見出し画像

【愛縁奇縁/前世編〈忍〉】第一話:影に染まる人生

 山奥。霧に沈む谷の底に、その里はあった。
 地図にも載らない忍びの集落――【影見の里】。

「跡継ぎとして当然の務めだ」
「できぬなら、死ね」

 冷たい声。次の瞬間、頬に衝撃が走った。

 母は父の傍らに立ち、伏せた瞳の奥で感情を隠し、ただ沈黙を貫いている。
 息子が殴られる音が響いても、顔を歪めることすらない。

 それが、何より残酷だった。
 俺に、名はない。道具に、名はいらないから。

「……勝手に期待すんなじゃ。
 全部、お前らが勝手さ決めた事じゃろ」

 吐き捨てた言葉は、鉄拳で返ってきた。
 畳に叩き伏せられ頬に血が滲み視界が揺らぐ。

 だがその痛みの奥で、心はただ一つの叫びを繰り返していた。

(俺は……道具でねぇ。人間じゃ)

 仲間はいない。里の誰もが敵だった。

 それでも、夜は訪れる。
 強い風が霧を裂き、月明かりだけが、谷を照らす。
 そんな夜だけ、俺は声を殺して泣いた。

 ――命を懸けて守る価値とは、どこにあるのか。

答えを求める心を持つこと自体が、
許されぬような場所。
 けれどそんな俺の世界に小さな灯が差し込む日が来た。


 従妹の鈴。
 俺に人の温もりを思い出させてくれた存在。
 そして、くノ一見習いの如月。
 凛とした瞳を持ち、俺を人として扱ってくれた存在。


 名もなく生きてきた俺は、彼女たちとの出会いで変わった。
 ……――――それが、すべての始まりだった。

▶ 次の話


いいなと思ったら応援しよう!