働きがいは与えられるものではない ── 誰かの言葉を、手がかりに
この記事について
対象読者
制度や施策はきちんと整えた。それでも職場の手応えが続かない、と感じている方
人との温かい関わりが大事だと分かりつつ、それは再現できないものだ、とあきらめかけている方
自分がいなくなったあと、チームに何が残るのかを考え始めた方
要点
働きがいを生むような関わりは標準化できず、必ず属人化します。でも属人化を二つに分けると、本当に困るのは「抜けたら消える」ことだけで、それを防ぐのは仕組みではなく、言葉にして手がかりを残すことだと考えています。
組織開発を専門にしている友人が、こんな趣旨の記事を書いていました。
福利厚生やリモートワーク、1on1、心理的安全性といった「働きやすさ」を整える会社は増えている。それ自体はとても大事なことだけれど、制度を整えてサーベイの数字が上がっても、その改善がなぜか続かない。一時的に良くなって、また元に戻ってしまう。
改善が続くかどうかを左右するのは、制度の手厚さよりも、もっと日常的なものではないか。感謝される、なじめる、この仕事に意味を感じられる。そうした日々の体験のほうだ、という見方でした。
読みながら、何度も頷いていました。
読み終えたあとも、ひとつだけ、その先を考えていました。
その「感謝する」「なじめる空気をつくる」といった関わりは、数字にしづらく、成果としても見えにくい。友人はそれを”見えない仕事”と呼んでいました。
見えにくいということは、たぶん、仕組みにも落としにくい、ということです。
そして仕組みに落とせないものは、結局のところ、誰か個人のふるまいに頼ることになります。つまり、属人化します。
だとすると、良い関わりであればあるほど、それを担っていた人がいなくなった瞬間に、すっと消えてしまうのではないか。
私がずっと考えていたのは、そこでした。
では、見えない仕事は、なぜ仕組みに落ちにくいのでしょうか。
ひとつは、友人が書いていたとおり、測れないからです。数字にならないものは、成果として扱いにくい。だから組織では、どうしても測れる制度や施策のほうが先に手をつけられます。
ただ、理由はそれだけではない気がしています。
たとえば「感謝しましょう」とマニュアルに書いたとして、それで本物の感謝が生まれるわけではありません。大事なのは、いつ、誰に、どんな言葉で伝えるか、という判断のほうです。
そしてその判断は、たいてい、その人の中に染み込んでいて、うまく言葉になりません。
なじめる空気にしても同じです。場を見て、今は口を挟まないでおこう、ここは拾っておこう、と無数の小さな判断を重ねている。でも本人に聞いても、「なんとなく」としか答えられないことが多い。
もうひとつ、やっかいなことがあります。
こうした関わりは、無理に仕組みにすると、かえって中身が抜けてしまう。
感謝を制度にして、件数を数え始めた瞬間に、それは「やらされる感謝」になります。なじめる空気を施策にすると、どこか演出めいてくる。形は残っても、効いていた部分だけがすり抜けていく。
だとすると、見えない仕事が標準化されないのは、組織の怠慢ではないのかもしれません。
そもそも、仕組みに馴染まない性質のものなのです。
ということは、それを担う人がいるかぎりは機能するけれど、その人に依存しているという意味で、属人化は避けられない。半ば、宿命のようなものです。
ここまでくると、「じゃあ、いい人がいるかどうかの運でしかないのか」と思えてきます。
私もしばらく、そう思っていました。
ただ、ここで一度立ち止まって、「属人化」という言葉を分けてみると、見え方が変わってきました。
「属人化」と一口に言うとき、たぶん、二つの違うことが混ざっています。
ひとつは、「制度や仕組みになっていない」こと。
もうひとつは、「その人が抜けたら、丸ごと消えてしまう」こと。
この二つは、いつも同じものとして、ひとまとめに語られます。でも、分けてみると、本当に困るのは後者だけでした。
前者、仕組みになっていないことは、見えない仕事にとっては避けられません。それどころか、無理に仕組みにすれば壊れてしまうことは、さきほど見たとおりです。だとすれば、仕組みになっていないこと自体は、責められるべきことではない。
困るのは、後者のほうです。
せっかくの良い関わりが、それを担っていた人がいなくなると同時に、すっと消えてしまう。誰にも引き継がれず、なかったことになってしまう。
これだけが、本当の問題でした。
そう気づいたとき、自分が立てるべき問いが、変わりました。
「どうすれば仕組みにできるか」ではなく、「どうすれば、自分がいなくても続く手がかりを残せるか」。
問いがこちらに変わると、不思議なもので、諦めが少しほどけます。
仕組みにはできない。それは変わりません。でも、消えないようにすることは、できるかもしれない。
そして、そのための方法は、たぶん仕組みではありませんでした。
仕組みにできないものを、それでも残す方法。
考えてみると、ひとつしか思いつきませんでした。言葉にすることです。
感謝のしかたも、空気のつくりかたも、本人に聞けば「なんとなく」としか返ってこない、と書きました。だからこそ、そこを言葉にする意味があります。
見えない仕事は、感謝や雰囲気だけではありません。たとえば、何かを任せるときの「どこまで決めて、どこを委ねるか」という判断も、数値にも手順にも残りません。
どこまで指示して、どこから先は手を引くか。経過に口を出すか、結果が出るまで待つか。締切にどれだけ余白を持たせて、試行錯誤の幅を残すか。こうした判断は、たいてい無意識のうちに重ねていて、自分でも、なぜそう決めたのかをうまく言葉にできません。
それでも、あとから「この仕事は猶予があったから、手順までは決めずに任せてみた」と、書き留めておくことはできます。
言葉になった瞬間に、それははじめて、他の人が受け取れる形になります。
制度との違いは、ここにあります。
制度は、「やりなさい」と命じます。だから、形だけが残って、中身が抜けます。
でも言葉は、「私はこのとき、こう見て、こう動いた」という中身のほうを差し出します。受け取った人は、それを自分の場面に合わせて、作り直すことができる。命令ではなく、手がかりだからです。
もちろん、書いたことを、そっくりそのまま受け取ってほしいとは思っていません。立場や責任が違えば、見えている景色も違うからです。鵜呑みにしてもらう必要はなくて、何かの手がかりになれば、それでいい。
念のためですが、これは制度がいらない、という話ではありません。制度は、人が動く場を整えます。ただ、その場で働く判断までは、制度では渡せない。だから、言葉が要るというだけのことです。
しかも、言葉にしておくと、もうひとつ起きることがあります。
自分がその場からいなくなっても、それは話として残ります。誰かが思い出し、また別の誰かに伝える。
仕組みにできないものを残す方法は、結局のところ、言葉にすることだけでした。
「見えない仕事」は、見えないままでは、消えていきます。
でも、言葉にした分だけは、残る。あとから誰かが、手がかりにできる。
属人化のうち、本当に困るのが「抜けたら消える」ことだけなら、それを防ぐのは、仕組みではなく、言葉のほうでした。
もちろん、これとは逆の考え方もあります。個人のモチベーションや価値観に頼ること自体をやめ、明確なルールと結果だけで組織を動かす。そうすれば、属人化はそもそも生まれません。
筋の通った考え方だと思います。ただ、ルールと結果だけで、日々の手応えまで生まれるかは、また別の話だという気がします。
ここまで考えて、ひとつ腑に落ちたことがあります。
たぶん私は、そのために書いているのだろう、ということです。
うまくいった関わりも、しくじった判断も、放っておけば「なんとなく」のまま、自分の中に埋もれていきます。やがて、自分がその場を離れれば、消えていく。
それを、なぜそうしたのかまで含めて言葉にしておけば、少なくとも、誰かが拾える形では残ります。
仕組みにはできない。それは、これからも変わらないと思います。
でも、書いておくことはできる。
これは、私だけの話ではない気がします。決める責任が重い人ほど、その判断は周りから見えにくく、そのままでは誰にも引き継がれません。だからこそ、言葉にして残す意味は、立場が上がるほど大きいのかもしれません。
友人は、記事の最後で、「日々どんな感情体験を生み出しているか」を問い続け、それを話せる関係をつくることが第一歩だ、と書いていました。
その問いに、自分なりの続きを足すとすれば、こうなる気がします。
問い続けるだけでなく、ときどき、それを言葉にして、誰かの手が届く場所に置いておくこと。
たぶん、この記事も、そのうちの一つです。
