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「小さな救急」は「粗悪な救急」?

「小さな救急」という話をしていますが、時々小さな救急というと大したことはやらない救急、大きな病院に比べると粗悪な救急というイメージを持たれることがあります。
実際、そうなりやすい要素は十分孕んでいると思いますので、そうならないように常に自戒しておかないといけないと思っています。


話は逸れますが、私は長年、カンボジアの救急医療トレーニングに携わってきました。そこでは高度救命よりも、初期救急対応—田舎の小さな診療所や病院に急患が運ばれてきたとき、どう対処するのか—を中心に、約10年にわたり研修とトレーニングを行ってきました。「小さな救急」です。


カンボジアは現在経済発展の勢いが非常に強い国ですが、医療の領域ではまだまだ発展途上であり、特に初期救急医療の分野はまだまだこれから改善すべき部分があると感じています。そこで、JICAの委託を受けて、私の所属するNGOでカンボジアの初期救急対応の支援事業を3期10年以上にわたってやってきました。

「小さな救急は、粗悪であってはならない」

この活動の中で、絶対に重要なポイントだと考えてきたのは、「小さな救急は、粗悪であってはならない」ということです。カンボジアは首都と地方での医療格差が大きいです。地方では、使用できる医療資源は限られ、フルスペックの救急医療を提供できるわけではありません。しかし、だからこそ救急としての一定の質を保つことが不可欠だと考えてきました。

日本の往診も同じことだと思っています。自宅で「小さな救急」を行う時も、高度専門的ではないかもしれないが、「小さな救急」ならではの質が求められていると感じています。

前々回は脳血管障害への対応でも大きな救急と小さな救急があるという話をし、前回は肝細胞癌の腹腔内での破裂からのショック状態であっても大きな救急と小さな救急があるという話をしました。

この2つの例では、患者さんへの丁寧な説明と、苦痛を軽減するために可能な手段を迅速に柔軟に行うことが大事だと痛感しました。持続投与の麻薬(疼痛管理)や輸液量の微調整などを重視しました。水分過多になりそうな兆候を把握したうえで、常置しているシリンジポンプを使い、鎮痛薬の投与量を調整するといった対応を行いました。
やるべきことを、丁寧にやる」姿勢をとらないと「小さな救急」は単に大きな病院に比べて質の低い救急になってしまいます。

私が最近読んだ本でヒントになる事例が、東えりかさんの著作「見えない死神」で記されていました。

都立駒込病院では、希少がんの対応を専門的に行っています。同病院では希少がんの治療に臨む際には、同時に緩和医療のチームと面談し、入院手続きまで含めて準備を進めていく、点に触れられていました。

これからがんと本格的に戦うにあたって、なぜ緩和医療の話を同時にするのか—そう感じる方もいるかもしれません。しかし、これは極めて理にかなっています。がん治療には必ず苦痛が伴う場面があり、その苦痛を緩和しなければならない。攻めの治療—とくに希少がんの抗がん剤治療など—では、命を救うために大胆さが求められる局面があります。そのとき、QOLを支えるのは緩和医療の役割であり、抗癌剤等の治療と緩和医療が常にセットで動くという発想は、私にとっては非常に納得のいくものでした。

「小さな救急」は、緩和医療的な丁寧なケアを志向する救急でもあるべきだと思います。診断や治療の内容が高度ではないからこそ、粗悪にならないように、丁寧な医療を提供できるよう肝に銘じたいと思っています。



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