【創作大賞2024応募作】 母・子おる 第三話
西淀川にあるねーちゃんのお墓は、御幣島駅から交通の弁もよく、墓石もないことで掃除したりする手間暇がかからない。祖母の大きなお墓とは異なり、墓石がないことで故人をイメージしにくい。でもそれがちょうどいい、まだねーちゃんが異国のどこかにいるような、長い旅に出ていると勝手な想像ができるからだ。
母はいつも朝一番に行く予定を立てるため、僕は徹夜明けでお供しているのだ。だから手を合わせると、そのまま寝てしまいそうになる。母は黙読してくれたらいいのに、いつも手を合わせ声にするのだ。
「宏海、どうやぁ。元気でやってるか。あんた今ここにおるんか?それとも事故したあそこのがもよんにおるんか?あ、そうか宏海、確かロスにおる言うとったな、あんたバスケの試合出なあかんかったもんな。あの後試合は負けたけど、その後はそっちの世界で連勝してる言うてたもんなぁ。お母さんずっと応援してるからな。頑張ってや、克巳あんたもほら、頑張って言うたげて」
ロス以降の母の言葉は全て妄想だ。ねーちゃんが生前言ってたことを希望を込めて口にしたまでに過ぎない。そうであってほしい母の願いが強く、いつの間にか事実として上書きしていた。
ねーちゃんは高校三年になる一年前の春、バスケの試合に向かう通学途中の蒲生四丁目、通称がもよんの交差点付近の一方通行を逆走してきた宅配業者と接触し、そのまま意識が戻らず帰らぬ人となった。運転していた女性はその場を一旦離れ、時間が経過していく中、不安にかられ再度現場へ戻った。しかしすでにねーちゃんの姿はなく、大勢の警察官たちが現場検証を行っていた。再度現場から離れた女性は、逮捕される数日間何食わぬ顔で日常生活を送っていた。
その後の取調べについて全ての罪を認め最近まで刑に服していたが、脳梗塞により刑務所の中で亡くなったと母から聞いた。事故は勤務中に起こったため、会社が慰謝料を支払ったが、過労死ではなかったのかと当時よく噂を耳にした。ねーちゃんを殺した犯罪者だと、僕はその女性を憎んだし恨んだりもした。
二人の小学生以下の子供を持つシングルマザーで、母親のいない子供たちの未来に、恐れをなしての逃避となってしまい、さらに自分同様複数掛け持ちの仕事が、かなりオーバーワークだったのではないかと、母は女性側の気持ちを妙に察していた。
何故宏海は死ななければならなかったのか、母はその問いをいつからか止める様になった。
何故ねーちゃんが殺されなければならなかったのか、僕は今も時々考えてしまう。
あの日僕と母は、ねーちゃんより後に家を出た。試合会場に着き、試合が始まってもねーちゃんの姿は見当たらず、落ち着かない状況の中で試合を観戦していた。スタメンの人たちは試合に集中していたが、応援ベンチ側ではコーチやマネージャーたちが慌ただしくコートを右往左往していた。試合はねーちゃんがいたら勝っていたかもしれない。あまり集中して見ていられず途中で席を立ってしまった。
すると正門を出たところで母の携帯にあいつから、宏海がひき逃げ事故に遭ったからすぐに済生会病院へ来てくれと連絡があった。あいつは事故現場で警察の対応に追われていたため、母と僕が病院へ向かうことになった。でもまさか到着する前に、亡くなっていたとは思いもしなかった。綺麗な死に顔ですと言わなかったが、担当の先生の表情からそう聞こえた。僕には正直寝ている風にしか見えなかった。やや口角が上がっているようにも映り、大好きな苺パフェを食べてる夢でも見ているかのようだった。母は感情を表に出さず、ねーちゃんが病院へ運ばれてからの説明を先生から受けていた。母は何故かずっと合掌をしたままだった。僕は母がねーちゃんを安らかに天国へ逝けるよう祈っているのだと思っていた。
「宏海そこおるんやろ、お母さんに何か言いたいことないか。あんた試合出たかったんやろ。なぁ何か言うてーや。この先生に乗り移ってもええから何か言うてーや」
先生は一瞬えって顔をした。僕はさっきの母の合唱が蘇生への祈りだったと改めて思った。
「わかったで宏海、お母さんいつでも待ってるからな。でもあんたが来てくれへんねやったら、お母さんあんたのAI作るからな。」
その後母に、ねーちゃんのAIについて尋ねた。
「AIて何やったっけ?」
「確か人工知能でしょ、人が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現するもので、コンピューターサイエンスや認知科学、医学、心理学、また哲学に至るまで、今もさまざまな立場で論じられ続けている領域だとネットに載ってるよ。」
「うそ?AIてそっくりさんのことちゃうの?ありのままを一緒のもんみたいに作ることを略してAIやと思ってたわ」
「てかそれ日本語やし、すっごいこじつけ。アーティフィシャル・インテリジェンスの略だとネットには載ってる。」
「アート・ガーファンクルかインポリオ・アルマーニかなんか知らんけど、そっくりさんでええやんか」
「アーとインしか合ってないし、正確にはインじゃなくエンポリオ・アルマーニだし。まぁ、そっくりさんよりもっと進化して行くかもしれないけどね。」
「ええわ、進化せんといて。そのまんまでええわ。宏海のままでええんやし」
母が言いたいことはわかるけど、それでも医学や心理学を使って再現するのはどうかと思う。
「いやそれがお母さんもわからへんねん。お母さんが想像で思ってたことなんか、宏海が言うてるのかわからんねん。最初はお母さんが勝手に適当にそれっぽく言うててんけどな。でも段々そんな声がするようになってきてん。その極め付けがスーパーで半額のお肉買おうとしたら、さっと他の客に取られてしもて、肉がない鍋やとパパも克巳も文句言うやろなぁと、家帰ってから冷凍庫開けたら肉ががっさーあったんよ。あれーと思ったらパパが柄にもなく阪急で肉買ってきてくれてたんよ。これな宏海がパパへゴール決めれるようにパス出したってことやで。あの子の得意のノールックパスや。すごいやろ?」
どこにねーちゃんのAIが絡んでいたのか突っ込まなかったが、ただの偶然をそう捉えれるのは幸せなのか、不幸なのか、僕は母のそういう類の話をかなり聞かされた。でも否定も肯定もせず、ほうとかへーとか言って聞いているのだ。
今、母がこの納骨堂でねーちゃんに語りかけていることも、最近は普通のことに思えるようになった。
僕は母の後ろから、ねーちゃんへ向けて、肘ノックポーズをする。これは生前よくねーちゃんにされた気合いを入れるポーズだった。そして僕は母と入れ替わり、ロッカーの遺影に合掌をした。特に何も言葉は浮かばない。でも胸の辺りがきいとなる。おそらくねーちゃんは僕を叱りたいはずだ。活発で社交的で運動神経も良くて、ルックスも母似で美人な部類だ。その真逆の僕はねーちゃんからすると、陰のような存在でずっと苛々したことだろう。とりあえずやってみたらいいやんとよく言われたが、その度にやりたくない言い訳を十個以上並べた。もったいないなぁと、あの時は捨て台詞に聞こえたが、今じゃ僕のことを思って、言ってくれてたと感謝している。同じことをあいつに言われるとブチ切れそうになる。説得力は信用と対になっている。ねーちゃんは死んでさらに神格化した。だから僕はその期待に応えられないことで、体に妙な反応を起こしてしまうのだ。また胸がきいとなっている。
「克巳、どないしたんや、あんたひょっとして今日あれか?」
いや、あれでないことを一緒に暮らしているのだから知ってるだろう。母は鞄からゴソゴソと何かを探している。
「あらー、やっぱり来てくれたんやー」
母が後ろで誰かに大きな声を張り、手を振っていた。
その先に視線を送ると浅黒く焼けた長身の男性が手に何かを持って立っていた。
「僕も手を合わさせてもらっていいですか?」
孝四郎さんは相変わらず半分笑った表情だ。ねーちゃんから、そこ笑うとこちゃうでとよく突っ込まれ、笑ってないし、そういう顔やからええ加減慣れてよと必死で返していた孝四郎さん、隣の部屋越しによく二人のやりとりを聞いたことがある。孝四郎さんはねーちゃんが亡くなってからもこうして現れるのだ。でもそれは過去の亡霊を引きずっているのではなく、儀式としてやっているように思えた。まだ大学生なのにすごく大人な対応だ。いつかきっと新しい彼女や結婚した際に終わることになるだろう。何ならそっちを優先しろとねーちゃんならきっと言うだろう。
「すいません、いつもタイミング悪くて。それと今日これ持ってきたんです。」
「何それ?ひょっとしてウクレレか?」
孝四郎さんはソフトカバーからテニスラケットを取りだし、少し照れながらロッカーの前に置いた。
「宏海、誕生日プレゼントにこれ欲しい言うてたんですよ。亡くなる前に買ってたんですが結局ずっと渡せずで、そのまま持ってたんです。趣味じゃなくガチのテニス始めようて二人でよく言うてたんです。」
ねーちゃんがテニスに興味があったことを僕も母も今まで知らなかった。たまたまスポッチャで孝四郎さんとのデートの際、勝負に勝つことができなかったねーちゃんはかなり意気消沈したと孝四郎さんは言う。
「宏海、帰りの阪急電車でめちゃくちゃ落ち込んでたんですよ。たかが遊びやんて言うたら、僕おもっきりどつかれて、何すんねん言うたら宏海、電車の中で泣きだしたんです。泣きたいのこっちですよ、車内の人の目、完全に僕、悪者になってましたし。そしたら宏海が言うたんです。しんどい、勝たなあかんのはしんどいて…。勝負なんて負けることもあるし、負けてから学ぶこともあるんとちゃうんて半分冗談で言うたら、そんな時間私にはないねんて…。あの事故後そのことがずっと気がかりで…でも多分こじつけやと思います。何かすんません。しょーもないこと言いまして。」
母は孝四郎さんの言葉を遮り、僕の背中をポンと叩いた。
「勝負に勝つことに、ちょっとぐらい拘ってほしいのは、この子の方やねんけどね」
「お母さん、うちのかつという字はその勝つと違うでしょ。克服のかつでしょ」
「困難に打ち勝つことやんか。一緒やんか」
それなら勝巳にすればよかったのに…と思いながらきっと名前負けした自分は勝てないし、克服できない人生だと思い、また胸がきいとなった。
「何かお邪魔してすいませんでした。これから僕サークル行くんで、そろそろ失礼します」
「こうちゃん全然気にせんといてな、いつもほんまにありがとうね。あとこれで何か食べて」
母はいつ財布から出したのか、円柱に丸めた二千円を孝四郎さんのポケットにさっと入れて背中をどんと押した。いやそれはと関西のおばちゃんのような孝四郎さんは、なぜかこんな時に真顔になっている。ここはいつもの半笑いだろとツッコミたくなったが、母に早よいけと手であしらわれた瞬間あの表情に戻った。
うち、やっぱり孝四郎さん好きかも。
「はいこれ。こうちゃんおると渡されへんやろ?」
「お母さん、だからうち今日あれと違うって。」
母はお茶目に舌を出し、孝四郎さんが置いていったテニスラケットを二、三回スイングした。
「宏海運動神経ええ方やったけど、テニスが好きやったとはなぁ。克巳知ってたか?」
僕は母の質問に応えず、あいつのことをぶつけてみた。
「なんや急にパパと別れろて、そりゃ別れるのは簡単やで。紙書いて役所出して一瞬で済むやん。でもそっからパパと一緒の人生送られへんやん。ほっといやらまたどこぞで金借りて騙されて借金して、最後首回らんようになって死んでしまうやろ?お母さんおるから何とかなってるけど、お母さんおらんようなったらパパ終わりやで。お母さんがいつか天国行ったとき、パパ見殺しにした罰受けなあかんの嫌やし。よく助けてあげましたねーナイスですねーて感謝されながら天国行きたいやんか。」
あいつの女性関係のことを母は敢えて知らないことにしているのか、知ってて娘に黙っているのか、どっちにしても、人助けのためにあいつと暮らす使命へといつからか切り替えたようだ。やっぱりねーちゃんが天国からそこんとこ繋ごうとチェックしてるのかなぁ…。
「あとな、パパ犬みたいで可愛いやろ?わんわん言うて吠えたり、くいーん言うて泣きそうなったり。」
はぁ?どこに可愛い要素があるのだ。犬は奉仕の象徴なはずだ。あいつは奉仕など全然しない。奪うテイカーで、ただのピンプだ。母はあいつの存在だけでいいのだとさらに付け加えた。僕は娘という立場だから母の気持ちが全く理解できない。きっと忘れられない恋愛時代があるのか、ねーちゃんのことがあっただけにこれ以上家族を失うことを恐れているのか。ひょっとして母は思い出にしがみつくタイプで、それをあいつにうまく利用されているのかもしれない。今アマゾンで千七百八十円の藁人形を買い物かごへ入れた。あとで絶対に購入してやる。
「克巳、こんなん言うたらあれやけどな、パパのお金の問題は最悪何とでもなるとおもてるねん。それよりもパパは自分の大事なものを必死で探そうとしてるやろ?そっちの方が心配やねん。」
「大事なもの?」
「そう、その大事なもの。残念ながらパパには見えてないねん」
「パパの大事なものって何なの?」
「パパやん」
は?自分自身が大事なもの?そんな風に本人に言うと絶対天狗になる。いやいやこれ以上あいつを甘やかすとろくなことにならない。
「じゃあお母さんの大事なものは何?」
「今こうやって生きてることや。克巳と一緒におることや。克巳にお母さんて言われることでお母さんはお母さんとして生きていけるわけや。明日とか来月来年とかちゃうで、いつも今じゃないとあかんねん。」
深いようで随分普通のことを母は言った。
「普通でええねん。無理して頑張りすぎたり見栄張ったり、何者かになろうとしたり、自分の心に嘘ついてやったことは必ずどっかで帳尻合わされるねん。克巳にはお母さんがパートいくつも掛け持ちして無理してるように見えるかもしれへんけどな、お母さん自分の心に嘘はついてないで。やれることをやってるだけのことや。でもな…」
「でも何?」
「お母さんにもあかんとこあってな」
「そりゃ完璧な人なんてこの世にいないと思うよ、でもお母さんはうちにとっても、ねーちゃんにとっても家族を愛する最高のお母さんだし。だからパパがやってることは絶対に許せない。」
「ちゃうねん克巳、パパな、ほんまはお母さんとな…」
母はひとつ間を置いて言った。
「セックスしたいねん。」
え、僕は持っていた鞄を落としてしまった。すでにお墓参りを終え、御幣島駅へと向かう道中、母の声がよく通った。携帯で話しながら歩いていたサラリーマンや、子供を自転車の前に載せた主婦、これから学校へ向かおうとしている女子高生たちが、母ではなく、一斉に僕の顔を見た。
いやいや僕中学生、女子女子。言わない言わない。
母は何事もなかったように真っ直ぐ向いて歩いている。
てかお母さん、夫婦の営みを中学生の僕にカミングアウトしないでほしい。すっごく困るし、ぶっちゃけきもい。
「またおいおいな」
前を向きながら母はノールックでぼつり溢した。
いやぁ、おいおいも勘弁してください。まだそれを聞ける受け皿は僕にはないから。
第四話へ続く
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