ベトナムのAI法案の誕生 / EUモデル(4リスク分類、汎用目的AI規程)を踏襲した規制への疾走雑感
0 はじめに
2025年に入ってから、AIを対象とする法制度と国際的なガバナンス構想が、世界各地で一気に立ち上がりつつある。EUのAI規則の成立・実施準備をはじめ、G7によるAI原則や安全性に関する合意文書、各国政府による国家AI戦略やAI安全政策の改訂など、AIをめぐる「国際計画」が矢継ぎ早に公表されている。生成AIの社会実装が加速するなかで、各国はイノベーションを促進しながら、いかにリスクを制御し、人権・民主主義・安全保障を守るのかという共通の課題に直面しているのである。
ベトナムも例外ではない。同国政府はAIを国家発展の基盤と位置づけ、デジタル主権や経済成長、技術的自立の要として野心的な戦略を掲げている。ブイ・テ・ズイ科学技術副大臣は、年内に改訂版AI戦略とともに発表予定のAI法案について「これは単なる法的枠組みにとどまらず、AIをベトナムの知的基盤とし、社会福祉・持続可能な開発・国家競争力の強化に資するという国家ビジョンの宣言である」と述べている。実際、ベトナムは2025年6月に「デジタル技術産業法」を成立させAIシステムに関する初期的な規制条項を盛り込んだが(2026年1月施行予定)、AIガバナンスをより包括的に整備すべく同年9月に独立の「人工知能法」草案を公開している。本稿では、このベトナムAI法案の内容を概観し、EUのAI法(AI Act)との比較を通じてその特徴とグローバルなAI規制潮流における意義を論じる。
1 ベトナムAI法案の背景と位置づけ
2025年8月末、ベトナム政府は科学技術省(MST)に対しAI法案の起草を指示し、わずか1か月後の9月下旬には草案が公開された。この迅速な動きの背景には、生成AIの爆発的普及などテクノロジーの変化に立法が追いつかなくなることへの危機感がある。草案は10月20日までパブリックコメントに付され、ちょうど同日開会した国会第10会期で審議・可決される見通しである。成立すれば2026年1月1日に施行予定であり、シンガポールなどソフトロー中心の国が多い東南アジアにおいて、ベトナムは包括的AI法制を持つ先駆的存在となる。なお、このAI法の施行後は前述のデジタル技術産業法に含まれていたAI関連条項は廃止され、統一的な法体系に移行する予定である。
ベトナムの積極姿勢は国家戦略とも連動している。2021年に初の国家AI戦略を策定した同国は、AI分野で「責任ある先導者」となることを目指しており、政策スピードの速さや若い研究者層の存在、AIスタートアップの勃興などを強みに、倫理的かつ持続可能なAI開発モデルの構築で地域の模範となる可能性を秘めている。国際的にもEUのAI法やG7の広島AIガイドラインなどが整備されつつある中、ベトナムはそれらグローバル基準を積極的に取り入れつつ、自国の価値観を反映したAI統治理念を打ち出そうとしているといえる。
2 基本原則:倫理と国家優先事項の調和
草案の冒頭では、ベトナム国内におけるAI関連活動が遵守すべき7つの基本原則が掲げられている。これには、人間中心主義(AIは人間の管理下で人々に奉仕する)、安全性、公平性、透明性と説明責任(高リスクシステムには説明可能性が要求される)といった国際的に重視される原則が網羅されている。これらはEUのAI法が提唱する「信頼できるAI(Trustworthy AI)」の理念とも共通しており、倫理的AIの要請が反映されている。
同時に、ベトナム独自の価値観も織り込まれている点が注目される。副大臣の発言にもあったように、AIを国の知的インフラ基盤と捉え国家主権や文化的価値の維持を強調する姿勢がうかがえる。草案の基本原則には「国家の自律性と国際統合の両立」や「包摂的かつ持続可能な発展」「バランスの取れた政策立案」そして「イノベーション促進」といった、単なる倫理規範に留まらない国家的目標が含意されている。これはグローバルなAI倫理基準をローカライズし、自国の発展戦略と両立させるベトナムの姿勢を示すものと言えよう。
3 リスクに基づくAIシステム分類と規制
EUのAI法を彷彿とさせる形で、草案はAIシステムをリスク度合いに応じて4段階に分類し、それぞれに異なる統制を課している。
第一に、許容不可リスク(unacceptable risk)とされるAIは厳格に禁止される。例えば、人間の認知や行動を操作して身体的・心理的危害を及ぼすシステム、一定の保護措置なしに公共空間でリアルタイム生体認証を行うシステム、大規模な顔認識データベースを無差別に構築する行為などが想定されている。こうした禁止事項は、EU規則案が定める「許容不可AI」の項目と軌を一にしており、AIによる人権侵害や安全保障上の脅威に対する強い警戒感がうかがえる。
第二に、高リスク(high risk)に分類されるAIには最も厳しい義務が科される。医療、金融、教育、司法といった重大な影響を及ぼし得る分野が該当し、提供者には事前のリスクアセスメントや人間による監視、国家データベースへの登録、インシデント(事故や違反)の報告体制構築などが義務付けられる。また国外の提供者であっても、そのAIがベトナム国内のユーザーや市場に影響を与える限りは規制の対象となり得る。重要インフラ分野の企業には市場投入前の適合性評価と、市場投入後の継続的なモニタリングが課される。
第三に、中リスク(medium risk)とされるAIには主に透明性義務が課せられる。具体的には、ユーザーと直接相互作用するAIや、コンテンツを生成するAIシステム(生成AI)は、その出力がAIによるものであることを明示するラベリング(表示)を行うこと、またユーザーに対しAIである旨の通知を行うことが求められる。これはEU規則案が生成AIの提供者に課している透明性義務と軌を一にするものであり、AIの不透明性がもたらす社会的リスクに対処する意図がある。
最後に、低リスク(low risk)のAIについては法的義務は最小限にとどめられ、任意の基準や自主規制に委ねられる領域となる。
この4区分のリスク枠組みは「リスクに応じた規制強度」を打ち出すEU AI法のアプローチを踏襲したものであり、技術革新を阻害しない範囲で必要十分な規制をかけるバランスを志向している。もっとも、ベトナム案では政府が将来的に高リスク用途のリストを改訂できる柔軟性や、新技術実証のためのサンドボックス実験を設けて規制負担を一時的に緩和できる仕組みも含まれており、EUよりも政策運用上の弾力性を持たせた点と言える。
4 汎用AIモデルへの対応
ベトナムのAI法案が特に先進的と言えるのは、汎用目的AI(General-purpose AI, GPAI)モデルに関する規定をいち早く取り入れている点である。これは広範な用途に転用可能な大規模AIモデル(例:大規模言語モデルや基盤モデル)を念頭に置いたもので、欧州でも近年議論が進んでいる新領域だ。草案では、こうした汎用AIモデルの提供者に対し基本的な義務と強化義務の二段階の遵守事項を課している
まず基本義務としては、技術文書の整備、知的財産権の遵守、そして予見されるリスクを低減するための対策の実施が求められる。さらに、そのモデルが市場や社会に広範な影響を及ぼし得る体系的リスク(systemic risks)を伴う場合には、追加の強化義務が発動する。具体的には、モデルの脆弱性を検証する敵対的テスト、サイバーセキュリティ措置の強化、重大インシデント発生時の当局報告などが含まれる。
これらはEU規則案における汎用AI提供者への義務と軌を一にするものである。この規制により、大規模言語モデルを統合するテック企業は、下流での適応を検証する必要が生じるなど影響は大きい。EUと同様のアプローチではあるが、ベトナムは国家の自律性、特にインフラとデータにおける自律性を強調している。これは汎用AIの領域でも海外プラットフォーマーへの過度な依存を避け、国産AI技術基盤の自立性を確保したい思惑が伺え、外国企業にとってはハードルが生じる可能性も示唆される。
5 役割ごとの責任分担と説明責任
草案はAIのサプライチェーン上の関係者をいくつかの役割に区分し、それぞれに応じた義務と責任を定めている。具体的には、開発者、提供者(プロバイダー)、展開者(デプロイヤー)、輸入業者、ユーザーといった区分である。
提供者および輸入業者には、自己評価や文書化の義務が課される。一方、展開者は、特定用途においてそのAIを使用する際に文脈に応じたコンプライアンスを確保する責任を負う。
この責任分担モデルは、EUのAI法における提供者と展開者の区別と類似している。しかし、ベトナム案では、役割が曖昧な場合に損害賠償の連帯責任が生じる可能性や、裁判所が関係者に対し証拠開示を命じる権限を持つことにも言及している。さらに、興味深いのは、ベトナムが責任保険の活用や過失責任に基づく賠償制度も奨励している点だ。これは説明責任を明確化する一方で、多国籍チェーンにおける訴訟リスクを高める可能性もある。政府は今後、政令(サブデクリー)を発し、各役割の具体的な義務内容を詳細に定める予定である。
6 イノベーション促進策:規制と振興の二本立て
EUのAI規則案が主に規制の調和に焦点を当て、直接的な資金提供を含まないのに対し、ベトナムのAI法案はイノベーションの支援策にも力点を置いている点が特徴的である。草案には、国内外の投資を促進するためのインセンティブ措置が数多く盛り込まれている。
第一に、「国家AI開発基金」の創設である。これはAI分野の研究開発プロジェクトに対し助成金を交付する国家基金である。
第二に、規制サンドボックス制度の導入である。スタートアップや中小企業を優先し、手続きの簡素化や規制の適用除外を通じて革新的AIの実証実験を可能とする。サンドボックス終了後には、コンプライアンスのための無料テンプレート提供などの支援も示唆されている。
第三に、AIクラスター(集積拠点)の設置である。ハイテクパーク等にAI拠点を集中的に整備し、税制優遇やインフラ面での特典を提供する構想である。
第四に、人材誘致策の強化である。AI分野の専門家を惹きつける政策が検討されている。副大臣は「AI人材の育成こそ責任ある持続的AI発展の決定要素」と強調しており、包括的な人材戦略が並行して進められている。
以上のような振興策は、単に「守り」の規制にとどまらず「攻め」の成長戦略としてAIを位置づけるベトナムの姿勢を如実に示している。これは、世界的なAI競争の中でテック大手を誘致しようとする、プロ・イノベーションの姿勢の表れともいえる。
7 執行体制と制裁:グローバル水準の罰則導入
規制を実効性あるものにするため、草案は執行当局と制裁措置についても規定している。主管官庁は科学技術省(MST)と、新設される国家AI委員会である。委員会は2026年7月1日までに発足予定とされ、実質的な規制運用の司令塔となる。当局は検査・介入権限を持ち、国家安全保障を脅かすシステムに対しては一時停止や恒久的禁止といった強制措置を講じる権限を持つ。
加えて、行政罰金についてはグローバルな売上高に連動した重い制裁が導入される。重大な義務違反を犯した大規模組織に対しては、前会計年度の全世界売上高の一定割合を上限とする罰金が科され得るとされる。これはEUのAI法(最大で全世界売上高の6%)と同様の国際的な抑止慣行に沿ったものであり、すでにベトナムの他の法律でも採用されている。具体的な上限比率は政府によって詳細が定められることになる。
罰則の適用対象となる行為としては、禁止されたAIシステムの開発・提供・使用(危害を加えるための認知操作や、チェックされていない顔認識データベースの構築など)、また高リスクAIに課されたリスク管理やデータ安全措置の不履行、登録や適合性評価・報告義務の怠慢、さらには当局の検査に対する妨害や虚偽報告などが挙げられる。これらに該当する行為には、行政罰に加えて刑事訴追や民事上の損害賠償請求の対象ともなり得ると警告されている。
なお、ベトナムの法制上、罰金を執行可能にするためには政府が別途制裁政令を制定する必要がある。したがって、本法案成立後に細則が定められ、それをもって初めて収益連動罰金が執行可能となる。
8 段階的な施行スケジュール
草案では施行に伴う混乱を最小化するため、主要な規制項目の発効時期を段階的に遅らせる経過措置が定められている。法律自体は2026年1月1日に発効する予定である。
まず、施行後6か月以内(2026年7月1日まで)に、国家AI委員会の設置、ガイダンス文書の公布、国家AI開発基金の稼働開始といった準備措置が完了する予定である。
次に、12か月後の2027年1月1日から、禁止される行為に関する規定およびサンドボックス制度が運用開始となる。
そして、18か月後の2027年7月1日から、高リスクAIシステムに課される各種義務が完全に適用されることになる。
さらに、経過措置として既存の高リスクAIシステムにも猶予が与えられる。法施行以前から既に利用されている高リスクAIについては、提供者・展開者は、関連する高リスクAIシステムの要件が完全に適用される日から24か月以内(すなわち2029年7月1日まで)に、自己評価や登録・適合性の取得を完了させる必要がある。政府は合法的な運用を妨げないよう、適切な移行ロードマップを詳細に定めるとしている。
9 むすびにかえて
ベトナムのAI法案は、欧州の先進モデルを大胆に取り入れつつ、自国の開発戦略に即した工夫を凝らした意欲的な試みである。リスク分類や汎用AI規制といった枠組みにはEU AI法の強い影響が見られ、欧州で醸成された「人間中心の信頼できるAI」という価値観が地理的・文化的境界を越えて共有されつつあることを示している。一方で、イノベーション支援策の充実や国家主導のインフラ整備、国家主権の強調など、新興デジタル経済国ならではの実利的アプローチも光る。
このようなベトナムの動きは、アジア各国への示唆も大きいだろう。必ずしもAI先進国とは言えない国であっても、ガバナンスの面でリーダーシップを発揮し得ることをベトナムは示そうとしている。事実、専門家らは「ベトナムはAI倫理と規制の策定でASEANの参考モデルになり得る」と評価している。米中が主導する技術開発競争とは異なる軸で、国際協調のもとで先進的かつ自国の価値観に合致したAI法制を整備することで、グローバル議論に存在感を示すことができる。ベトナムはまさにその先鞭を付けようとしている。
もっとも、野心的な法規制を実効性あるものとするには課題も残る。極めて短期間での法案策定は、政府のデジタル化への野心を強調するものであるが、同時に利害関係者からのインプットの必要性も高めている。施行後に予期せぬ解釈問題が生じる可能性も指摘され、各種義務の詳細は今後の政省令(リスク基準、高リスクアプリケーションのリスト、手続きメカニズムなど)に委ねられており、不確実性も残る。しかし、人類が自らより賢いAIと共存する未来を見据えるならば、今から備える以外に道はない。ベトナムの試みはその一歩であり、世界が模索するAI規制の潮流において一つの重要な実践と位置づけられるだろう。
(参考)
◾️参考文献
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4 Digital Policy Alert「Vietnam: Ministry of Science and Technology opened consultation on Draft Law on Artificial Intelligence including user rights」Digital Policy Alert,2025年9月29日,[https://digitalpolicyalert.org/event/33984-ministry-of-science-and-technology-opened-consultation-on-draft-law-on-artificial-intelligence-including-usersubject-rights](https://digitalpolicyalert.org/event/33984-ministry-of-science-and-technology-opened-consultation-on-draft-law-on-artificial-intelligence-including-usersubject-rights)(2025年12月3日最終アクセス)。
5 Digital Policy Alert「Vietnam: Ministry of Science and Technology opened consultation on Draft Law on Artificial Intelligence including design requirements」Digital Policy Alert,2025年9月29日,[https://digitalpolicyalert.org/event/34002-ministry-of-science-and-technology-opened-consultation-on-draft-law-on-artificial-intelligence-including-design-requirements](https://digitalpolicyalert.org/event/34002-ministry-of-science-and-technology-opened-consultation-on-draft-law-on-artificial-intelligence-including-design-requirements)(2025年12月3日最終アクセス)。
6 Digital Policy Alert「Vietnam: Prohibition of risky AI practices in Law on Artificial Intelligence」Digital Policy Alert,2025年10月20日,[https://digitalpolicyalert.org/change/16430-prohibition-of-risky-ai-practices-in-law-on-artificial-intelligence](https://digitalpolicyalert.org/change/16430-prohibition-of-risky-ai-practices-in-law-on-artificial-intelligence)(2025年12月3日最終アクセス)。
7 「ベトナム、2025年末までにAI戦略とAI法の改訂を発表へ」Vietnam.vn(Người Lao Động配信),2025年12月3日,[https://www.vietnam.vn/ja/cong-bo-chien-luoc-ai-cap-nhat-va-luat-ai-vao-cuoi-nam-2025](https://www.vietnam.vn/ja/cong-bo-chien-luoc-ai-cap-nhat-va-luat-ai-vao-cuoi-nam-2025)(2025年12月3日最終アクセス)。
8 「Công bố Chiến lược AI cập nhật và Luật AI vào cuối năm 2025」Người Lao Động電子版,2025年12月3日,[https://nld.com.vn/cong-bo-chien-luoc-ai-cap-nhat-va-luat-ai-vao-cuoi-nam-2025-196251203102934396.htm](https://nld.com.vn/cong-bo-chien-luoc-ai-cap-nhat-va-luat-ai-vao-cuoi-nam-2025-196251203102934396.htm)(2025年12月3日最終アクセス)。
9 VTC News「Pioneers share at VinFuture AI Ethics and Safety Symposium」Vietnam.vn,2025年11月24日,[https://www.vietnam.vn/en/cac-nha-tien-phong-chia-se-tai-toa-dam-dao-duc-va-an-toan-ai-vinfuture](https://www.vietnam.vn/en/cac-nha-tien-phong-chia-se-tai-toa-dam-dao-duc-va-an-toan-ai-vinfuture)(2025年12月3日最終アクセス)。
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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