スポーツにおける「有期限システム」が抱える問題
少年野球から学生スポーツまで、私たちの周囲にある地域スポーツチームの多くは、基本的に「学校」や「学年」という短い単位で区切られています。
小学校で数年、中学校で3年、高校で3年。年齢が上がるごとに、所属するチームが強制的に変わる、これが長年のグラウンドの「当たり前」でした。
しかし、このシステムには、スポーツを愛する一人の人間として、どうしても見過ごすことのできない重大な構造的バグが潜んでいるように思えます。
今回は、この「有期限」の組織が、目の前の選手や指導者のあり方にどんな影響を与えているのか、身近な例えを交えて書き留めておきます。
1. 「3年で必ず返却するレンタカー」の悲劇
突然ですが、車を運転する時のことを想像してみてください。
もし、あなたが自分で買った「マイカー」に乗っているとしたら、きっと丁寧にオイル交換をし、こまめに洗車をし、急発進や急ブレーキを避けて、できるだけ長く乗れるように大事に扱うはずです。10年後もその車と一緒に走っていたいからです。
しかし、もしそれが「3年後に必ず返却しなければいけない、乗り捨てのレンタカー」だったらどうでしょうか。
どれだけ急ブレーキを踏んでタイヤをすり減らしても、どれだけエンジンに負担をかけても、3年後に返すときには自分には関係ありません。返却期限までの3年間、とにかく自分の目的地までスピードを出して走り切れれば、その後の車の状態なんて知ったことではない――。
人間の脳は、期限があると自然と「その期限の中だけで元を取ろう」と、極めて短期的な最適化にスイッチが切り替わってしまいます。
実は、現在の多くの地域スポーツチーム(特に学校単位のチーム)は、この「3年契約のレンタカー」と全く同じシステムになっています。
指導側(運営側)にとって、目の前の選手を預かる期間は、どれだけ長くても実質的には2〜3年。その期限を過ぎれば、選手は自動的に卒業して自分の目の前からいなくなってしまいます。
育成責任に「明確な期限」があること。これこそが、すべてのバグの引き金になっているのです。
2. 選手を「使い捨てカメラ」にしてしまう空気
もしも、その選手が将来(例えば次のステージや、あるいは大人になってから)どんなプレイヤーになっているか、という「長い時間軸」を真剣に考えるなら、今この瞬間に、体や肩を壊すような過度な練習や、一つのポジションへの過度な固定は避けるべきでしょう。
これは「マイカー」を大事に育てる視点です。
しかし、「今この大会で勝つ」ことだけに最適化された3年期限のレンタカーシステムにおいては、未来のことは二の次になります。目の前の「返却期限(最後の大会)」を乗り切ることこそが、指導者や保護者にとっての最優先課題になってしまうからです。
その結果、グラウンドでは非常に悲しい光景が繰り返されることになります。
肩や肘に違和感を抱えているエースに、大会の勝利のために「ここで踏ん張れ」と無理な連投を強いる。(本人もそのつもりになってしまう)
技術の成長を長い目で見守る余裕がないため、勝つために特定のメンバーだけを固定し、他の選手にはグラウンドの端でずっとボール拾いをさせる。
こうした光景がグラウンドから消えないのは、指導者の人格が悪いからではありません。
「その選手がチームを去った後のスポーツ人生に対して、自分が何の責任も追わなくていいシステムになっているから」です。
どれだけ選手に無理を強いても、3年経てば自動的にいなくなり、また新しく「ピカピカの3年契約のプレイヤー」が自動的に補充される。
選手を守るためのフィードバック(跳ね返り)がどこにも存在しない有期限のハコの中では、選手をまるで「使い捨てカメラ」のように、今この瞬間のためだけに消費してしまう動機が構造的に生まれやすくなってしまうのです。
3. 「使い切りのスポーツ」から離れるために
誰かにチームのあり方や、勝利への執着を否定するつもりは毛頭ありません。
勝負の世界において、目の前の1勝を必死に掴み取りにいく美しさは確かに存在します。
ただ、もし「もっとスポーツを楽しみたいだけなのに、グラウンドの空気がどうにも息苦しい」と感じているなら、その原因は個人の熱量の問題ではなく、「強制的に返却を迫られる、期限付きのハコ」にあるのかもしれません。
もし、チームが2〜3年でリセットされる「レンタカーのハコ」ではなく、幼児から大人までが一つの思想のなかで、それこそマイカーを育てるように長い時間をかけて人を育む、別の構造を持っていたとしたら。
その、コミュニティとしてのひとつの「別の設計図」の姿について、また次回以降の記事に、改めて勝手な観測を書き留めておきたいと思います。
