親が子どもに教えるスタイルはうまくいかない、と思ってたんだけど
親が先生になって子どもになにかを教えるというのは、本当に難しい。
我が家の場合だと、日本語がまさにそう。アメリカ育ちの子どもたちには日本語を習得してほしいというのが親の願いである。
他方で、アメリカでは、日本語の先生や学校は数が限られ、ニーズに合った環境で学ばせるのはなかなか難しい。
それなら、日本人であり、日本語ネイティブであるわたしが教えればいいようなものだ。だけど、親が子に教えるという構図はうまく機能しない。関係が近すぎるがゆえに、必要な緊張感に欠けるのだ。教える方も、教えられる方も、両者の間で保たれるべき一線を、いとも簡単に超えてしまいがちである。
教えていることをちゃんと受け取ってほしいという親の思いが強ければ強いほど、親の努力は空回りする。子どもは子どもで、親からの押しつけには敏感に反応する。
日本語でこのことを痛いほど学んでから、わたしは日々の宿題以外は、自分が先生になろうとするのをやめた。
教えたかったもう一つのことは、ピアノだった。
息子は、4歳か5歳くらいのとき、一度興味を持ったようだった。けれど、ママからレッスンを受けるという形を嫌がった。いまにして思えば、わたしの期待が透けて見えて、プレッシャーになっていたのかもしれない。
娘に関しては、息子の経験があったので、それほど熱心にピアノに誘うことはなかった。時折、ポロンポロンと弾いているときに、「先生を探してあげようか」とさりげなく投げかけると、「ママに習いたい」と言う。そのくせ、いざわたしが教えようとすると、「今日はやりたくない」とか、「レッスンじゃなくて自由に音を鳴らして遊びたい」などというのだった。
だから、やっぱりママ先生は無理なんだなと思っていたのだけど。
それが最近、なぜか娘がピアノレッスンをしてほしいとせがむようになった。
娘は音楽好きだ。歌ったり踊ったりするとき、俄然表情が輝いてみえる。声が通るし、音程もわりとちゃんと合っている。ときどき即興で歌をつくるのだけど、まあまあ良くて驚くときがある。だから、本人が興味を示したら、ピアノをやらせたらいいなと思っていた。そのときは、先生を見つけてレッスンに通わせてみよう、と。
「そのとき」が来たのかもしれない。しかも、わたしに教えてほしいらしい。
でも、また前と同じ繰り返しになるんだろうな……。わたしは、うっすらとした予感を抱えながら、なるべく期待しないで、娘にピアノを教え始めた。
いまのところ、4回レッスンをした。まだ4回ではあるけれど、もしかしてうまくいっているんじゃないかという気がしている。そう言うにはまだ早いのはわかっているんだけど。
以前といまとで違うのは、わたしにも教える経験が多少蓄積されてきたことだ。今年の初めから、わたしは自宅でピアノ教室を始めた。
教える順序とスピードは、特に意識している。いきなり難しいことをさせると、つまづく。それは大人も子どもも同じ。順を追って練習すればできるようになると知ることが大事だと思っている。
小さい子ども用の教本から、簡単な4小節の練習曲を選んで、一緒に指を動かして弾いてみた。楽譜には、ドレミが大きな音符の中に書いてある。娘は、手元とその音符とを忙しく見比べながら、一つ一つの音を鳴らしていく。
急かさない。最後の音までたどり着くのを見届けてから、できたことを具体的にほめる。最後まで弾けたこと、リズムに遅れないように気をつけて音符を見ていたこと、指のカーブを忘れなかったこと。
それから、できなかったことにも言及しながら、改善すべき点を伝える。テンポが途中で変わってしまったこと、音が重なってしまったこと。
3回繰り返し練習した。この練習曲には歌詞がついているので、あと2回はわたしが弾いて娘が歌った。声を出すのが楽しいって感じだ。音楽って楽しいよね。
あともう1曲、同じ調子で練習したら、レッスンはおしまい。今日習った曲を次回までに練習してブラッシュアップしておくことを宿題とした。
15分くらいの短いレッスンだけど、欲張らないことにしている。娘が楽しい気持ちで終われたら成功だ。
レッスンが終わると、娘は自作のレッスン手帳を持ってきて、シールを貼ってくれとせがんだ。いつも、レッスンを最後まで受けたら、シールを貼ってあげる約束なのだ。
「がんばったね」と書いてある子豚のかわいいシールを、娘が書いたいびつな丸の中にぺたっと貼った。そのページの欄が今日ですべて埋まったことを、娘は両手を挙げて喜んだ。そしてそのまま走っていって、夫と息子に見せにいった。
なんだかとっても嬉しい。この循環が。娘がピアノを楽しんでくれていることも、わたしから学び取ってくれることも。
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