見出し画像

【愛縁奇縁/前世編〈鬼〉】第十六話:夢の続きに咲いた角

 ――ぽたり、ぽたり……水音が響く。岩肌に囲まれた、冷たい洞窟の奥。

 細い光が、天井の裂け目から差し込んでいる。
 その中に青年――いや、人と呼ぶにはあまりにも異形の者がいた。

 漆黒の髪。赤い瞳。
 額には、赤黒い角が生えている。青年は、独り言を漏らす。

「……ああ、夢か……」

 その声には、哀しみが滲んでいた。如月の笑顔。鈴の声。
 あの温かな日々が。前世のすべてが、昨日のことのように胸に残っている。

 ……黑《よる》は、前世の記憶を抱いたまま生まれ変わっていた。

 傷と血にまみれた人生だった。
 その果てに、ようやく掴んだ手。愛した女との安らぎも得た。

 子は授からなかったが、それでも二人で歳を重ね。穏やかに生を終えた。

 ――筈、だった。

 だが再び目を覚ました時。
 彼は、生まれたばかりの赤子として母の腕に抱かれていた。

 彼の名は、外道丸《げどうまる》。

 時が流れても、外道丸は周囲と心を通わせず、自分の殻に籠った。
 やがて言葉を覚え始めた頃、彼は母にだけ打ち明ける。

「……おれ、まえにも……べつの自分で、生きとった気がする」

 到底、信じられる話ではない。
 自分が母の立場なら息子が奇妙しくなったと思うだろう。

 だが母は驚きもせず、静かに微笑み、外道丸の頭を撫でた。

「お前が何者でも、母さんの子に変わりはないのよ」

 その言葉で、彼は初めて今世の愛を知る。
 しかしその母も、ほどなくして病に倒れた。

 熱に魘《うな》され、痩せ細る母を前に、
 外道丸はただ傍にいることしか出来ず。

 そんな母の最後の言葉は、静かな願いだった。

「……生きてね、外道丸。……お前は、独りじゃない……」
「嫌じゃ、お母! 死なんでけろ!!」

 だが、その言葉は虚しく響いた。母は、静かに息を引き取る。
 亡骸に縋りつき、外道丸は泣いた。

 そして。

 その日を境に国上寺《こくじょうじ》に稚児として預けられた彼は、
 他者を寄せつけず、ただ修行に打ち込んだ。

――ただ一心に。過去も未来も捨て、救いを求めるように。

 整った容貌ゆえに恋文が山のように届いたが、
 外道丸はそれらを葛籠に仕舞い込み、手をつけなかった。

(愛なんぞ、もういらん。……如月以外、誰も愛せん)

 彼の心は、前世からただ一人を想い続けていた。
 だが、ある日のこと。一つの報せが、彼の静かな日々を打ち砕いた。

「……外道丸様をお慕いしていた娘が、
 返事の来ぬ嘆きから命を絶たれたそうです」

 その夜、外道丸は初めて葛籠を開いた。中には幾百もの恋文。
 未開封の封を一つ、二つと割くたび……胸の奥が、軋むように痛んだ。

 ――そのときだった。
 葛籠の奥から白い煙が立ち上り、一瞬で彼の全身を包んだ。

「……っぐ……ああ、ぁ……!」

 頭を抱え、外道丸は苦しみ悶えた。体が、変わり始める。
 燃えるような熱が駆け巡り、頭から角が生えた。

 禍々しい何かが、内から溢れ出す。

 膝をついたまま顔を上げた先――鏡に映ったのは、見知らぬ己の姿だった。 

 紅く光る瞳。鋭い赤黒い爪。
 額には二本の赤黒い角。

 ――そうして、彼は鬼となった。その名は、やがて世に知れ渡る。
【酒呑童子《しゅてんどうじ》】


 かつて愛と静寂を知った者が、悲しみと絶望から鬼へ堕ちた。
 ……だが、これはまだ始まりに過ぎない。

▶ 次の話


いいなと思ったら応援しよう!