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母が亡くなって1週間、やりたいことが降ってきた。

転記;2025年5月10日の日記

5月10日 Cafeについて

昨晩、ぴーちゃん(同居するパートナーです、前記事参照)と意見が合致(店名まで!)。
記録しておく。コンセプトの種として。

今回、母親が亡くなり感じたこと;
・夜が長く、辛く、さみしい
・朝は希望であり、喜び
・どんなに辛くても、朝「おはよう!」「よく眠れた?」と言い合える人がいれば、その日は幸せになる

 ”GOOD MORNING CAFE"
あたたかく、にぎやかで、居場所になる


この頃のわたしたち

母が亡くなったということで、わたしたちは忌引休暇をゴールデンウィークを延長しそれぞれとっており、幸いにも仕事のことは考えなくてよかった。

だからこそ、毎日毎日家族で実家に集まって、
その日1日の食事を何にするか考え、買い物に行き、
みんなで母親のことを話しながら、食事をした。

父親は相変わらず、毎日泣いていた。
だけど自営業を営む父は、仕事を止めるわけにもいかず、
最低限の仕事を目を腫らしながらやっていた。


思い出すのは、朝が希望だったこと

そんな実家に集まり妹とぴーちゃんと話す中で、
わたしたちは母親と最後にICUで過ごした一晩のことをよく思い出した。
涙を流しながら、
なんとか命を繋いでいる母親に対し、手をさすり顔を撫でながら、
3方向から
「大丈夫だよ、お母さん」
「きっと良くなるよ、頑張って」
と声を張り上げ続けた夜。

「私は、お姉ちゃんの"朝まで、日が出るまで頑張ろう"」と言ってくれた声が希望だったよ。
夜を越えられたらなんとかなるような気がした」
と妹が言い、あの夜を終えた後の日の出を思い出した。

狭くて窓の小さい病室でも、わずかに空が見えた。
人間の身体はバイオリズム的に夜間は体力が落ちる、と担当医の先生に聞いていたわたしたちは、
その夜をなんとか越えようと必死だった。
スマホで日の出の時間を調べ、
「あと少しで日が出るよ」
「明るくなり始めたよ、大丈夫」
「きっと朝を迎えられる!夜を越えられるよ」
と必死で母に声をかけ続けた。

あの日、病室の窓から見えた、
5月のうすいブルーの朝の空は、忘れられないと思う。


父にとっても、朝は希望だ

母が亡くなってから、父も夜が辛いという。
日中はわたしとぴーちゃんや、妹や弟が変わるがわる顔を出し、
話す相手がいる。家の中に人がいる。
だけど、夜になってしまうとみんなが帰り、
母と2人で住んでいた家に一人きりになる。
その時間が、なんとも悲しく耐え難いそうだ。
夜は長く、辛く、悲しい。


わたしが、助けになりたい

母が亡くなってすぐのこの頃は、
自宅にぴーちゃんと帰ってからも、
「今お父さんは泣いていないだろうか?」
「一人で辛くないだろうか」とひたすら考えていた。

「早く夜が明けて朝になって、実家に顔を出してあげたい」
とも。

そんな夜、ふと
「夜が辛いのは、私もぴーちゃんも同じだ。そして、父だけではなく、他にも世の中にはたくさん、夜が辛い人はいるんじゃないだろうか」
と思った。

わたしが住むエリアは田舎だ。
見渡せば、独居のご老人、離婚して一人で住まわれている方、
たくさん一人暮らしの人はいる。
今まで気づかなかったけれど、孤独を感じている人はたくさんいるんじゃないか。
そんなふうにふと思い、そしてすぐ、
「わたしが助けになりたい」と思った。

だって、わたしは朝が希望になることを知っているから。
朝の光のなかで、一言でも誰かと声を交わして、
一緒にひとときを過ごせたら、その日が良いスタートになることを知っているから。
本当は、母親とそんな朝を迎えたかったから。

そんな思いから、翌朝、わたしは冒頭の日記を残した。
これが、今も目指し続けているカフェの一番最初のコンセプトだ。

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