「ロダン早乙女の事件簿 SECOND・CONTACT」怨嗟の鎖 7
第3章 第1話 捜査開始
伊藤さんと私は、昨日と同じ席に座った。佐々木刑事は水野係長と立ち話をしている。チラチラとこちらを見ているので、私が頼んだ失禁の件を先に報告しているようだ。5時前になり、捜査員が席に付き始めた。
ふと後ろを見ると、昨日の巡査がいない。今日までは出席するようなことを話していたはずだが、と思った。上席が入り水野係長の号令で礼をしたあと着席して始まった。
「今日も、初めに検視官の長内さんから報告していただく。長内さん、ご報告を」
「長内です。昨日時点では出ていなかった司法解剖の検死の結果が机の上にあります。死因ですが、解剖報告書の3ページを見てください。早乙女教授が疑問に思われていたスタンガンの左側の斑点の中心部分から、心臓に向かって注射針と思われる後があり、心臓に直接B型の赤血球製剤を注入したようです。被害者はB型の抗A抗体がA型赤血球と反応し、体内では凝集を起こす前に補体が活性化して溶血を起こしました。要は赤血球が壊されるということです。赤血球が壊されると、赤血球は脂質でできていますので、凝固因子が活性化して、血栓があちこちでできてしまい、血管内を詰まらせていったようです。通常は血管が破裂して出血しますが、今回は血栓はあったものの血管は破裂していないので、赤血球が破壊されてカリウムが溶け出し、心不全を起こしたものと判断されました。どれぐらいのB型の赤血球製剤が注入されたかは不明ですが、50ミリ以上かと思われます」
昨日同様、一斉に顔だけこちらを向けて睨まれた。佐々木刑事がいなければ座っていられない雰囲気だった。
私は、冷たい視線を感じながらも手を上げて検視官に尋ねる。
「長内検視官、お聞きしても構いませんか。心臓は左心室でしょうか。所見に記述がなかったもので」
「少しお待ち下さい」
右でも左でもどちらでもいいだろうと小声が聞こえた。
長内検視官は、カバンから分厚いファイルを取り出してファイルの表紙を開いた。中から一枚の写真を取り出し、それを見ながらお見立て通り左心室ですと答えてくれた。
「ありがとうございます」
「次は、鑑識峯村」と、水野係長が進める。
「鑑識の峯村です。本日、被害者の家を捜索しました。その中で、佐々木刑事を通じて早乙女教授からの要望ということで、ベッドを調べたところ、微量の失禁がありました。金品については何も取られたものはなく、指紋も家族と介護士だけで、押し入った形跡もありません。また、庭などにもゲソコンはありませんでした。以上です」
「早乙女教授、失禁があったことは、何か問題があるのでしょうか」と、後藤一課長が尋ねる。
「はい、大いにあります。謎が二つ解けました」
何を話しているのか分からなかったが、周りで小声で話す声がする。
「早乙女教授、そのあたりのご説明をお願いします」
分かりましたと言った後、立ち上がって説明を始めた。
「死体検案書の中で、ズボンに微量の尿があり、パンツから滲み出ていたとのことですが、多分、年齢からの尿漏れと考えられたと思います。しかし、そのことに疑問が湧いたので、追加でベッドの敷布について鑑識さんにお願いしました。まず、日頃、おねしょをする方ならオムツをすると思います。それをせずにおねしょをすれば、敷布を洗濯する必要があります。当然ですが、それは介護の方にしていただく必要があります。私の祖父もそうですが、身内ならばいざ知らず、他人に処理していただくということは、この年代の人にとっては恥ずかしさで耐え難い屈辱だと思われます。ましてや、自分で生活が可能な方ならば、よけいに見られたくないでしょう。また、検案書にあったように、パンツに微量の失禁ということは、おねしょではないと判断しました。つまりレム睡眠中のおねしょであれば大量の尿が出たはずです。微量であったため尿漏れが分からず、下着を変えずにスーツを着せたのではないでしょうか。だから、パンツからズボンに染み込んだものと思われます」
口々に、そうかという言葉が聞かれた。そのまま私は続ける。
「みなさんも既にお気づきでしょうが、睡眠導入剤の発見から、被害者は外出中で襲われたのではなく、寝込みを襲われたと思われます。その際、スタンガンの強烈な電気ショックで失禁したと考えられます」
「すると、自宅から誘拐されたということですか」と、後藤捜査一課長が聞いてくる。
「そうだと思います。これによりもう一つの疑問であった12時間というループ映像の謎が解けそうです」
「それは、誘拐と関係があるのですか」
「あるとも言えます」
「あるともということは、どういうことでしょうか」
「自宅から誘拐されたことは間違いないでしょう。それよりも、誘拐した時間がいつなのかが分からないようにしたということです」と答えた。
「どういうことですか」
「誘拐なので車のはずです。もしも、時間が分かれば、いくつかの防犯カメラに映っているかもしれません。しかし、時間を推測することが難しいと、全ての車を調べることは困難でしょう。それに、ダムの防犯カメラを12時間もループできる人であれば、一般家庭の防犯カメラぐらい簡単にハッキングできると思います」
「であれば、自宅周辺を調べても効果は薄いということですか」
「もう少し進めば限定できると思います。もうしばらく猶予を下さい」
後藤捜査一課長は少しではあるが納得した様子であった。
「では、奥多摩方面担当の一班の島尾から報告をするように」と、水野係長が命じる。
「島尾です。サイバー班からあった12時間のループから、一班は少し幅をもたせて夕方の5時以降からダム周辺の聞き込みを致しました。この時間帯にはダムの見学者もいないため、ダムへ向かったり戻ってきたりする車は、ダムの関係者以外はありませんでした。ただ、二班がダムから5キロ東で、昨日不審な車が通過したのを見たという聞き込みがありました。内容は二班の片桐から説明してもらいます」
島尾刑事の後ろに座っていた刑事さん、つまり、片桐刑事が立ち上がり説明を始めた。
片桐刑事が言うには、この辺はS字カーブが多く、走り屋には人気の場所で、意外と飛ばす車が多い中、ダムの方へ異様なほど遅い車を目撃した人がいたとのこと。時刻は畑へ行く準備をしている時なので、朝の5時半頃に間違いがないとのことであった。
ここでロダンになる。
伊藤さんは「やったぁ!」と声を出してしまって恥ずかしかったと話していた。
引き続いて島尾刑事が、結論を述べる。
「以上から薬の効いている被害者を起こさないようにゆっくり走り、ループギリギリの時間にダムに着き、すぐに殺害したあと、遺棄したものと思われます」
確かに辻褄は合っている。しかし、睡眠導入剤が体内にあることから、気絶したままであろう。何故と思い質問しようとしたが、この件はあとで佐々木刑事に聞こうと思った。
やはり、今の報告で時間の限定は確実にはできないが、車の限定は可能であると判断したので、その車を発見できるかもしれないと思い手を上げて発言の許可を貰った。
水野係長に、教授と指される。
「時間の確定までは難しいかもしれません。しかし、車の限定はできるのではないかと思います。私に考えがあります。できれば、佐々木刑事と加藤刑事以外に、どなたかにお手伝いいただけないでしょうか」
すると、島尾刑事が手を上げると水野係長が指名する。すると、語気荒く島尾刑事が話し出す。
「死体の遺棄場所が奥多摩であることから、こちらにも人員が必要です。これ以上捜査指揮外での人員は出せません!」
そして「自分たちを信頼して下さい」と吐き捨てるように言い放った。
再度お願いしたが、佐々木刑事が立ち上がり「私たちが3倍動きますので」と言ってその場を治めた。多分、これ以上話すと揉めると思ったのだろう。
私は口をつぐんだ後、そのまま腰を下ろした。
「佐々木、加藤、教授のフォローは頼んだぞ」と、水野係長から声を掛けられていた。
二人は、大きな声で返事をした。
「では、怨恨で捜査している三班の鈴木、報告を」
「鈴木です。今のところ家族を含め脅迫めいたことはないとのことです。また、友人は亡くなっておられる方がほとんどで、一人残った方も昨年老人ホームに入ってしまい、ほとんど会わなくなったとのことです。ただ、気になることを言っておりました」
「なんだ」
「3ヶ月ほど前、被害者の都庁時代の回顧録を作らせて欲しいと言う女性記者が来たとのことです。その時は、後輩の都知事を紹介したそうですが、結局、都知事の所には取材に行かなかったと話していたそうです」
「その記者の名前は分かるのか」
「いえ、聞かなかったそうです」
「分かった。三班は明日、都知事の秘書室へ連絡を取り、被害者からの紹介のあった記者の名前を聞くように」
鈴木刑事は、返事と同時に着席した。
「四班、五班はどうだ、報告はないか」
都内から奥多摩への国道を捜査している四班も被害者の自宅周辺の五班もこれといった収穫はないとのことであった。
一班と二班には引き続きダム周辺の聞き込み、三班はその記者の素性と怨恨に関する情報の収集を、そして四班五班はそのままの体制を維持するようにと指示し会議は終了した。
