならば、手近な記録など読むとしよう。なになに、「ウィステリアの月52日。朝から雨。今日も宰相くんを医局に呼んで、朝から昼刻にかけておしゃべりをいたしました。それが今のわたしの最大の癒やしです──」

ああ、自業自得じゃ。これでは史記の一次記載にあらず、こじらせ女子の恋愛ブログではないか。神聖な国家史記が、恋愛脳に深刻に汚染されておる。──記録院の史記は、国家の命運を左右する。これはこれでイジリ甲斐があって面白、いや痛ましいことこの上ないが、最近のミ・キノは目に余る。

今日も、ラン王女のおくるみを誂えなければという口実とやらで、宰相くんを誘い出し、王都でデーt、いや買い物をしておったが、その実に愛らしい休日の最中、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。国王陛下からの直電である。

ちなみに、王妃の産後の肥立ちはすこぶる良好で、両陛下の夫婦仲も極めて順調であることを、ここに付記する、のは本来わらわの職務ではない。

「ミ・キノ総監、ランちゃんが産まれた日の史記はなんじゃ?あれでは、ミナとケイに子どもが産まれたみたいではないか?ランちゃんは、余とマキちゃんの愛の結晶であるぞ。それが読者に、いや後世にしっかり伝わるよう、確定が入る前に、今すぐ書き直せ」

ああ、息子よ、そなたの指摘はいちいち正しい。だが、その公私混同だけは何とかならぬのか。後半の台詞で国王の威厳が台なしじゃ──わたしは、思わずこめかみを押さえた。

はあ、今さらながら気づいたが、この国はこんなで大丈夫なのか。
わらわは、改めて先代王の慧眼に惚れ直した。少し語りグセが強く、浪漫思考で、ヤキモチ妬きで、大げさで、メタではあるが、とても可愛い。だが、その夫は今、老人会で湯治に行っておるので、ここにはわらわひとりである。我が語りにツッコミがないのは精彩に欠ける。いささか寂しい。──わらわも水入らずで連れて行って欲しいものよ。

こほん。「ダイアンサスとマリノールの結ばれし月」には、もともと祝日が多い。さらには、先日の女子会で、ミ・キノ自身から記録院の働き方改革についての発議がなされ、その場で承認されたゆえ、休日の今日は、部下が誰も出勤してはおらぬ。この働き方改革法は、管理職には一切適用されないという構造的なお約束がある。つまり、ミ・キノの仕事量だけが増えるので、記録院のブラックさは何ひとつ変わらぬのである。

ミ・キノが直接に修正するしかない。休みの日、突然に降り来たるボスからのASAP指示ほど、嫌なものはないな。もっとも、今回は自業自得の事態であるが。

その夜、予定よりも幾分か早くにそのご兆候がはじまった。わたしたち王付薬師は、医局(兼記録院)に設えられた部屋に、少し緊張した面持ちでマキヴェリア・マリノール=ダイアンサス王妃の慶事にむけて待機している。

産室は、宮廷の最奥部にあって、普段は落ちついた気配が漂う一角ながら、今日ばかりは張り詰めた空気に支配されていた。わたしは、主席薬師を拝しながら、その場に携わった経験はない。さらに王族子女のご出産ともなれば、自然に力が入ろうというものである。
わたしは努めて冷静な介助者であらねばならない。そして、わたしは努めて正確な記録者であらねばならない。わたしは、そう心を引き締めた。その刹那、脳裏に浮かんだこの国の未来の情景は、舌の奥にほのかに残る予感の味のように、わたしの意識を甘くくすぐった。

扉の外では、国王陛下が立ったり座ったりされる気配が感じられる。ケイザリオン・ダイアンサス王子は、廊下を行ったり来たりされている。はじめてのごきょうだいの誕生に際して、落ち着かないのだろう。

その靴音のリズムによって、王妃が集中をお乱しにならないかと慮って、その顔をそっと見遣ると、本人はそれどころではないご様子。荒い調子で息をしておられる。

部屋は白く清潔に設えられており、灯りは、いつもより少し暖かい色合いであった。

「ミ・キノ、手が、震えているわよ」

王妃の波が少し静まったとき、ミナヴェリア・マリノール=ダイアンサス王女が、さり気ない口調でおっしゃった。このような時も皆を気遣ってくださるのは、配下としてとてもありがたい。

「震えてなどおりません。これは、筋肉の不随意運動です」

わたしは真面目に答えた。それで少しだけ場の糸が緩んだあと、王妃の波がまた大きくなっていく。規則的な波に合わせるように、王妃は息を整えておられる。進行は順調。医学的には問題ない。そして、観測態勢も万全。わたしの瞳には、一点の曇りもない。

「ミ・キノ、深呼吸しなさい。あなたが倒れたら困るわ」

その声とともに伸びてきたミナ王女の手が、わたしの手を強く握った。その手は力強くもわずかに震えていた。

その時、部屋の奥から、生命の息吹が聞こえた。

ひと声、ふた声、み声──、広い世界を少しずつ確かめるように、徐々に力強くなっていく。それはすべての未来を言祝ぐ言霊。その声が世界を震わせた瞬間、温かい未来の予感が広がった。それは、朝の空気みたいに澄みきっていて、ほんの少し甘い味がした。

マキ王妃の唸り。薬師たちのざわめき。感極まった王子の吠え声。駆け込んで来る国王陛下。──少し、静かにしてあげて欲しい。

ずっと握りしめていた王女の掌の温度。そして、新しい生命が、自らの生を高らかに主張する声。

「……ミ・キノ。記録、お願い」

王妃の手を握りしめているという大事を成し遂げられた王女の声は、驚くほど静かだった。わたしは、深く息を吸い込むと、記録板を手に取った。

「王暦ダイアンサスとマリノールの結ばれし月六日、午前三時一二分──ダイアンサス家第一王女がお生まれになりました」

……その言葉が部屋に広がった後、空気がふっとほどけた。

わたしが用意した百通りの名前から、王女の名前は、祖霊から精霊から親兄弟まで、満場一致で決まった。

ランジミーナ・ダイアンサス第一王女である。

原文のできは、我ながら酷いものだった。あれでは史記にあらず、勘違い女子の恋愛ブログではないか。──史記の一次記載をひととおり修正すると、わたしは隅の白いソファーに倒れ込んだ。このところ、ずっと夜更かしが続いている。しかも、今日は久しぶりに宰相くんとお出かけして、心が高揚している。デーt、いえお買い物の途中で呼び出されて、薬局兼記録院でわたしが史記を手直しする間、宰相くんはずっと付き合っていてくれた。

宰相くんが、少し心配げにわたしの顔を覗き込んでいる、ような気がする。気付けにコーヒーでも飲もう。カフェインの入った水筒を取ってもらうよう声をかける。

「宰相くん、す、いとう、と……」

そこで、急速に意識が遠ざかって、途絶え気味になり、急に南国のお国言葉みたいになってしまった。言い直そうとするも虚しく、圧倒的な眠気に抗うことができなかった。

意識を手放す刹那、浮遊するような気配の中、宰相くんは、なぜか厳粛な顔をした後、こうはっきり言った。そこまでは認識した。

「承りました。わたくしもお慕いしております……」

ふと意識が浮上する。毛布が掛けられている。宰相くんが心配そうに付き添ってくれていいる。そして、いきなり精神が灼き切れるほどの幸福、いえ修羅場ができあがっていた。誤解からはじまる告白劇。しかし、気がついたらそういう既成事実ができていた。

「ご、誤解です。わたくしは『水筒取って』と言っただけで──」

わたしは、間違えて告げたことの意味を悟り、頬の温度が上昇するのをはっきりと感じた。

……だがミ・キノよ、「誤解」は発生せぬがこの世の理。言の葉の意味は強い。言霊を観測されることは、状態の確定にほかならぬ。観測至上主義とは、そういう定義の世界観である。ゆえに、この世界において、寝ている間に速やかに進行した事実を確認して、もう一度、気を失って、などという悠長なことは言ってはおられぬ。

そのとき、ペタペタペタペタ、特徴ある足音が近づいてきた。王宮付けSS(スリッパサービス)の登場である。どうしてこのタイミングで、こうも都合よく現れるのか?

「ミ・キちゃん、ついに言ったね。観測されたら確定よ?はい成立~」

わたしは心底慌てた。そうだ、かくなる上は、宰相くんに否定で上書きしてもらえば。そう、彼に目配せする。と、

古今東西の悲劇が一転、ハッピーエンドに転じようとは。まるで報われたロメオ。幸せなトニー。──神は、我の願いを聞き届け給うた!わたくしは、今やあなたと最強。

などという様相。混迷のあまり、宰相くんは、古典だか現代だか無許可引用だかの迷宮に紛れ込んでいる。ダメだ、この人には頼れない。

それが逆にわたしを強くした。わたしが何とかしないと。王女様に向かって弁明する。

「──お、恐れながら、宰相府と薬師局と記録院が密接に、不健全に、文字通り結びついては、国体の根底が瓦解いたします。だからこそ、わたしたちは──その、恋など……」

宰相くんと、万が一、仮に、例えば、もしかして、そういうことにでもになったとしたら、それは両家の癒着に他ならない。行政と司法、さらには薬事までが結びついては、国家権力の集中と監視機関の喪失により、国体が揺らぐ。そして、わたしたちがどんなに気を付けたとしても、金色のお菓子を持った越後屋さんに付け込まれるのだ。それはこれまでに、何度もシミュレーションし、いつも妄想し、そのたびに必死で否定してきた未来ではないか。

だから、わたしたちはすべてを捨てて、愛に生きるのだ。いえ、違います。違いますけれど……もし、万が一、そういう未来があったとして……満月の夜に手を取り合って駆け落ちして、隣国の辺境でぴくりゃま?でも飼いながら、ふたりで暮らせばいい訳であって、子どもは男の子と女の子がひとりずつ……。そんな貧しくても幸せな未来を夢見ることは、分不相応……。

わたしはとにかく必死で否定した。しかし、寝不足と疲労と、そして次から次へと不可避的に雪崩れ込んでくる言霊の力に、うまく言葉が継げない。

「ミ・キちゃんは、ほーんと真面目よね。でもそれ。恋心そのものは、ぜんぜん否定できていないわよ」

わたしは、努めて軽い気配で告げた。国がどうなろうが、癒着して対抗勢力になろうが、恋しちゃったものはしょうがない。

「ミ・キノよ。国体などという些末なことはどうでもよい。要は、そちらの方を是正すればいいのじゃろ?よい。──ビクーニャだがリャマだか知らぬが、宰相家と薬師家が駆け落ちするような事態にならば、わらわが止める。それと、おうおう、おうおう。ランちゃんはちょーめんこいの」

と、授乳中のマキ王妃。おばちゃん、ランちゃんは可愛いけれど、この際、ちょーっと置いておこうね?

「ぶぇ……」と、ちょっと不服気味のランジミーナ王女ちゃん。

「幸せな結末を語ればよい。女子会を承認するのが国体。加えて、ランちゃんは長じて、ミ・キノの息子と……」

と、シノおばあちゃん。しゃらっぷ。

「これは外国の言葉に曰く、『結果オーライ』というやつじゃ」と、そのまた先代のおばあちゃんまで飛び出してくる。

「Girls, be amorous!」もう誰なの。文明開化ぐらいの人?

とにかく、王家歴代の語りたいヒトたちが、女子会に大集合である。

ならば、この場は、わたしが締めねばなるまい。すべての声を押し黙らせて、わたしは高らかに宣言した。

──さて、むかしむかしある国に、ひとりの真面目な総監ちゃんと、ひとりの鈍ちんの宰相くんがおりました。その後、二人はめでたく結ばれて、賑やかな面々と共に、いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。おしまい。

満場の拍手と、スリッパのペタペタ音によるオベーションが鳴り止まない。ああ、この人たちも、つっかけ履けたんだ。

ほんとうに、おしまい。

わらわは、ひさしぶりに胸に血が通うような思いを感じましたわ。これでは、観測至上主義ではなく、女子会至上主義であろう。だが、女子会とは、もともと牽制し、語りの主導権を握る弱肉強食の戦場であるからな、過去も未来も。ゆえに、この姦しい日々は、これからも続くのであろう……。

──おい、ばあさん。何じゃこれは。余が湯治に行っている間に、ずいぶんと雑なオチではないか。

今度こそ、おしまい。

(第二部完)

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