【愛縁奇縁/幽世編】第二話〈後編〉:深き靄に喰われし想い
【酒呑童子/官那羅】
闇が洞窟の奥で喰い散らかすようにうねっていた。
まるで生き物のようだ。喚き、吠え、襲い掛かる。
影が奔り、空間の軋ませた。
暴走している。
黑が、我を忘れた【鬼】として。
如月を穢そうとする【幻の男】に対し、明確な殺意を向けている。
全身に漲る氣が暴れ、爪先で地を削り、影が蠢いた。
闇が彼の足元から生まれ、這い、裂き、喰らい、天井を黒く塗り潰す。
白哉は、ゆっくりと歩を進める。
一歩踏み出すごとに、冷気が静かに広がった。
彼の周囲の空気は異質だ。
温度が下がり、水蒸気が薄氷となり空中を漂う。
髪先すら凍てつくほどの冷気。だが、足取りは揺らがない。
目の前で黑が跳ねた。地を砕く勢いで蹴り上げ、白哉の胸元へ一閃。
白哉はそれを避けなかった。
冷気が脚へと流れた瞬間、黑の蹴りが触れる寸前。
霜柱のような氷が地面から突き上がった。
その力に押し返されて、黑の動きがズレる。
蹴りは白哉の肩を掠め後ろの岩壁を粉砕した。
影が再び襲い掛かってくる。地に広がった闇が一気にせり上がった。
その身体を締め上げようとするが、白哉は身じろぎもせず左手を掲げる。
その手から落ちた冷気が足元に触れた瞬間……影が凍った。
まるで雪崩に覆われたかのように闇のうねりが一瞬で静まる。
霜の音が、ぱきぱきと空気を裂く。次の瞬間、黑が突っ込んでくる。
自らの影を破り、氷を砕き、白哉へ強力な蹴りを叩きつけた。
それをすんでのところで躱すと、白哉は即座に体勢を立て直す。
踏み込み、右腕に氷を纏わせ、次の一撃に備えた。
風が裂け、周囲の靄が吹き飛ぶ。
黑の蹴りが直撃した洞内の壁面は、抉られ崩れ落ちた。
二人の間に、言葉はない。
交錯、跳躍、再度の衝突。互いの身体が擦れ違い、気の波が追う。
壁が剥がれ、床が凍り、天井から氷柱が降る。まるで舞のようだった。
凍てついた静と、猛る闇の動――異なる性質の鬼が、
真逆の均衡を保ちながら火花を散らす。
やがて白哉が、静寂を打ち破るように叫んだ。
「黑……これは自分との戦いやろ!
如月ちゃんを守りたいんやったら、こないなとこで負けんなや!」
声は、破壊音の飛び交う中で黑の耳に確かに届いた。
すると、彼の目に涙を浮かべた如月の幻が映る。
その口元が震え、言葉が届く。
『私は、そんなあなたを望んでない!』
黑の全身から、力が抜けた。
爪を立てた手が震え、宙を切り裂く影がゆっくりと収まっていく。
そのまま彼は膝をついた。
「……俺は、っ……守りたかっただけなんじゃ……」
黑が崩れ落ちた瞬間、白哉の身体が傾いた。
どさりと音を立て、地面に倒れ込む。
振り返った黑の視界には真っ赤な染みが広がっていた。
白哉の肩から、胸元から、裂けた衣の間から……鮮血が流れ出ている。
「……白哉……!?」

そして即座に、身体を抱き起こす。
「なぁ、白哉! 嘘じゃろ?
……なして、……なして、お前が、っ!!」
白哉の唇は微かに震えたが、声は出なかった。
ただ、冷たくなり始めたその身体が黑の腕の中で小さく脈打っている。
血の温もりだけが白哉の命を繋いでいた。
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