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示現流マニュアル(オリジナルの棒)

マニュアルは、親切にしすぎると読まれなくなる。
削りすぎると、今度は現場で人が困る。
その真ん中を探していたら、
なぜか薩摩の剣術にたどり着いた。


今日の弁当

- さつま揚げバジルとオイルサーディンの挟み焼き
- 煮卵
- 紫玉ねぎのアチャール
- インゲンと人参のごま和え


以前のんのさんに教えて頂いたバジルの成功体験によって、バジルを挟めば何でも美味しくなるという信仰から生まれた料理。 最近は餃子の皮への信仰も始まっている。

そして、さつま揚げは鹿児島の名産だが、
鹿児島にはもう一つ古くから伝わる名産がある。


示現流マニュアル

私は仕事でマニュアルを作るのが苦手だ

業務フロー、部材の整理、取扱説明書。会社にはいろいろなマニュアルがあり、設計という仕事をしている以上、私はそれを作る側に回ることが多い。

設計とは、自分の頭の中にあるものを図面や仕様書に変換し、ほかの人に渡す仕事である。説明して、誤解されて、修正して、また説明する。ほとんど伝言ゲームだ。

十年以上この仕事をしているのに、苦手意識は減らない。ルールが少なすぎると想定外で詰む。増やしすぎると誰も読まない。読まれないマニュアルは共有フォルダの奥で化石になる。

マニュアルを作るためのマニュアルはないものか。そう考えて仕事以外まで漁っていたとき、気になるものを見つけた。

示現流である。


示現流日記


示現流は、薩摩藩に伝わった古流剣術で、防御を捨て、先手の一撃にすべてを賭ける。私は中学の頃から格闘技や武術を調べるのが好きで、こういうものにはすぐ寄っていってしまう。

示現流といえば、創作ではなかなか強烈に描かれる。『ゴールデンカムイ』には鯉登少尉という示現流の達人が登場し、『衛府の七忍』では「誤チェスト」というネットミームまで生まれている。

私は前々から思っていた。

示現流、創作だと大体少しバカみたいに描かれていないか?

失礼なのはわかっている。
だが、基本動作をまとめると、こうなる。

一、剣を高く掲げる。
二、「チェスト」と叫びながら小走りで近づく。
三、そのまま振り下ろす。

三行日記が完成してしまった。
noteの流行を無駄に先取りしている。

しかも掛け声が「チェスト」である。普通、格闘技や武術は、どう気配を消すかを考える。ところが示現流は剣を上げて叫ぶ。Googleカレンダーに「今から斬る」と入れて、招待メールを送っているようなものだ。かなり丁寧な暴力である。

語源には、胸を狙えという説もあれば、「知恵を捨てよ」が訛ったという説もあるらしいが、結局はよくわかっていない。でも叫ぶ。

学生時代、サッカー部で叫ばされていた「ヨーゼイ!」という謎の掛け声を思い出した。誰も意味を知らなかった。何の略なのかも分からなかった。
意味より声量が勝つ瞬間が、この世にはある。

さらに小走りで近づくところも気になる。格闘技では、すり足で間合いを詰める。ところが示現流は、剣を上げたまま小走りで行く。初めて映像で見たとき、私は思った。

これは剣術というより、
初代スマブラのハンマー状態ではないか?

当たれば強い。ただし、その間はひたすら振り下ろすマシーンになり、自分で制御できずに崖から落ちることもある。あの楽しさと危うさが同居した状態に近い。

練習もシンプルだ。木の棒を敵に見立て、「チェスト」と叫びながら上から叩く。ひたすら叩く。
昨日もチェスト、今日もチェスト。棒もたぶん、途中から「私は何をされているのだろう」と思っている。

しかし調べていくうちに、見え方が変わった。

私はずっと、時代劇の決闘をイメージしていた。一対一で向かい合い、間合いを測り、静かに斬りかかる場面だ。でも実際に剣術が使われるのは、決闘だけではない。戦である。集団戦である。

戦場で細かい駆け引きをしている余裕はない。なら最初の一撃で倒すほうが効率的だ。集団で動くなら、全員が同じ構えのほうが味方を巻き込みにくい。長い距離を移動するなら、すり足より小走りのほうがいい。そして叫ぶ。人間は声帯で馬力を上げる生き物なのだ。

つまり示現流は、見た目が面白いだけで、中身はかなり合理的だった。場面を限定し、判断を減らし、動作を単純化し、誰でも反復できるようにしている。これはもう、優秀なマニュアルである。

私は武術として見ていたから笑っていた。けれど工業製品のように見ると、示現流はかなり完成度の高い設計だった。自分の作業手順書を数百年後に「掛け声が変」と笑われたら、たぶん成仏できない。

ただ、どんなに合理的なマニュアルを作っても、
想定外の事態は起きる。


オリジナルの棒


つい先日、製品の最終工程で使う検査装置の保守点検をマニュアル化してほしいと頼まれた。対応するのは、設計の私と、生産技術のAさんである。

Aさんは普段、オフィスにあまりいない。リモートか製造現場にいることが多いベテランで、会議でたまに「開発は現場に来ないですからね」と、短くてよく切れる小刀みたいなことを言う。

私は以前から、Aさんが誰かに似ていると思っていた。最近、示現流を調べる為に『ゴールデンカムイ』のドラマを見て気づいた。熊岸長庵という偽札作りで捕まった脱獄囚のキャラだ。白髪まじりの髪、丸メガネ、気難しそうな顔。近い。

もちろん本人には絶対に言えない。

「偽札作って捕まった囚人に似ていますね」は、褒め言葉に加工できない。

そんなAさんと、実際の装置を見に行った。

装置は机と同じくらい奥行きがある。正面のカバーを外せば修理はできる。問題は、動作状態を知らせるLEDが背面についていることだった。

背面は壁ぎりぎり。正面で作業しながら確認できない。しかも装置は二十キロあるので、LEDを見るたびに動かしていたら点検ではなく筋トレになる。マニュアルにするには細かすぎる。でも放っておくと、作業する人が確実に困る。

私がうーんと唸っていると、Aさんが少しだけ笑った。

「こんなのありますよ」

そう言って出してきたのは、長い棒の先に原付のミラーを取り付けたものだった。

一瞬、ゴルフのパターかと思った。歯医者さんが口の中を見る鏡のデカい版である。しかも絶対に手作りだ。

原付のミラー片方だけ、どこで手に入れたのだろう。Aさんの原付は、今も片耳を失った野生動物みたいに走っているのだろうか。

でも、よくできていた。

LEDの色と点滅を見るだけなら、鏡で十分だ。装置を動かさず、正面で作業しながら背面を確認できる。単純だが、現場の困りごとにぴったり合っている。

Aさんによると、似たようなことは現場でよく起き、そのたびにこういう道具を作って対応してきたという。ただ自作なので情報は共有されない。Aさんがいなくなった瞬間、現場には「なぜか棒がある」という民俗資料だけが残る。

でも、その道具を説明するAさんは、
いつになく生き生きしていた。

私はそこで困った。
さっきからAさんに囚人のイメージを重ねているせいで、その棒が脱獄用の道具に見えてしまうのだ。檻の向こうにある看守の鍵を探るための棒、獄中の材料で作った秘密兵器。

Aさんが真剣に説明すればするほど、脱獄計画の共有シーンに見える。私は笑いをこらえ、唇をかみしめた。

ここで吹き出したら終わりだ。Aさんがその棒を高く掲げ、「チェスト」と叫びながら小走りでこちらに来ても、私には文句を言う資格がない。

結局、マニュアルに必要なのは、示現流のような単純さなのだと思う。迷わずできること。誰でも同じ動きに近づけること。でも、それだけでは足りない。

実際の現場には、壁ぎりぎりのLEDがある。二十キロの装置がある。腰の残量がある。原付のミラーを持っているAさんがいる。

マニュアルは人を消すためのものではなく、人が毎回こっそり背負っていた負担を、少しでも見える場所へ移すためのものなのだと思う。

基本の型がなければ、現場はAさんの脱獄アイテムだらけになる。だが現場を見なければ、型はただの三行日記になる。

説明が一通り終わったあと、Aさんの最後の一言に引っかかった。

「では当日は、この道具を私がハンドキャリーで現場に持ち込みます」

「え、Aさん、それ手持ちっすか?」

たしかに合理的ではある。宅配ではかさばるし、届いた先でゴミと間違われる可能性もある。ハンドキャリーが一番確実だ。

でも想像してしまった。白髪まじりで丸メガネの気難しそうな中年男性が、原付ミラー付きの長い棒を持って街を歩いている姿を。

私の中で、Aさんの罪状が、
“偽札”から”盗撮”に変わる。

ただの妄想だった設定に現実が追いつき、
リアル囚人になる可能性が生まれる。

私は祈った。
Aさん、ご武運を。
どうか職務質問だけはされませんように。




※弁当とエッセイをまとめた「弁当記録」というマガジンがあります。
今回の文章が気に入った方は、自己紹介と合わせてのぞいていただけたらうれしいです。

自己紹介エッセイ

マガジン|弁当記録

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