【愛縁奇縁/幽世編】第零話:遥けき扉の前にて
奥宮の一角に、白が佇んでいた。
外の風の匂いを遠く感じながら、朱色の瞳で静かに彼方を見つめている。
「今日も、彼は来てくれないのね……」
幼いがどこか女らしい声が、静寂に溶けていった。
傍らの少女が、小さな声で尋ねる。
「白……待つのが、辛いの?」
白は首を振った。
「辛いわけじゃないの。……ただ、心配なんだ。
また一人で頑張りすぎてるんじゃないかって……」
外の自由な空に憧れながらも、訪れぬ待ち人を案じている。
その優しさが言葉に滲んでいた。

そっと寄り添い、白の頭を優しく撫でた。
***
静まり返った空気を裂くように、玄の落ち着いた声が響く。
「幽世へ向かうには、正しい手順で扉を開かないといけません。
場所はこの神社の境内で問題ありません。俺が鏡を用意します。
そして、巫女役を如月さんに担っていただきたいです。
今と前世の記憶と想いを持つ【魂の媒介者】として」
如月はほんの一瞬だけ戸惑いの色を見せたが、頷いた。
恐れよりも、誰かを救いたいという決意が強かった。
「……わかったわ。私で良いのなら、やらせて」
「お願いします。それと、志輝さんにも奉納演舞をしていただきたいです」
「わかりました」
準備は慌ただしく進んだ。黑と白哉は山へ行き、榊の葉を採ってきた。
玄が持参した小瓶から神酒を器に分けた。
石を並べ、白布を張り、木製の台座の上に鏡を置く……
境内に厳かな空気が満ちている。
鏡の表面に玄が細筆で複雑な紋様を書き記す。
筆先が触れる度、鏡の奥がぼんやり揺らぐように見えた。
如月は巫女服に着替え、玄から一枚の紙を手渡される。
「緊張せんで良か……お前なら大丈夫じゃ。俺が保証しちゃる」
黑が如月に話すのを、横で聞いていた白哉は目を細めてくすりと笑う。
「如月ちゃん。黑の奴、照れ屋やけど嘘はつかんから自信持ちや♪」
白哉の言葉を聞き、黑が睨み返す。
そのやり取りに、如月の緊張もほぐれる。
一度深く息を吸い、紙を掲げる。
そして、祝詞が静かに彼女の口から流れ出す。
「――ひもろぎの 鏡の奥に 常世なる
命の揺らぎ 今し目覚めよ……」
その声に合わせ、志輝が一歩。
舞台の中央へと進み出た。
白い袖が月光を受けて舞い、足運びはまるで風のよう。
微かに揺れる布の音と如月の詠唱が境内に重なり、
時が止まったかのような静謐が広がった。
そんな志輝を白哉は静かに見つめている。
「舞、綺麗やな。……前にも見た気するんは、僕の気のせいなんかな?」
独り言のような呟きに、隣の天羅が応えた。
「……たぶん気のせいじゃないと思うよ?
……君の【心】が覚えてるのさ」
白哉はその言葉を聞き暫し目を伏せたが、すぐに視線を戻す。
刹那、舞の合間に志輝と白哉の視線が交差する。
それは、決して長くはない時間だった。
如月の詠唱が最終節に差し掛かる。
「ゆらぎし魂 還るべき道を示しませ 幽の扉 いま此処に開かれん……」
次の瞬間……空間が軋むような音を立てて歪んだ。
空中に亀裂が走り、鏡の奥から鈍く青い光が漏れ出す。
神社の空間そのものが揺らぎ、
一角に異界への【入口】がゆっくりと開かれていく。
向こう側には淡く霞がかった森のような景色。
色も形も曖昧で、夢と現実の狭間のようだった。
玄が静かに告げる。
「門は開きました。覚悟は、できていますね? 」
その問いに、全員が黙って頷いた。全員が覚悟の決まった目をしている。
黑たちはゆっくりと……――――常世の扉を踏み越えた。
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