子供の「初めて」の体験に立ち会うこと
この夏は、とにかく時間が空けば子供たちを連れてプールに出掛けている。日本は猛暑だそうだが、アメリカも暑い。暑い日はプールに限る。
5歳の息子は、この夏で飛躍的に泳ぎが上達した。水泳教室にも通わず、ひたすらプールで遊び続けただけだが、平泳ぎはそれらしきフォームでちゃんと息継ぎもして泳げるようになった。
息子がいつもやるのは、ゴーグルや水の中で遊べるおもちゃを少し遠くへ投げ、底に沈んだところへ泳いで取りに行くという遊び。私が一緒にやるときもあるけれど、ほとんどの時間は、一人で延々とそれを繰り返していた。よく飽きずにやるなあと感心してしまうくらい。
振り返ってみると、ここまで泳げるようになるまでに息子が直面した最大の壁は、顔を水に浸けることだった。実は、その壁を乗り越えたのはこの夏の初めのことである。口が浸かるところまでは順調に行けたのだが、鼻まで浸けるのには時間がかかった。鼻からぶくぶくと息を吐いて、水が入らないようにするのが難しいらしかった。
それでは、と鼻まで覆ったシュノーケリング用のゴーグルを買い与えたら、あっという間に水に潜れるようになった。そこから、ゴーグルなしで顔を浸けられるようになるまでは、また少しかかったが、夏休みが始まる頃には、水中を自由に潜って動き回れるようになっていた。
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その日も、いつものようにプールへ出掛けた。
息子は一目散に水の中へ潜り、自主練に励んでいた。娘は、ビート板の上に胸全体を乗せるようにつかまって、私と一緒にバタ足の練習。時々バランスを失って、右へ左へと傾くのが面白いらしかった。
これまで何度もそうしたように、私は娘に、「ゴーグルをつけて水の中を見てごらん。」と促した。
息子の経験から、顔を浸けられるようになれば、その先は加速度をつけて水に親しんでいけるようになることを知っていたので、私はプールに来るたびに、繰り返し娘に声をかけた。だが、娘はいつも頑なに嫌がった。家のシャワーで髪を洗うのですら、毎回嫌がって泣くほどだった。
でも、この日は気分が乗ったのか、素直にやってみる気になったようだった。最近、水に飛び込んだ勢いで、顔が半分水中に浸かってしまうことがあったのだが、意外にその後は平気そうにしていたので、そろそろ自分にもできるのではないか、と彼女なりに思うところがあったのかもしれない。
息子が使う、鼻まで覆ったゴーグルを装着し、娘は水の中で仁王立ちになった。顔全体が水に浸かるのはまだ嫌だったようで、首を真下へ曲げ、ゴーグルだけが水に触れるように注意深く、そっと水に近付いた。
私はその一部始終を隣でじっと見守っていた。どんな反応をするんだろう、と思いながら。
すると次の瞬間、娘は、水しぶきが周囲に飛び散るくらい勢いよく顔を上げ、私に向かって大きな声で言った。
「ママ!プールの底が見える!」
生まれて初めて水の中の世界を目撃した娘は、まるで世紀の大発見をしたかのような、興奮に満ちた表情をしていた。娘の喜びに触れて、私は、あはは、と声を出して笑った。そうかそうか、プールの底が見えたのか。
娘は、すぐさま水中へ顔を戻し、自分の足や、周りの人の足や、霞んで見える向こう側の壁などをぐるぐると見て回った。好奇心が爆発しているのが、横で見ていてよくわかった。
これまで、水面より上の景色しか見たことのなかった娘は、この日、水の中の世界を知った。4歳の娘にとっては、それこそ大発見だったに違いない。知らなかったものを知った驚きと興奮、もっと知りたいという好奇心、自分にもできたという喜びと自信。いろんな感情が一緒くたになって、小さな胸は溢れんばかりだったに違いない。
娘のこの「初めて」の体験を、一番近くで見守り、気持ちを共有し、一緒にはしゃいで喜んでやれたことを、私は何よりも嬉しく思った。そして、子供が、自分の住んでいるこの世界を知ることに、こんなに目を輝かせて、胸を躍らせていることの尊さにも思い至った。
親としていつも子供のそばにいても、大切な瞬間を見逃してしまうことはある。例えば、娘が一番最初に口にした言葉が何だったか、私は思い出せない。
「その瞬間」にちゃんと気付いて、心に留めるには、親の感受性も必要なんだなと思う。今回は見逃さずに受け止められて良かった。そのことが嬉しい。
