ベトナムAI法施行 / 東南アジアで最初に施行された包括的AI法 / 文書化されるAIガバナンス 雑感
Ⅰ 東南アジアでAI法が先に動いた
ベトナム国会の法律第134/2025/QH15号は、2025年12月10日に第15期国民議会において出席議員434名中429名の賛成(賛成率90.7%)で可決され、2026年3月1日に施行された〔注1〕〔注2〕。全8章35条から成り、AIシステムの研究開発、提供、展開および利用に関する活動を規律の対象とする〔注3〕。AFP配信のBarron’s記事は、同法を東南アジアで最初に施行された包括的AI法として報じ、生成AIに対する人間の監督、ディープフェイク等のAI生成コンテンツの表示、人工的なエージェントとの対話である旨の開示を求める法として紹介する〔注4〕。筆者は、この事実を、東南アジアでもAI規制が政策文書や倫理原則の段階を越え、執行可能な国家法の段階に入った出来事として受け止めている。
1 法の射程は開発者だけに向いていない
AFP配信記事は、同法が開発者のみならず提供者、導入主体、国外事業者にまで及ぶと伝える〔注4〕。IAPP掲載の解説も、同法が開発者、提供者、導入者、利用者、影響を受ける者という役割を分け、供給連鎖に沿って責任を配置すると整理する〔注5〕。AI規制はしばしばモデル開発者の規制として語られるが、現実に紛争や事故が露出するのは、導入、表示、運用、監視の局面である。ベトナム法は、その現場に法的な名前と責任を与えた。この域外適用の構造は韓国AI基本法やEU AI規則と軌を一にしており、AI規制が法域を越えて収斂する傾向を示す一例でもある。ただし、国防、安全保障および暗号に関する目的で専ら使用されるAIシステムは適用除外とされ、個別の法令に委ねられる〔注6〕。
2 義務の中身は理念ではなく手順である
同法はEU AI規則の影響を受け、リスクベースの管理手法を採用している。AIシステムは高リスク、中リスク、低リスクの三段階に分類される〔注6〕。高リスクAIシステムは、人の生命・健康、個人・組織の適法な権利利益、公共の利益または国家安全保障に重大なリスクをもたらしうるものを指す。中リスクは、利用者がAIとの相互作用やAI生成物であることを容易に認識しえない場合に、利用者を誤導・操作するおそれのあるものとして定義される〔注6〕。中リスクおよび高リスクのシステムは、利用前の分類と国家AIポータルを通じた科学技術省への通知を要する〔注5〕〔注6〕。AI法第11条は、AI生成の音声・画像・映像に対して機械読取り可能な識別情報を付与する義務を規定し〔注7〕、重大な事故が生じた場合には修正、停止、回収、報告も視野に入る〔注5〕。
ここで問われるのは、AIを使ったかどうかという抽象論ではない。どの類型に置いたか、なぜそう評価したか、表示をどう設計したか、事故時に誰が何をするかを、後から説明できる状態に置いたかどうかである。違反に対しては、法人に対して最大20億ベトナムドン(約75,800米ドル超)の行政罰が科され、重大な違反については前年度売上高の最大2%が上限となりうる〔注3〕。
3 規制と育成を同時に走らせる設計
同法は単なる制約としての機能にとどまらない。ベトナム政府はデジタル経済の拡大を今後5年間の二桁成長目標の要に据えている。ファム・ミン・チン首相は、AIとデータ経済を持続可能で賢明な新たな発展モデルの中核要素であると述べた〔注4〕。同法の下で、国家AIコンピューティングセンターの設立、データ資源の拡充、ベトナム語による大規模言語モデルの構築が政府主導で進められ〔注4〕、国家AI発展基金の創設、スタートアップ支援のためのAIバウチャー制度、センシティブなAIソリューションのための規制サンドボックスが法律レベルで制度化されている〔注8〕。つまり、ベトナム法はAIを止めるための法ではなく、育成と統制を同時に走らせる法である。純粋な規制法にとどまらず産業振興のインセンティブ設計を法律に組み込んだ点は、AI規制と産業育成を両立させようとする新興国にとってひとつの参照枠になりうる。
Ⅱ 任意指針から法的期待へ
透明性、説明責任、人間の関与、危険度評価といった語は、長く任意指針の言葉として流通してきた。ベトナムでの立法化は、各国の政府がAIガバナンスに向き合う姿勢の変容を示していると筆者は考える。IAPP掲載の解説は、ベトナム法がEU AI Actに近い危険度ベースの管理発想を採ると整理するが〔注5〕、この近似をEU法の単純な移植としてみるべきではない。各国は、自国の行政能力、産業政策、安全保障上の関心を織り込みながら、似た型の義務を別々の速度で動かし始めている。
1 国際標準待ちという発想は弱くなる
AIガバナンスの議論では、国際原則がそろってから国内実装に移るという順序を、つい前提に置きがちである。だが、ベトナム法の施行は、その順序が必ずしも維持されないことを示す。
2026年1月22日には韓国のAI基本法(人工知能発展及び信頼基盤造成等に関する基本法、Act No. 20676)が施行された〔注9〕。同法はアジア太平洋地域で初の包括的AI立法として19本の個別AI関連法案を統合した枠組法であり、高影響AIシステムに対する安全性・信頼性・人的監督の確保義務や生成AIの表示義務を定める。EU AI規則は2027年の完全適用に向けて段階的施行が進む。他方、米国はAIの包括的な連邦法を制定しておらず、J・D・ヴァンス副大統領は過剰な規制がAI分野の技術革新を阻害しうるとの立場を表明した〔注4〕。EU、韓国、ベトナムがいずれもリスクベースの包括的規制を法制化するなかで、米国が産業競争力の維持を優先する姿勢をとる構図は、AI規制をめぐるグローバルな対立軸を浮き彫りにしている。
2026年2月にニューデリーで開催されたAI Impact Summit 2026では、91の国および国際機関がニューデリー宣言に署名し、安全で信頼でき堅固なAIを求めた〔注10〕。同宣言には米国・中国も署名したが、公衆の保護にとっては抽象的に過ぎるとの批判がなされている〔注4〕。法的拘束力を持たない国際的宣言と各国の国内法制化との間に横たわる落差は、AI規制を論じるうえで見過ごしえない構造的な問題である。企業からみれば、統一ルールの到来を待つ戦略はかなり危うい。
2 細目未確定でも、手待ちは許されにくい
もっとも、同法の実務的な効き方はなお動いている。IAPP掲載の解説によれば、政府の実施政令と制裁政令、首相による高リスクAI一覧、科学技術省の国家AI倫理枠組みが今後整備される予定である〔注5〕。筆者がリスク分類の具体的基準が下位法令に委ねられている点に注目するのは、施行令の内容が同法の規制射程を事実上確定することになるからである。EU AI規則が附属書で高リスクAIシステムを詳細に列挙するのとは対照的に、ベトナムは下位規範への委任によって変化する技術環境への柔軟な対応を企図している〔注5〕。施行令によって高リスクに分類されるAIシステムの範囲が明確化されるまで、事業者のリスク評価は暫定的なものにならざるをえない。
韓国AI基本法においても、施行令(大統領令第36053号)が施行日と同日に発効して初めて、高影響AIシステムの計算量閾値(10の26乗浮動小数点演算以上)などの具体的基準が明らかになった〔注11〕。ベトナムにおいても同様の展開が予想される。
経過措置として、法施行前に市場に投入されたAIシステムには猶予期間が設けられている。医療、教育および金融分野のシステムについては18か月間(2027年9月1日まで)、その他のシステムについては12か月間(2027年3月1日まで)の猶予が認められる〔注5〕。この時期はEU AI規則における段階的施行と部分的に重なり、複数法域にまたがるコンプライアンスの調整を事業者に迫る局面が生じうる。
その設計を前にすると、企業が準備すべきものは明確である。法務、開発、調達、広報、現場運用が、同じリスク分類、同じ表示方針、同じ事故対応記録を共有できる状態を作らなければならない。
Ⅲ むすびにかえて
現地の法律事務所LNT & Partnersは、同法について最終的な到達点ではなく、責任の所在、人的管理およびリスク管理をAI規制の基調とする決定的な出発点であると評している〔注4〕。法律事務所DFDLの上級法務顧問Patrick Keilも、同法が国家的野心を示す意思表明として意義をもつ一方、政府から詳細な指針が示されるまで企業は義務の範囲に関する不確実性を抱え続けるであろうと述べる〔注4〕。
筆者は、ここで問われているのは、AIを推進するか抑えるかという二者択一ではないと考える。問われているのは、AIの利用を、説明できる手順、残せる記録、配分できる責任へと変換できるかどうかである。AIガバナンスは遠い将来の制度論ではない。各法域で少しずつ違う顔をしながら、すでに契約、表示、監査、事故対応の言語へと移りつつある。ベトナム法はその変化がアジアでも始まったことをはっきり示した。立法の過渡期において企業が直面する負荷の大きさを認識しつつ、東南アジアにおける規制の運用実態を引き続き追っていく所存である。何かの考えるきっかけになれば幸いである。詳細は、原典をご確認いただきたい。
〔注1〕 Luật số 134/2025/QH15 của Quốc hội: Luật Trí tuệ nhân tạo(ベトナム国会人工知能法)、2025年12月10日制定、2026年3月1日施行 (https://vanban.chinhphu.vn/?classid=1&docid=216334&pageid=27160&typegroupid=3, last visited 2026年3月1日).
〔注2〕 “National Assembly approves Vietnam’s first AI law,” VnEconomy, Dec. 11, 2025 (https://en.vneconomy.vn/national-assembly-approves-vietnams-first-ai-law.htm, last visited 2026年3月1日).
〔注3〕 “Vietnam AI Law passed by National Assembly, taking effect on 1 March 2026,” The Legal Wire, Dec. 9, 2025 (https://thelegalwire.ai/vietnam-ai-law-passed-by-national-assembly-taking-effect-on-1-march-2026/, last visited 2026年3月1日).
〔注4〕 Tran Thi Minh Ha, “Vietnam AI Law Takes Effect, First In Southeast Asia,” Barron’s (FROM AFP NEWS), Feb. 28, 2026 (https://www.barrons.com/news/vietnam-ai-law-takes-effect-first-in-southeast-asia-468af36d, last visited 2026年3月1日).
〔注5〕 Thu Minh Le & Alex Do, “Vietnam’s first standalone AI Law: An overview of key provisions, future implications,” IAPP (https://iapp.org/news/a/vietnam-s-first-standalone-ai-law-an-overview-of-key-provisions-future-implications, last visited 2026年3月1日).
〔注6〕 VILAF, “Vietnam Enacts Its First Law on Artificial Intelligence: Key Regulatory Obligations from 1 March 2026,” Jan. 18, 2026 (https://www.vilaf.com.vn/blog/vietnam-enacts-its-first-law-on-artificial-intelligence-key-regulatory-obligations-from-1-march-2026/, last visited 2026年3月1日).
〔注7〕 “From March 1st, six new laws officially came into effect,” Vietnam.vn, Mar. 1, 2026 (https://www.vietnam.vn/en/tu-ngay-1-3-sau-luat-moi-chinh-thuc-co-hieu-luc-ap-dung, last visited 2026年3月1日). 同記事はAI法第11条に言及し、AI生成の音声・画像・映像に対する機械読取り可能な識別情報の付与義務を確認する。
〔注8〕 “New AI Law lays foundation for Vietnam to master AI technology,” VietNamNet, Dec. 14, 2025 (https://vietnamnet.vn/en/new-ai-law-lays-foundation-for-vietnam-to-master-ai-technology-2472111.html, last visited 2026年3月1日).
〔注9〕 Library of Congress, “South Korea: Comprehensive AI Legal Framework Takes Effect,” Feb. 20, 2026 (https://www.loc.gov/item/global-legal-monitor/2026-02-20/south-korea-comprehensive-ai-legal-framework-takes-effect, last visited 2026年3月1日). 韓国AI基本法(Act No. 20676)は2025年1月21日公布、2026年1月22日施行。施行令(Presidential Decree No. 36053)も同日施行。
〔注10〕 Press Information Bureau, Government of India, “More countries join the New Delhi Declaration on AI Impact,” Feb. 24, 2026 (https://www.pib.gov.in/PressReleasePage.aspx?PRID=2232005®=3&lang=1, last visited 2026年3月1日).
〔注11〕 注9に同じ。施行令第24条は、少なくとも10の26乗の浮動小数点演算を用いて訓練されたAIシステムで、最先端のAI技術を組み込み、人の生命・身体の安全または基本的権利に重大な影響を及ぼすおそれのあるものを対象として規定する。
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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