けもの道からアイデアは生まれる—「グレーゾーン」を観察するコミュニティデザイン
どれだけ時間をかけて緻密にルールを設計し、完璧な運用フローを構築したつもりでも、実際の現場では必ず「設計者の想定外の動き」や「グレーゾーン」をついてくる人が現れます。
用意したルートから外れ、抜け道を探し、運営側の意図とは少し違う形でサービスやコミュニティを利用しようとする。
そんな参加者の姿を見たとき、運営者はふたつの道に分かれます。
「ルール違反だ」「勝手なことをするな」と規制を強めるか。
それとも、「なぜ人はそこを歩きたがるのだろう?」と観察を始めるか。
私自身、コミュニティを運営する上で常にアンテナを張り巡らせているのは、後者の「観察者」としての眼差しを忘れないことです。
草むらに刻まれる「けもの道」の話
都市計画や建築デザインの世界には、「けもの道(Desire Paths / 欲望の道)」と呼ばれる面白い概念があります。
公園を整備する際、デザイナーは見た目の美しさや合理性を考えて綺麗な舗装道路をレイアウトします。しかし、実際に利用する人間は、目的地へ向かう最短距離を歩くために、舗装された道路を外れて草むらを通り抜けてしまう。
やがて大勢の人が同じ場所を歩くことで草がはげ、そこに一本の泥の道ができる。これが「けもの道」です。
これを読んでいるあなたにも、いつも行く場所への近道として本来は道路ではない場所を通ったりしているという体験があるのではないでしょうか。
このとき、筋の悪いデザイナーは「立ち入り禁止」の柵を立て、看板を掲げ、自然を荒らす人々を注意・監視し始めます。自分の作った設計(デザイン)に執着するからです。
一方で、優れたデザイナーは静かにそのけもの道を観察します。そして、「あぁ、人々はここに道を欲していたのか」と納得し、後からその踏み固められた道の上にアスファルトを敷いて、正式な道路にしてしまうのです。
「規制のイタチごっこ」という疲弊
コミュニティ運営やスポーツの組織づくりでも、まったく同じことが起こります。
グレーゾーンや抜け道をつく参加者に対して「禁止事項」を付け足し、細かなルールでガチガチに縛っていくと、運用はどんどん重くなっていきます。
何より悲しいのは、運営者自身がコミュニティの価値を高める「価値創造者」から、規律を守らせるだけの「監視員」へと成り下がってしまうことです。
ルールを増やすほど、参加者も運営者も息苦しくなる。
この「規制強化のイタチごっこ」に足を踏み入れると、コミュニティのしなやかさは失われ、持続可能性は著しく低下します。
抜け道の中にこそ、次のアイデアが眠っている
人がグレーゾーンを通ろうとするのは、単なる悪意や意地悪ではありません。
そこには必ず「既存のルールや仕組みでは満たされていない、本質的な欲求(ニーズ)」が存在します。
言い換えれば、参加者がルールをハックしようとした瞬間こそ、運営側が頭の中(机上の空論)だけでは絶対に思いつかなかった「本当に求められている機能や選択肢」が顕現した瞬間なのです。
だからこそ、自分の設計通りに動かない現場を見たときは、怒るのではなく「しめた!」と捉えるアンテナが必要です。
「なぜこの人はこの抜け道を通ったのか?」
「この行動の裏にある、本当にやりたかったことは何か?」
そのけもの道を注意深く観察し、後から静かにアスファルトを敷き直す(=新しいプランや柔軟なルールへとアップデートする)。
このサイクルを回し続けることこそが、最も無駄がなく、ユーザーのリアルな欲求に根ざしたコミュニティデザインなのだと感じます。
デザインへの執着を手放す
コミュニティや「ハコ」をつくるとき、最初に綺麗な設計図を描くことは大切です。
しかしそれ以上に重要なのは、「自分の作った最初のデザインに執着しすぎないこと」ではないでしょうか。
人が集まれば、そこには必ず人間の生の欲望や熱量が持ち込まれ、思いもよらない「けもの道」がいくつも生まれていきます。
その踏み固められた道を愛おしく観察し、しなやかに受け止めながら、後から道路を敷き直していく。
批判でもなく、無理な強制でもなく、現場のリアリティに合わせて静かに仕組みをアップデートし続ける。そんなしなやかな「建築家」でありたいと、日々グラウンドや画面に向き合いながら考えています。
