AIガバナンスの実装基盤 / OneHHS / 米国HHS『Artificial Intelligence (AI) Strategy』を読む雑感
0 はじめに
AIガバナンスの議論は、だいたい「原則論」から始まることが多いように思える。透明性、公平性、説明責任、プライバシー、いずれも正しい。しかし、原則はそれ自体では社会を動かさない。動くのは、予算、調達、権限分配、台帳、手続、監査、そして現場の運用である。
この点を、強く「実務的な実装基盤(Infrastructure)」として見せてくれる文書が、米国保健福祉省(HHS)の『Artificial Intelligence (AI) Strategy』である(注1)。文書自体は2025年9月30日付で「issued」とされ、対外的な公表は2025年12月4日付のプレスリリースでなされている(注1・2)。
U.S. Department of Health and Human Services『Artificial Intelligence (AI) Strategy』(2025年9月30日)(https://www.hhs.gov/sites/default/files/hhs-artificial-intelligence-strategy.pdf, 2025年12月20日最終閲覧)。
今回は、医療政策の当否そのものを論じるものではなく、行政機関がAIを「組織横断で実装する」ために何を制度化しようとしているか、その法的含意(および法ではないが効く規律)を眺める雑感である。
(参考)
1 「テンプレート宣言」の射程
表紙のコピーは挑発的とも捉えられそうである。HHSをAI利活用の「template(ひな型)」にすると言う(注1)。ここで重要なのは、ひな型が「理念集」ではなく「運用設計図」である点だ。
戦略は、(i) ガバナンス/リスク管理、(ii) インフラ/プラットフォーム、(iii) 人材/負担削減、(iv) 研究と再現可能性(Gold-Standard Science)、(v) ケアと公衆衛生の近代化、という五つの柱を掲げる(注1)。この柱立ては、倫理原則の列挙というより、組織が動くためのレバー(権限・資源・手続)を並べている。
ここで法が直接に出てくるのは、プライバシーや情報保護、あるいは「個人の権利」への言及である(注1)。しかし、文書の芯はむしろ行政管理であり、法は「制約条件」として現れる。つまり、法がガバナンスの全体像を決めるのではなく、ガバナンスが走る範囲を法が縁取る、という構図が透ける。
2 OneHHSという統治技法
戦略のキーワードはOneHHSである。部局が連邦制的(federated)に動くことで生じる重複・非効率・情報サイロ(※組織内の特定の部門やシステムごとにデータや業務プロセスが孤立し、組織全体での共有・連携が阻害されている状態)を問題化し、AIを梃子に「摩擦なく」協働する、とされる(注1)。
この「摩擦なく」は、組織論としては魅力的だが、法的には含意が重い。なぜなら、摩擦の多くは、規制権限の分立、個人情報保護、セキュリティ境界、調達の縛り、説明責任の所在といった、制度上の“意図された摩擦”でもあるからである。戦略も「where legally permissible(法的に許される範囲で)」という留保を繰り返し、共有データ資源の構築を語る(注1)。
要するに、OneHHSは連携を進める標語であると同時に、「どこまでが許され、どこからが許されないか」を具体的に線引きする作業の開始宣言でもある。
3 ガバナンスの中核は「台帳」である
戦略が繰り返すのは、AIユースケースの包括的インベントリ(台帳)の整備である(注1)。これは地味だが決定的に重要である。台帳がなければ、統制も監査も評価も、そもそも対象を特定できない。
AIガバナンスを規制や倫理審査だと誤解すると、最初に台帳を作るという行為が見落とされる。しかし、実務的には台帳こそが、後段のリスク評価(高インパクト指定、影響評価、独立レビュー、監視、停止)を連鎖させる起点となる(注1)。
戦略は、FY2024におけるHHSのAI実装(active or planned)が271件であり、FY25は新規ユースケースが約70%増と見積もる(注1)。ここでも、数字の意味は勢いより統制対象の増殖速度である。統制対象が指数的に増える局面では、原則や規程の充実だけでは足りず、台帳・分類・優先順位付け・レビューの処理能力が問われる。
4 処理能力(「スループット指標」)という発想
面白いのは、ガバナンスを“達成状態”ではなく“処理能力”として測ろうとしている点である。戦略は、例えば「Governance Throughput(高インパクト案件の評価・独立レビュー完了率)」や、「平均復旧時間(MTRR)」「是正措置の完了数」など、運用指標の例を明示する(注1)。
よく、ガバナンスは「規範の整合性」や「統制の正当化」で語りがちだが、現場はむしろ停滞を恐れるように思える。停滞は、無秩序な導入か、形式的な形骸化を招くきうる。スループット指標の導入は、ここを正面から扱う試みである。
ただし、指標は刃物である。指標化は、見える化と同時に、目的のすり替え(測れるものだけが重要になる現象)を招く。例えば、負担削減を強く押すと、説明責任や品質が“非効率”として扱われるリスクがある(注1)。この緊張をどう折り合うかが、まさに法と運用の接続点といえそうである。
5 調達条項というソフトロー
戦略の中で、法学的視点で特に惹かれるのは、調達(procurement)を通じた規律である。戦略は、AIの調達・管理を合理化しつつ、契約で「監査可能性」「透明性」「データ・知財(IP)権利の明確化」「プライバシー・公民権保護」「ベンダーロックイン回避(open and portable solutions)」「同意なき学習利用の禁止」等を織り込む方向を示す(注1)。
ここにあるのは、立法や規制ではなく、政府購買力による市場規律である。言い換えれば、調達条項は“行政法の外側”に見えて、実務上はかなり強いソフトローとなる。民間側から見れば、当該条項への適合が参入条件になりうるからである。
この構図は、日本でも応用可能である。つまり、「法律で一律に縛る」か「倫理原則でお願いする」かの二択ではなく、「調達・委託・補助金・標準化」を通じて、実装に効く要件(監査、透明性、データ帰属、学習制限、ポータビリティ)を段階的に定着させるという第三の道であるといえそうである。法は、この第三の道を適法にし、かつ濫用を防ぐ枠として機能しうる。
6 Gold-Standard Scienceは“研究倫理”ではなく“統治の言語”に
第四の柱として掲げられるGold-Standard Scienceは、研究の再現可能性・透明性・厳密性を強調する(注1)。これ自体は科学政策の話に見えるが、AIが規制・審査・給付・臨床の判断支援に入り込むほど、科学的根拠の提示は統治の言語になる。
しかも、HHSは医療・薬事・保険給付に近いところで産業を“ガイド”する立場にある(注1)。そこで「再現可能な評価」「現実世界データの統合」「実運用での性能評価」といった語彙が政策文書に入ることは、単に研究資金配分の方針ではなく、規制・審査の期待値形成でもある。
なお、Gold Standard Science自体は、行政の上位文書(大統領令)としても位置づけられている(注6)。ここでも、科学概念が法の外にあるのではなく、行政統治の枠組の一部として接合されていく。
7 日本の「基本計画」「適正性指針」との比較視点
ここで視点を日本国内に向けると、AI法(令和7年法律第53号)の下で策定された「人工知能基本計画(案)」および「適正性確保に関する指針(案)」との対比が興味深いといえる(注9・注10)。
(参考)
日本の基本計画もまた、政府が自ら率先してAIを利活用する「隗より始めよ」の姿勢を打ち出し、行政の業務効率化と信頼性確保を掲げる点ではHHSと軌を一にする(注9)。しかし、そのガバナンス・ツール(統治手法)には明確な差異がある。
HHS戦略が、OneHHSの名の下に「調達契約」や「業務フローの指標化」といった、行政の手足を直接縛るようなハードな運用ツールを前面に出すのに対し、日本の適正性指針は、あくまで事業者や研究機関の「自主的かつ能動的な取組」を促すソフトローとしての性格が色濃い(注10)。日本のアプローチは、ステークホルダー間の協調やリテラシー向上を重視するいわば「対話型」のガバナンスといえる。
他方、米国のアプローチは、連邦政府の購買力を梃子にした「市場形成型」のガバナンスである。HHSが戦略内で調達条項に踏み込むのは、指針を守らせる最強の手段が「契約」だからである。日本においても、基本計画で掲げる「政府による適正な調達」(注9)を実効化する際、この適正性指針をどのように調達仕様書や契約要件に落とし込むかが、画餅に終わらせないための分水嶺となるだろう。
また、日本の指針が「知的財産」や「データ保有者への利益還元」等のエコシステム構築にまで言及している点(注10)は、プライバシーや公民権に重きを置くHHS戦略とは異なる、日本固有の調整型法政策の特徴が現れていると言えるかもしれない。
8 雑感
HHS戦略の読みどころは、AIガバナンスを“理念の文章”としてではなく、“組織横断の実装基盤”として提示している点にある。台帳を作り、分類し、レビューを回し、指標で停滞を測り、調達条項で市場に期待値を流し、共有インフラ(Commons)で再利用性を上げる。これは、AIを「現場で増殖する技術」と見たとき、極めて実務的である(注1)。
他方で、基盤を強化すればするほど、権利・責任・境界の設計が先鋭化する。どのデータを共有でき、誰がアクセスし、誰が説明し、誰が停止できるのか。OneHHSの摩擦を減らす方向性は、いわば摩擦の再設計に等しい。ここで問われるのは、原則の美しさではなく、線引きの具体性であるといえよう。
結局、AIガバナンスは、原則→実装基盤→権利、という往復の中でしか成立しないように思える。HHS戦略は、その往復の「基盤側」を強く照らした文書として読むのがよいように思える。日本の新たな計画と指針もまた、この往復運動をいかに駆動させるかが問われている。
参考文献
(注1)U.S. Department of Health and Human Services『Artificial Intelligence (AI) Strategy』(2025年9月30日)(https://www.hhs.gov/sites/default/files/hhs-artificial-intelligence-strategy.pdf, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注2)U.S. Department of Health and Human Services「HHS Unveils AI Strategy to Transform Agency Operations」(2025年12月4日)(https://www.hhs.gov/press-room/hhs-unveils-ai-strategy-to-transform-agency-operations.html, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注3)Office of Management and Budget『M-25-21 Accelerating Federal Use of AI through Innovation, Governance, and Public Trust』1頁(2025年4月3日)(https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2025/02/M-25-21-Accelerating-Federal-Use-of-AI-through-Innovation-Governance-and-Public-Trust.pdf, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注4)Office of Management and Budget『M-25-22 Driving Efficient Acquisition of Artificial Intelligence in Government』1頁(2025年4月3日)(https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2025/02/M-25-22-Driving-Efficient-Acquisition-of-Artificial-Intelligence-in-Government.pdf, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注5)National Institute of Standards and Technology『Artificial Intelligence Risk Management Framework (AI RMF 1.0)』1頁(2023年1月)(https://nvlpubs.nist.gov/nistpubs/ai/nist.ai.100-1.pdf, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注6)Executive Office of the President「Restoring Gold Standard Science」(EO 14303)(2025年5月23日署名、Federal Register 90 FR 22601(2025年5月29日公表))(https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/05/restoring-gold-standard-science/, 2025年12月20日最終閲覧);同「Restoring Gold Standard Science」(FederalRegister.gov)(https://www.federalregister.gov/documents/2025/05/29/2025-09802/restoring-gold-standard-science, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注7)The White House『America’s AI Action Plan』1頁(2025年7月)(https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2025/07/Americas-AI-Action-Plan.pdf, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注8)U.S. Department of Health and Human Services「Health Information Privacy(HIPAA)」(https://www.hhs.gov/hipaa/index.html, 2025年12月20日最終閲覧)。
(注9)人工知能戦略本部・人工知能戦略推進会議「人工知能基本計画(案)~『信頼できるAI』による『日本再起』~」(資料1-2)。
(注10)人工知能戦略推進会議「人工知能関連技術の研究開発及び活用の適正性確保に関する指針(案)」(資料1-4)。
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
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