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#00 介護マンガを描いているカナエックスです|はじめてのnote


自己紹介

介護のマンガ「見習い介護士のミカちゃん」を描いているカナエックスと申します。

こんなマンガです

「22歳の新卒社会人ミカちゃんが選んだお仕事はデイサービスでした」というお話です

マンガ家ではありません。

本職は介護施設の経営を行っております。
マンガはその事業の一環で描き始めました。
現在、ジャンプルーキーとpixivで無料公開中です。

事業の一環でどうしてマンガを?

ここではわたしが介護のマンガを描くに至った動機やいきさつを綴っていきたいと思います。
ぜひお付き合いください。


19歳、専門学校生

そもそもマンガ家志望でした。
19歳の頃、美術の専門学校に通いながらあまりメジャーではないマンガ家のアシスタントをしていました。
その先生から仕事のおこぼれをもらい、時には路上で似顔絵を描いて生計を立てていました。

絵の具の扱いが得意だったのでカラー原稿の着彩を任されることが多く、リキテックスというアクリル絵の具やドクターマーチンのカラーインクを愛用しておりました。

オリジナルのカラーイラストはマンガというよりは写実画寄りで、それを見た先生から
「二科展に作品を出してみないか?」
と声をかけられました。

二科展で入賞できれば「画伯」と認められる!

当時、大友克洋先生や桂正和先生、山田章博先生など画力の高いマンガ家に憧れていたわたしは、マンガに最も大切なのは「絵」だと信じており、「絵」で認められることはこの上ない栄誉でした。

思いがけない展開に我を忘れて興奮したのを覚えています。


挫折

「二科展で入賞を目指すのならばコネが必要だ。
 まずは○○先生に挨拶に行ってみなさい。菓子折りを忘れないようにね」
先生が発した言葉に愕然としました。

画家にとって栄誉ある賞、それは実力でもぎ取るものではなかったのか?
納得がいきませんでした。
(20年以上前のエピソードです。今はどうなっているか分かりません)

「入賞すれば名前が売れる。
 そうすれば仕事が付いてくる。まずは入賞することを考えなさい」

19歳の青二才にはあまりにも残酷で重すぎる現実でした。

結局わたしは偉い先生方への挨拶回りを拒み、二科展に作品を出すこともなく、それがきっかけでアシスタントの仕事も辞めてしまいました。

華々しくキラキラ輝いて見えていた絵を描く仕事の汚い側面に絶望したのです。

「自分の力で賞を取るんだ!」

50ページほどの読み切りマンガ作品の完成に漕ぎつけたわたしはマンガ賞へ応募しました。
はたまたゲーム会社にキャラクターデザインのカラーイラストの持ち込みなど果敢に売り込み活動を行いました。

しかしことごとく惨敗。

コネ以前にわたしには実力が無かったのです。


22歳、介護の仕事との出会い

絵を仕事にすることを諦めたわたしは日雇いの交通誘導員や引っ越し屋、居酒屋のバイトをしながら実家に寄生していました。

夢も希望も無い、ただ何となく過ぎてゆく日々。
わたしはかつての情熱や生きがいを失っていました。

親のすねをかじりながらフリーターを続けるわたしに
「いい加減正社員の仕事を探したら?」
という親の圧力。

しかし何もやりたいことが無かったし、絵ばっかり描いていて社会に馴染むのが苦手であったわたしに正社員なんて勤まるはずがないと思っていたのです。

ある日、バイトで知り合った友人が
「俺、正社員になるわ。介護の仕事やるねん」
と言ってきたのです。

「介護って何・・・?」

初めて聞く言葉でした。


カナエックス22歳のスペック

◆性別・・・男性
◆資格

・普通自動車運転免許
◆職歴
・マンガ家アシスタント
・交通誘導員
・居酒屋ホール&洗い場
・引っ越し作業員


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