読書感想文:『斜陽』太宰治 ~普遍的テーマを持つ作品~
アメリカに来てから、日本の純文学をよく読むようになった。
仕事を辞めて、「勉強のため」の読書に対するプレッシャーが減った反動もあると思う。だが、それ以上に、英語漬けの生活になったことで、母国語である日本語だからこそ可能になる、深いレベルでの理解や味わいがあることの楽しさや価値に意識が向いたからというのが大きい気がする。
もう一つのきっかけは、青空文庫の存在を知ったこと。著作権の消滅した文学作品が無料で読める、しかも電子版で。海外生活で日本語に常に飢えていた私には、一瞬息を吞むくらいに衝撃的な発見だった。
手に取った一冊目は、夏目漱石の『こころ』。昔、課題図書として読み、読書感想文を書いた記憶がある。当時は、これのどこが名作なのかさっぱりわからなかった。もどかしい三角関係の末に、友人が自殺し、最後には主人公も罪悪感から自殺するという、とんでもなく暗い作品、くらいの薄っぺらい感想しかなかった。いま読んでみたら、違う感想があるかもしれないな、くらいの軽い気持ちで読み始めたのが。
結果、この作品を皮切りに、夏目漱石は6冊ほど読んだ。文章の読みやすさと、物語の展開に引き込まれて、次々に読み進めた。いちいち感想文を書いておけば良かったと思う。でも、もたもたしている間に記憶が薄れて打ち捨ててしまった。
直近で読んだ本が、太宰治の『斜陽』。今度こそはという気持ちで、感想をまとめてみたい。
『斜陽』太宰治
破滅への衝動を持ちながらも“恋と革命のため”生きようとするかず子、麻薬中毒で破滅してゆく直治、最後の貴婦人である母、戦後に生きる己れ自身を戯画化した流行作家上原。没落貴族の家庭を舞台に、真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要なのだという悲壮な心情を、四人四様の滅びの姿のうちに描く。昭和22年に発表され、“斜陽族”という言葉を生んだ太宰文学の代表作。
https://www.shinchosha.co.jp/book/100602/
発表された昭和22年(1947年)は、終戦から2年後。戦前・戦中の価値観が覆され、世の中が急速かつ大胆に変化していた頃である。
『斜陽』を読むのは今回が初めてだったけれど、読む前は、没落貴族の悲哀の話だと思っていた。学校でもそう習ったような気がする。
実際、そういう話が物語のベースなのだが、主題はそこではないなと読みながら感じた。これは、貴族として生まれた女性が、「恋と革命」を通して、自らの新しい人生を切り拓こうともがく姿を描いた物語である。
「恋と革命」とは、何を意味するのか。
恋とは、新しい倫理であり、革命とは、古い道徳を打ち壊すこと。一つの時代が終わり、新しい時代が始まるときに、どのように身を振るのか。この作品が問うのはこの命題である。
女性の生き方という視点から見ると、母とかず子の対比が印象的だ。そのままの姿で、置かれた場所で静かに滅びゆく母と、自分の欲望を実現するために、古い道徳に逆らって行動を起こすかず子。
しかし、かず子の「恋」は異様である。ある日、かず子は、弟の直治が師と仰ぐ流行作家の上原に一人で会いに行く。お酒を飲んだ後、帰り際に上原に突然キスをされる。たったそれだけの接点で(当時の感覚からすれば大きな出来事かもしれないが)、かず子は何年も上原への気持ちを胸に秘め続ける。そして、ついにその思いを手紙にぶちまけて上原に送りつける。あなたは私のことをどう思っていますか、と手紙の中で聞くのだが、いきなりどうって聞かれても上原も答えに困ったのではないか。いや、上原でなくても困るだろう。
こんな手紙がいきなり送り付けられてきたら(しかも3回続けて)、私だったら怖い。あなたはきっと私を好きになるに違いない、などと言い切る自信はどこからきたのだろう。この手紙のくだりは、新しい倫理というよりは、狂気である。言い忘れていたけれど、上原は既婚者で子供もいる。
「あなたの子供がほしい」という、唐突で無茶苦茶に見えるかず子の要望は、最後にはかなえられる。そして、かず子の「恋」は、成就した途端に消滅する。人生がジェットコースターである。
読んだ直後は意味不明に思えたけれど、後から考えてみると、たぶんこういうことだと思う。
かず子にとって「恋」は手段だった。「革命」を成すための。つまり、上原への恋、ひいては上原との間に子供をつくること(=新しい倫理)を通じて、それまで彼女を律し、束縛してきた、貴族としての生き方(=古い道徳)を壊そうとしたのである。
貴族としての生き方とは何だったのか。当時の女性なら当然とされていたように、相応の年齢になれば相応の人と結婚すること、そして、一度結婚したら、耐え難きを耐え、結婚生活を全うすること。そうやって、置かれた場所で、はかなく静かに滅びゆくこと。
父が死に、戦争が終わり、かつて当たり前だったことが当たり前でなくなっていく。古い秩序が失われていく中で、かず子は立ち止まってこれからの人生を俯瞰した。よく知りもしない「相応の人」と結婚して、我慢しながら結婚生活を送る、当たり前の人生を想像した。そして、そんなものはクソくらえだと思ったわけだ。
でも、社会が、人々の意識が変わるには時間がかかる。誰かが率先して、古い道徳を壊す行動を起こさないといけない。それも一人の力では到底変わらない、何世代にも渡って抗い続けて、やっと少しずつ変わっていくのである。そうやって抗う者たちの中には、古い道徳に押し潰される者も出てくる。かず子の弟の直治がそうだった。太宰は、それを「道徳の過渡期の犠牲者」と呼んだ。かず子は、かず子自身も、上原も、犠牲者だと言っている。
かず子は、上原の子を身ごもったことを上原に伝える手紙の中で、次のように語っている。
(この革命の)第一回戦では、古い道徳をわずかながら押しのけ得たと思っています。そうして、こんどは、生まれる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです。
そう、かず子の戦いは、始まったばかり。これからも続いていくのだ。
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社会は常に変わっていく。現代を生きる私たちが目にしている変化といえば、例えば、女性が生涯仕事を持ち続けること。私の母の世代には、結婚後も働き続けることは一般的ではなかった。また、女性が結婚相手を見つけるために積極的に探しにいく、いわゆる「婚活」も、比較的新しいものだ。
こうした変化は、古い道徳を壊しながら起こる。古い道徳を壊しながら、今日もどこかに「道徳の過渡期の犠牲者」がいる。
『斜陽』は、単なる昔の貴族の話ではない。現代社会にも置き換えられる、普遍的なテーマを持つ作品である。
