【長編小説】獣戦記(アポカリプス)第五話 銀牙の試練ー月霧の庭①
影狼の回廊を突破した3人。ミラ、ルガ、トルンは、迷宮の奥に広がる巨大な霧の門の前に立っていた。
門は石造りだが、表面には白い霧がまとわりつき、まるで生き物のように脈動している。門の上部には古代フェンリル語でこう刻まれていた。
“月霧の庭——己が影と向き合う者のみ進むべし”
ミラはその文字を見て、胸の奥がざわつくのを感じた。
「……影、ね」
「ここは“過去のしがらみ”を映す場所だと聞いたことがある。心が弱ければ、飲まれる」
「ふんっ、過去なんざ、もう忘れたぜ」
「いいわね……簡単に忘れられて……」
「あ?」
「とにかく入ろう」
——コツンッ——コツンッ——コツンッ
門を越えた瞬間、視界が白一色に染まった。濃密な霧が足元から天井まで満ち、距離感すら失われる。
「!?……ルガ?!トルン!」
ミラが呼びかけるが、返事はない。霧が音を吸い、声が届かないのだ。
ミラは深呼吸し、耳を澄ませた。霧の中には、微かな足音が混じっている。 だが、それが仲間のものか、敵のものかは判別できない。
(落ち着いて……幻なんかに惑されない)
その時
「ミラ、逃げろ!」
ミラの心臓が跳ねた。聞き間違えようがない。それはずっと聞きたかった兄の声だ。
「兄さん……?」
霧が晴れ、そこに立っていたのは、やはり幼い頃に命を落とした兄・レオンだった。彼はミラを庇って敵の牙を受け、そのまま帰らぬ人となった。
彼はあの日と同じ姿で、あの日と同じ微笑みを浮かべていた。
「久しぶりだな、ミラ」
ミラの喉が震えた。
「どうして……ここに……」
レオンは一歩近づき、ミラの肩に手を置いた。その手は温かかった。幻影のはずなのに、あまりにも現実的だった。
「ミラ、お前は強くなった。でもまだまだ弱い。」
ミラの胸が締め付けられた。
「……弱い? 私が……?」
レオンは静かに頷いた。
「そうだ。 お前は力を手に入れた。技も磨いた。 だが——心が追いついていない。」
ミラは唇を噛んだ。
「私は……あなたを守れなかった。 あの日、私がもっと強ければ……!」
レオンの瞳が鋭くなる。
「またそれだ。ミラ、お前は“守れなかった自分”に縛られ続けている。その弱さを断ち切らない限り、お前は前に進めない。」
ミラは震える声で言った。
「でもどうすれば……」
レオンは腰の剣を抜いた。その動きは、生前と同じ。迷いがなく、静かで、強い。
「俺を斬れ。それが、お前の弱さを断ち切る唯一の方法だ。」
ミラは息を呑んだ。
「兄さんと……戦えっていうの?」
「そうだ。 お前が本当に強くなったというのなら俺を越えてみせろ。」
レオンは剣を構えた。その姿は、ミラが憧れ続けた“最強の兄”そのものだった。
ミラの手が震える。
「……戦いたくない」
「なら、お前はここで終わる。」
レオンの声は冷たく、容赦がなかった。
「来い、ミラ。 お前の覚悟を見せてみろ。」
レオンが踏み込んだ。その速度は、ミラが知る誰よりも速かった。
「っ……!」
ミラは双剣で受け止めるが、衝撃で足が滑る。
「まだ甘い!」
レオンの剣が横薙ぎに振られる。 ミラは後方へ跳び、辛うじて避けた。
「兄さん、本気で……!」
「当たり前だ。 お前が本気で来なければ、意味がない。」
ミラは歯を食いしばり、双剣を構え直した。
「……分かった。 あなたが望むなら、私は……戦う!」
ミラが踏み込む。双剣が閃き、レオンの剣と火花を散らす。
「いい目だ。行くぞ!」
レオンの剣がミラの肩をかすめ、血が飛ぶ。
「くっ……!」
痛みが走る。だがミラは踏みとどまった。
「私はもう逃げない!」
ミラは低く構え、双剣を交差させて突進した。
——カキンッ!シャンシャン!
「その調子だ。 もっと速く、強く!」
レオンの剣がミラの腹部を狙う。ミラは身をひねり、紙一重で避けた。
「……」
「ミラ、お前は優しすぎる。 その優しさは強さにもなるが、弱さにもなる。」
レオンは剣を下げ、静かに言った。
「お前は誰も傷つけたくないと思っている。 だが戦いとは、誰かを傷つける覚悟だ。」
ミラは息を呑んだ。
(私は……私は……)
「その覚悟がなければ、 お前はまた大切なものを失う。」
レオンの言葉は、刃よりも鋭かった。
ミラは震える声で言った。
「私は……誰も失いたくない。 あなたも……ルガも……トルンも……!」
レオンは首を振った。
「それは願いだ。 覚悟ではない。」
ミラの胸が締め付けられる。
「覚悟……?」
「そうだ。 守りたいなら斬れ! 迷いを断ち切れ! お前の剣で、お前の弱さを断ち斬れ!」
レオンが再び踏み込む。その剣は、ミラの心を試すように鋭かった。
ミラは涙を流しながら叫んだ。
「私は……弱くなんかない!! 私は、前に進む!!」
双剣が光を帯びた。
ミラは地を蹴り、レオンへと突進した。
「来い、ミラ!」
レオンが剣を構える。
ミラは双剣を交差させ、全身の力を込めて振り抜いた。
「奥義、月牙双閃!!」
——シャァァァン!
光の軌跡が霧を裂き、レオンの剣を弾き飛ばす。
レオンの胸に双剣が届く寸前、ミラは刃を止めた。
「……私は、あなたを斬らない。 あなたは私の弱さじゃない。 私の“強さの始まり”だから!」
レオンは驚いたように目を見開き、 次の瞬間、優しく微笑んだ。
「……そうか。 なら、お前はもう大丈夫だ。」
レオンはゆっくりと歩み寄り、 ミラの肩に手を置いた。
そしてそっと抱きしめた。
ミラの体が震えた。兄の腕は温かく、懐かしく、 あの日のままだった。
「ミラ、お前の優しさこそ強さであり、誇りだ。」
ミラは兄の胸に顔を埋め、 堰を切ったように涙を流した。
「兄さん……行かないで…… まだ……まだ話したいことが……!」
レオンはミラの背をゆっくり撫でた。
「大丈夫だ。 お前はもう一人じゃない。 ルガも、トルンもいる。 そして……」
レオンはミラの耳元で囁いた。
「俺は、お前の中にずっといる。」
ミラは涙を拭い、顔を上げた。
「スン……スン……兄さん……」
レオンは微笑み、ミラの頬に手を添えた。
「前に進め、ミラ。 お前の未来は、ここにはない。」
レオンの体が淡い光に包まれ、 輪郭が霧に溶け始めた。
「兄さん……!」
ミラが手を伸ばす。
レオンは最後の力で、ミラの手をそっと握り返した。
「誇りを持て。 お前は……強い。」
光が弾け、 レオンの姿は霧の中へと消えていった。
ミラはしばらくその場に立ち尽くし、 胸に残る温もりを確かめるように そっと手を当てた。
「……ありがとう、兄さん。 私は……前に進む。」
霧が静かに晴れ、目の前に道が現れた。ルガとトルンの無事を祈りながらミラはゆっくりと歩みを進めた。
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