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成長の解像度を上げる水平的成長と垂直的成長について 大器晩成と早熟は、能力だけの話ではない

BASE株式会社執行役員の柳川です。金融事業の事業責任者をしています。
私はエンジニア→PdM→事業責任者というキャリアを歩んできました。
現在は事業戦略、プロダクト戦略、組織戦略全ての責任を持ちながら、事業責任者を務めさせていただいています。

20代でめちゃくちゃ評価されてた人が、30代後半で急に伸び悩む。
逆に、20代で全然パッとしなかった人が、30代後半から急に化ける。
こういうこと、身の回りで起きてないですか。
いわゆる早熟と大器晩成問題です。

これって能力の話なんでしょうか。
早熟=能力が高い。大器晩成=能力はあるけど発揮が遅い。そういうイメージ。

僕の考えでは能力の差じゃないんです。思考の癖と、社会の仕組みの噛み合わせなんです。

今日はその話をします。ちょっと長いけど、読み終わったら自分のキャリアの見え方が変わると思います。

社会は何を「できる」と呼んでいるのか

まず前提を確認させてください。

学校で評価されるのは何ですか。テストの点。提出物。先生の言うことをちゃんと聞くこと。
就活で評価されるのは何ですか。自己PR。第一印象。コミュ力。
会社で評価されるのは何ですか。数字。KPI。レスポンスの速さ。上司に「できる」と思わせる力。

これ、全部同じ方向を向いてるんですよ。
「ルールの中で最適化する力」を評価している。
学校のルール、就活のルール、会社のルール。ルールは変わるけど、「ルールを読み取って、その中で最大の成果を出す」という能力を一貫して評価し続けている。

ルールの中で最適化するのが得意な人は、学校→就活→会社と一貫して評価されます。
僕はこれが「早熟」の正体だと考えています。

逆に、ルールそのものを疑う人。自分の基準で動く人。形にするのに時間がかかる人。こういう人はこのパイプラインに乗れない。
僕はこれが「晩成」の正体だと考えています。

能力の差じゃない。評価システムとの相性の差。
この認識、めちゃくちゃ大事です。

あなたはどっちの癖を持っているか

早熟か晩成かは、能力ではなく「癖」の問題です。
以下を読んで、どっちが自分に近いか考えてみてください。

評価されやすい癖を持つ人

人の悩みをよく聞けます。チームの雰囲気をよくするのが得意です。
「何を求められているか」を察知して、それに応える力がある。上司の期待を読んで動ける。報連相が自然にできる。

ここまでは強みです。実際に評価されるし、実際に組織は回る。

でもね。こういう人に「あなたは何がしたいの?」と聞くと、ちょっと困る。承認がないと不安になる。評価されないと自分の価値が揺らぐ。
自分の基準より、周りの基準で動いている。それが自然すぎて、自分でも気づいていないことがある。

評価されにくい癖を持つ人

仕事は高品質なんですよ。でも人に説明するのが雑。
「なんでそんなことも自分で考えられないの?」が態度に出てしまう。ルールに納得がいかないと従えない。「生意気」「協調性がない」と言われたことがある人、いません?

組織の中で浮く。でも一人でやらせると突破力がある。
評価されなくても、機嫌を撮ってもらわなくても、自分が正しいと思えれば動ける。

「非難される癖」と「非難されない癖」の正体

ここでちょっと立ち止まって考えてほしいんです。

ルールに納得いかないと従えない人は「生意気」と言われます。上司に意見する人は「協調性がない」と言われる。正しいと思ったことを言い過ぎて人を詰めてしまう人は「パワハラ」と言われる。

じゃあ聞きますが、承認が欲しくてタフなフィードバックを避ける人は何と言われますか。「優しい人」です。
上司の顔色を読んで自分の意見を引っ込める人は何と言われますか。「空気が読める人」です。
成果を出すために表面を取り繕う人は何と言われますか。「仕事ができる人」です。

全部、癖なんです。 どれも、その人が無意識にやってしまうパターンです。

「生意気なあいつ」は、納得しないと動けないという癖で非難されている。
「優しいあの人」は、衝突を避けたいという癖で褒められている。
「仕事ができるあの人」は、評価されたいという癖で出世している。

構造は同じなんです。ただ、社会の評価システムがある癖を「強み」と呼び、別の癖を「問題」と呼んでいるだけ。

非難される側はわかりやすく苦しむ。でも非難されない側も、実は別の形で苦しんでいます。衝突を避け続けた人は「自分の意見がない人」になっていく。評価を追い続けた人は「評価がないと動けない人」になっていく。

じゃあ非難されない方が得なのかというと、そう単純でもないんですよ。

非難される側のデメリット。 これはわかりやすい。評価されない。出世が遅い。「あいつは扱いにくい」と言われる。20代を苦しみの中で過ごすことになりがちです。自信を失う。自分の癖を「欠点」だと思い込む。

でも非難される側には、メリットもある。 痛みが早く来るから、自分のパターンに早く気づけるチャンスがある。「このままじゃまずい」と否応なく突きつけられる。問題が目に見える形で出るから、向き合わざるを得ない。向き合った人は早く変われる。

非難されない側のメリット。 これもわかりやすい。評価される。出世する。「あの人は優秀だ」と言われる。キャリアが順調に積み上がっていく。

でも非難されない側のデメリットは、見えにくいからこそ深刻です。 自分の癖が「強み」として褒められ続けるから、それが癖であることに気づけない。変わる動機がない。15年、20年と同じパターンを強化し続けて、ある日突然壁にぶつかる。しかもその壁が何なのかわからない。「自分はちゃんとやっているのに、なぜうまくいかないんだ」と。気づいた頃には方向転換のコストがとんでもなく重くなっている。

どちらの癖も、放っておくとその人を蝕む。非難されるかされないかの差は、社会との相性の差であって、絶対的な良し悪しではない。

どちらが優れているという話じゃない

大事なのでちゃんと言います。これは優劣の話じゃないです。
前者が優秀で後者がダメという話でもないし、後者が本物で前者が表面的だという話でもない。
どっちも強みがあるし、どっちにも罠がある。

2種類の「成長」がある

ここで一つ、大事な補助線を引かせてください。

成長って、2種類あるんです。ビルで例えてみます。わかりやすいのかはわからん。

水平的成長。 知識が増える。スキルが増える。実績が増える。これは同じフロアの中を歩き回って、部屋を一つずつ覗いていくようなものです。スキルAの部屋、資格の部屋、専門知識の部屋、人脈の部屋。部屋の大きさはバラバラだし、歩く順番も人それぞれ。でも歩いているのは同じフロア。景色は変わらない。

ビルのフロアで表現させていただきます

垂直的成長。 ものの見え方が変わる。視座が上がる。これはハシゴを見つけて、上の階に上がること。1階では目の前のことしか見えなかったのに、2階に上がるとつながりが見える。3階に上がると全体が見える、構造が見える。知識が増えたわけじゃない。見える景色が変わったんです。

こちらもビルのフロアで表現させていただきます

水平的成長は目に見えます。「あの部屋も行った、この部屋も行った」と数えられる。資格、肩書き、数字。だから評価しやすい。
垂直的成長は目に見えにくい。でも「あの人、なんか変わったよね」「あの人、最近器が大きくなったよね」という感覚、ありますよね。あれは上の階に上がった人です。

早熟型は、同じフロアを歩き回るのがうまい人です。 部屋をどんどん見つけて、どんどん開けていく。フロアの中では最速。でもずっと同じ階にいるかもしれない。

晩成型は、フロアの歩き方が下手だから、結果的にハシゴを探さざるを得ない人です。 部屋を開けた数は少ない。でも「このフロアじゃダメだ」と、早い段階で上の階を目指すことになる。

「大器晩成」の「器の成長」って、上の階に上がることなんですよ。 つまり垂直的成長そのもの。

ただし、水平的成長がダメだという話じゃないです。ここは誤解しないでほしい。
フロアを歩き回ることは本当に大事です。部屋を開けなければ判断材料がないし、スキルがなければ形にできない。上の階に上がって「見える」ようになっても、それを実行する力がなければ何も変わらない。

しかも、フロアを歩き回らないと、ハシゴは見つからない。 これがめちゃくちゃ大事。
ハシゴは最初から見える場所にあるわけじゃないんですよ。部屋を一つずつ開けて、通路を歩き回って、「あれ、ここ奥にまだ何かある」と進んだ先に、ひっそりある。知識をひたすら積み上げた人が、ある時点で「あれ、これ全部つながってる」と見えるようになる瞬間。同じ仕事を何年も地道にやり続けた人が、ある日突然、仕事の意味が変わって見える瞬間。それはフロアを歩き回った先で、ハシゴを見つけた瞬間です。

問題は「同じフロアを歩き続けるだけ」で止まること。 そして「部屋をたくさん開けたこと」を「上の階に上がったこと」だと思い込むこと。部屋を増やすことと、見える景色が変わることは、別のことです。でもフロアを歩かないとハシゴは見つからない。両方いる。

フロアを歩き回らないと、ハシゴは見つからない。でもフロアにいるだけでは、景色は変わらない。

そしてここがキツい話なんですが、ハシゴを上るのは「同じ方向にもっと頑張る」ではできません。「自分が最も恐れていることをやる」でしか起きない。
だからハシゴを上ることは、本人にとって「成長」に感じられないことが多い。むしろ「後退」「弱体化」に感じられる。

評価されてきた人が「評価されなくてもいい」を受け入れること。
一人で突破してきた人が「弱さを見せる」こと。
どっちも、本人にとっては恐怖です。でもそれが上の階への一歩になる。

早熟の罠と晩成の罠

早熟の罠:水平的成長を「成長」だと思い続けること

評価される。自分のやり方が正しいと確信する。さらにそのやり方を強化する。
スキルと実績が積み上がる。でもそれは器の中身が増えているだけです。
30代後半から40代にかけて、「あれ、なんかうまくいかなくなった」が来ます。部下が育たない。チームが回らない。自分の限界が見える。でも何の限界なのかがわからない。
これは能力の限界じゃない。器のサイズの限界です。
でも本人は「もっと頑張れば」と水平方向にさらに走ろうとする。今まで長年それで成功してきたんだから、当然そうなります。

残酷なのは、「変わる必要がない」と感じる期間が長すぎることです。 評価されている間、変わる動機がない。気づいたときには「これでいい」が積み上がっていて、方向転換が重い。
成功体験で癖が強化されてしまうという罠があります。

晩成の罠:「自分はダメだ」と思い込むこと

評価されない。自分に能力がないと思う。自信を失う。
でもこれ、水平的に評価されていないだけで、垂直的には鍛えられている可能性があるんです。
ルールに乗れなかった分、ルール自体を疑う力がついている。衝突した分、人の痛みがわかるようになっている。
「ダメだ」と思い込むと、せっかく器が大きくなりかけているのに、その器を使えない。もったいない。
評価されない環境で鍛えられた人が、ある時点で「化ける」ことがある。それは器が先にできていたからです。

ただこれはかなりの生存バイアスなのです。評価されにくい人ほど評価して欲しいと個人的には思います。

苦しむ時期が違うだけで、総量は変わらない

早熟型は後半に苦しむ。晩成型は前半に苦しむ。苦しむ時期が違うだけで、苦しみの総量は変わらない。これが僕の結論です。どっちが得とか、どっちがマシとか、そういう話じゃない。

僕自身の話をさせてください

僕はおそらく晩成型です。

子供の頃から、組織で浮きまくっていました。どんな立場の人でも間違っていると思ったら言ってしまう。納得できないことをスルーすることができませんでした。

協調性がない。生意気。扱いにくい。そう言われ続けました。
評価システムとの相性が最悪だったんですよ。
でも当時の僕にはそんなことわかりません。「なんで正しいことを言ってるのに評価されないんだ」とずっと思っていました。

変わったのは、エンジニアからPdM、そして事業責任者へとポジションを変えたときです。守備範囲が変わると、見える景色が変わった。相手の正義が見えるようになった。自分の癖が見えるようになった。

器の中身が増えたんじゃないんです。器が変わったんです。これが垂直的成長だったんだと、今ならわかります。

複利の話

自分のパターンに25歳で気づいた人と、45歳で気づいた人がいるとします。同じ能力、同じ知性。でも20年分の「気づいた後の実践」の蓄積が全然違います。

気づいた後に積み上がるものは、複利で効いてきます。

早熟型は「変わらなくていい」期間が長いから、気づくのが遅れやすい。評価されている間、変わる理由がないから。
晩成型は苦しいから、早く気づくチャンスがある。でも「自分はダメだ」の方に行ってしまうと、気づきではなく自己否定が蓄積する。
どちらにとっても、「自分のパターンに気づく」タイミングが人生の質を変えるんです。
複利は残酷です。でも、今日気づけば明日から複利が回り始める。

AIが「大器晩成」の構造を壊し始めている

最後にもう一つ。ここからは少し未来の話です。
今まで晩成型が苦しかったのは、形にするまでのコストが高すぎたからです。

ルールの中で最適化する人は、既存の仕組みに乗れば成果が見える。学校でテストの点を取れば評価される。会社でKPIを達成すれば出世できる。仕組みが用意されている。

でもルールを疑う人、自分の基準で動く人は、ゼロから形にしないといけなかった。企画して、設計して、作って、説明して。これを全部自分でやるにはとんでもない時間とコストがかかった。

しかも、もう一つ構造的な問題があった。チャレンジするには、先に信用を得ないといけなかった。
組織の中で新しいことをやろうとしたら、まず「あいつに任せても大丈夫」と思ってもらう必要がある。でも晩成型は、さっき書いた通り評価システムとの相性が悪い。信用を積むのに時間がかかる。信用がないとチャレンジの機会が来ない。チャレンジできないから実績が積めない。実績がないから信用が得られない。この悪循環で、器が大きくなりかけている人が何年も足踏みさせられていたんです。

AIがその構造を壊し始めています。

以前「なぜエンジニアという職能が人を強制的に成長させるのか」というnoteを書きました。エンジニアはマシンに矯正され続ける。コードを書く、動かない、直す、また動かない、また直す。この試行錯誤が1日に何十回、何百回と起きる。訓練してると思わずに訓練できていた。これがエンジニアという職能の構造的な恩恵だったんです。

AIが変えたのは、この「試行錯誤の構造」が全員に開かれた ことです。

企画をAIにぶつける。「ここが曖昧です」と即座にフィードバックが返ってくる。修正する。またぶつける。「まだ弱い」。また修正する。これ、エンジニアがマシンと対話していたのと構造的に同じなんですよ。作って、壊して、また作る。このサイクルを誰でも高速で回せるようになった。企画も設計も実装も、一人で全部回せる。職種の壁すら溶け始めている。

水平的成長の速度が爆上がりしたんです。今まで何年もかけて積み上げていた経験を、圧倒的に短い時間で通過できるようになった。

でもね、本当に大事なのはそこじゃない。

水平的成長を高速で積み上げると、垂直的成長のきっかけに早く出会う。 さっきのハシゴの話です。「あれ、これ全部つながってる」「あれ、自分が思ってたのと違う」が、今までより圧倒的に早く来る可能性がある。

ただし、一つだけ条件がある。「AIが作りました」で止まったら、水平的成長にすらならない。「なぜそう作ったのか」「なぜそう判断したのか」を自分の言葉で説明できないと、経験を通過しただけで何も身についていない。試行錯誤をスキップしたら、ただの作業代行です。足腰は一切鍛えられない。

AIは試行錯誤の速度を上げる道具です。でも見え方が変わる瞬間は、自分の頭で考えた先にしかない。

大器晩成の起算点を前倒しする装置。 それがAIの一つの使い方だと僕は思っています。
晩成型が20年待たなくていい時代が来るかもしれない。形にするコストが下がった。試行錯誤の構造が手に入った。ハシゴに出会うまでの時間が、劇的に短くなる可能性がある。

じゃあどうするのか

自分がどっちの癖を持っているか。まずそれを自覚してほしいんです。

早熟型のあなたへ。「変わる必要がない」と感じている今が、実は一番危ないかもしれません。水平方向にもっと走ろうとしていませんか。器の中身を増やすことと、器を大きくすることは別の話です。逆方向の筋肉を意識して鍛えてみてください。弱さを見せること。正解がない状態に耐えること。それが器を大きくする方向です。

晩成型のあなたへ。「自分はダメだ」と思っているその苦しみは、能力の問題じゃなくてシステムとの相性です。あなたの器は、もしかしたらもう大きくなりかけている。AIを使って、形にする体験を前倒ししてください。組織の評価を待たなくていい。自分で作って、自分で世に出せる。

そして、周りにも目を向けてほしいんです。
早熟に見える人が後半で詰まるのも、晩成に見える人が前半で潰れるのも、個人の能力の問題じゃない。構造の問題です。
「あいつは使える」「あいつは使えない」で片付けるのは、この構造が見えていないだけです。

見えるようになったら、接し方が変わるはずです。

どっちの癖を持っているか知りたい、人は参考までにこちらの記事で僕の考えを書いています。踏み込んだ内容なのでペイウォールの向こう側に書かせてください。

編集後記

この記事を書きながら思ったんですが、「早熟の罠にハマっている人」にこの記事を届けるのが一番難しいんですよね。だって「変わる必要がない」と思っているから、この記事を読もうとしないかもしれない。

でも、もしあなたが読んでくれたなら。それは何かモヤっとしていたからだと思います。そのモヤモヤは正しい。

僕は晩成型として20代をまあまあ苦しみました。でも今思うと、あの苦しみが器を作ってくれたんだと思います。苦しかった時期をなくしたいとは思わない。ただ、もう少し早く構造が見えていたら、自分を責める時間は減らせたかもしれない。

この記事がそういう人の一人に届いたらいいなと思っています。

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