【愛縁奇縁/前世編〈忍〉】第零話:月下を駆け抜ける
風が森を裂いていた。
忍びとして鍛えた足音が今夜はやけに重い。
背後から迫る殺気が肌を刺した。
振り返る余裕もなく少年は手を握り直す。
「行くぞ、如月」
掠れた声で呼ぶと少女は息の合間に微かに笑う。
「ええ。……もう、戻らない」
その言葉が胸の奥に灯る。
少年は命じられるままに人を殺してきた。
……未来など持てないと、そう信じていたんだ。
少女もまた、
くノ一としての【成人の儀】という宿命を前にしていた。
その意味を知らぬはずもない。
そんな少女のために、少年は何が出来るのか考える暇もなく。
気づけば、その手を掴み走っていた。震える指を離さぬように握り直す。
獣道を踏み分け枝に頬を切られても息を殺し駆け抜けた。
二人は崖へと追い詰められる。背後には刃、眼下には激流。
逃げ場がないと悟り同時に身を投げる。
激流に叩きつけられ、少年は片腕の感覚を失い少女は片目を閉ざした。
……それでも命は繋がった。
目を覚ますと、空は静かに晴れ渡っている。流れ着いた先の小さな農村。
畑を耕し、土の温もりを知る。慣れない生活でも、二人なら笑えた。
ある時、少年は村人から【若夫婦】と言われ思わず否定する。
やがて少女の元へ縁談話が舞い込んだ。
少年は、彼女が断ると思い込んでいた。だが、少女は考えた末に言う。
「会うだけなら……」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥がチクリと痛んだ気がした。
苦い痛みに耐えきれず、少年は咄嗟に少女の手首を掴んだ。
「嫌だ」
気づいた時には、もう止められなかった。
……あの時はじめて、自分の意思で選んだ。
「……どうして?」
翡翠色の瞳が真っすぐに少年を見る。
最初から、惹かれていたのかもしれない。
「……好き、じゃから」
彼女は、頬を緩めて小さく笑った。
「遅いよ」
言うと同時に、少女の細い腕が少年の背をそっと包んだ。
砕け散った心の欠片を、ひとつずつ拾い集めるように。
傷は消えない。
それでも、共に生きると少年は誓った。
「如月……」
彼女の名を、夜の風に零す。
震える木立の向こうで、月が雲間から覗き淡く照らし出す。
その光の下で……――――二人は、手を繋いでいた。
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