Bauhaus回想録 Vol.10:終焉と魔術、そして復活の儀式 (1983–1998)
1983年7月5日、バウハウスは死にました。 しかし、吸血鬼の物語において「死」は終わりではなく、新たな変身の始まりに過ぎません。
解散直後、孤独に震えるピーター・マーフィーと、魔術の実践によってウィリアム・S・バロウズを召喚したデヴィッド・J。
そして1980年代後半の「分断」を経て、1998年に彼らが再び「棺桶」から蘇るまで。
バウハウスという怪物の死後の世界(アフターライフ)を描くシリーズ完結編です。
終焉と魔術、15年後の「復活(レザレクション)」
「バウハウスには5人目のメンバーがいます。ある種の精神的実体です。彼がいないときは痛烈に寂しい。彼がいるとき、パフォーマンスは本当の魔法を帯びるのです」 ――デヴィッド・J(『The Face』1982年)
1983年7月6日の朝。ロンドンはいつもの雨でした。 ハマースミス・パレでの「R.I.P.」宣言から一夜明け、4人の若者はただの「元バンドメイト」に戻っていました。 しかし、その喪失感の質は、4人それぞれで異なっていました。
連載最終回は、解散直後のメンバーの明暗、デヴィッド・Jが実践した「魔術」の奇跡、そして15年の時を経て実現した「復活(レザレクション)」の夜を描きます。
1. ピーター・マーフィーの独白:「僕は裏切られた」 (1983 秋)
解散から数ヶ月後の1983年10月。沈黙を守っていたピーター・マーフィーが、音楽誌『Melody Maker』のインタビューに応じました。 地下のフラットで取材を受けた彼の表情は、やつれ、混乱していました。

デヴィッド・Jたちは「解散は合意の上だった」としていましたが、ピーターの口から語られたのは、より生々しい「痛み」でした。
彼は、自分が肺炎で倒れている間にアルバム『Burning From The Inside』が完成していたことへの衝撃を、隠そうとはしませんでした。
僕は病気で弱っていましたが、スタジオに行こうと決心していました。しかし3週目に到着してみると、多かれ少なかれ「既成事実(fait accompli)」を突きつけられることになったのです。
ほとんどのトラックは僕なしで完成しており、そこにはかつての結束力はありませんでした
彼は、自分が意図的に排除されたわけではないと頭では理解しつつも、心がついていかない様子でした。
傷つき、裏切られたとは感じました。(中略)まるで結婚生活の崩壊のようでした。互いにコミュニケーションを取る能力を失ってしまい、それなしで続ける意味はなかったのです
他の3人がすぐに次のプロジェクトへと移行していく中、ピーターだけが取り残され、アイデンティティの危機に瀕していました。
「バウハウスの顔」であった彼にとって、バンドの喪失は自分自身の喪失と同義だったのです。
2. シジル(魔術の印):バロウズを召喚せよ (1983 冬)
一方、ベーシストのデヴィッド・Jは、全く別の次元で喪失と向き合っていました。 彼はノーサンプトンの実家に引きこもり、オカルトと魔術の世界に没頭していました。

彼が実践したのは、インダストリアル・ミュージックの盟友、ジェネシス・P・オリッジ(スロッビング・グリッスル/サイキックTV)から教わった「シジル(Sigil)」という魔術的技法でした。
これは、願望を短い文章にし、その文字を組み合わせて抽象的な図形(印)を作り、強く念じてから燃やす(忘れる)ことで、潜在意識に働きかけ現実を改変するというものです。
デヴィッドの願いはシンプルでした。 「私は、ウィリアム・S・バロウズに会いたい」
『裸のランチ』の著者であり、ビート・ジェネレーションの巨人。バウハウスの歌詞や思想に多大な影響を与えたアイドルです。デヴィッドはシジルを作成し、儀式を行いました。
信じがたいことに、魔術は発動しました。 わずか数週間後、カナダのプロモーターから突然の電話があったのです。
「トロントで開催されるバロウズ氏の70歳記念イベントに、ソロ・パフォーマーとして出演してほしい」。
3. トロントでの謁見:「歌って踊れる男」
1983年末から1984年初頭、トロント。グランド・ホテル・ヴィクトリア。 デヴィッド・Jは、ついに憧れの「ワイルド・ビル(バロウズ)」のスイートルームに招かれました。

部屋にはバロウズの秘書であるジェームズ・グラウアーホルツや、詩人のジョン・ジオーノらがいました。
デヴィッドは緊張を紛らわせるために、友人と共に極めて強力な「ハイドロポニック・スカンク(大麻)」を吸ってハイになっていました。
氷の入ったグラスを震わせながら、彼はバロウズと対面しました。老作家は爬虫類のような冷たい視線で彼を見つめ、低い声で尋ねました。
バロウズ: 「君は何をしている人かね?」
デヴィッド: 「(ボブ・ディランの真似をして)私は歌って踊れる男(Song and dance man)でしてね!」
一瞬の沈黙の後、バロウズはニヤリと笑いました。
バロウズ: 「ほう、本当に? ……結構。ようこそ諸君。さて、ウォッカはどこだ?」
イベントの直前、バロウズはジョイント(大麻)を持ってデヴィッドの楽屋を訪れ、二人は無言でそれを回し飲みしました。
デヴィッドにとってこの体験は、バウハウスという「ロックバンドの枠組み」から解放され、より自由で、より危険な芸術表現へと足を踏み出す通過儀礼となりました。
彼は「元バウハウス」ではなく、一人の表現者として認められたのです。
4. 1980年代後半の分断:太陽と異国
1984年以降、元メンバーたちの道は大きく二つに分かれました。それは地理的にも、音楽的にも対照的なものでした。
【ピーター・マーフィーの苦闘と再生】 ピーターは、元JAPANのベーシスト、ミック・カーンとユニット「Dali's Car(ダリーズ・カー)」を結成します。

しかし、直情的なピーターと耽美的なミックの相性は「水と油」でした。アルバムは商業的に失敗し、ユニットは解散。
失意のピーターは、妻の故郷であるトルコへ移住します。
さらにピーターは1990年代初頭にトルコへ移り、2005年時点の紹介ではアンカラ、2011年のインタビューではイスタンブール拠点で活動していたことが確認できます。
イスラム文化とスーフィズム(神秘主義)に触れながら、彼はソロ・キャリアを積み上げました。1990年の「Cuts You Up」はBillboardのModern Rock Tracksで7週1位を記録する大きな成功を収めます。
つまり彼の戦後は、単なる「ゴスの帝王」路線ではなく、異文化の中で自分を作り直していく長い移動の時間でもありました。孤独は消えなかったでしょうが、その孤独はやがてソロ表現の核になっていきます。
【3人の成功:カリフォルニアの太陽】 一方、ダニエル、デヴィッド、ケビンの3人は、「Love and Rockets(ラヴ・アンド・ロケッツ)」を結成。

彼らは灰色のイギリスを捨て、アメリカ・カリフォルニアへと移住しました。 サイケデリック・ロックとポップを融合させた彼らのサウンドはアメリカで大受けし、1989年のシングル「So Alive」は全米チャート3位という、バウハウス時代を超える大ヒットを記録しました。
ピーター: トルコ、中近東、求道的、孤独。
3人: ロサンゼルス、サイケデリック、享楽的、成功。
彼らは地球の反対側同士ほどに離れてしまいました。バウハウスの再結成など、もはや誰の目にも不可能に思えました。
5. 拡散する闇:不在の間の神格化
しかし、彼らがバラバラに活動している間、世界がバウハウスに追いついてきました。 1990年代に入ると、オルタナティブ・ロックのブームが到来します。
ナイン・インチ・ネイルズ(Trent Reznor)
マリリン・マンソン
ニルヴァーナ(Kurt Cobain)
スマッシング・パンプキンズ(Billy Corgan)
マッシヴ・アタック
これらの新しいスターたちが、こぞって「バウハウスからの影響」を公言し始めたのです。
カート・コバーンは日記にバウハウスの名を記し、トレント・レズナーは「彼らがいなければ今の自分はない」と語りました。
バンドは死んでいましたが、その遺伝子はウイルスのごとく拡散し、「ゴシック」「インダストリアル」「グランジ」といったジャンルの根底に根付いていたのです。
6. 復活(Resurrection):1998年
そして1998年。ベガーズ・バンケットからのコンピレーション『Crackle』のリリースとロサンゼルス公演を機に、4人は15年ぶりに再集結しました。
ロサンゼルス・パラディアムでの2夜連続公演を皮切りに、世界ツアー「Resurrection(復活)Tour」が発表されました。
当初2公演だった公演は即完売し、3夜目が追加されました。
新曲を作るためではありません。彼らが作り上げ、未完成のまま放置していた「伝説」を、正しく葬送し、祝うためのツアーでした。
初日のロサンゼルス。チケットは瞬殺され、会場外にはチケットを持たない数千人のファンが溢れました。 暗転したステージに、あの不穏なギターノイズが響き渡ります。「Double Dare」です。

ステージに置かれた大きなモニターにピーター・マーフィーが写し出され、歌い始めます。
現代風の演出も取り入れ、今のバウハウスをアピールします。
そして、マントを羽織り、『Bela Lugosi’s Dead』を演じます。それはかつてのような「暴力衝動」ではなく、完成された「演劇」でした。
デヴィッド・Jは、ステージ上で確信しました。
バウハウスには5人目のメンバーがいる。ある種の精神的実体(Spiritual Entity)だ。彼が戻ってきたのだ
演奏は完璧でした。かつてのトゲトゲしい緊張感は、熟練したミュージシャンシップへと昇華されていました。
彼らはようやく、自分たちが作り出した「怪物」と和解したのです。
7. エピローグ:ミスタームーンライトは殺されたのか?
再結成ツアーは大成功を収め、ライブアルバム『Gotham』として記録されました。
その後、2005年にも再結成し、2008年には奇跡のニューアルバム『Go Away White』をリリースしますが、その制作過程で再び喧嘩別れをしてしまいます(やはり「水と油」は混ざらなかったのです)。
しかし、それでもバウハウスの価値は揺らぎません。 デヴィッド・Jの回想録のタイトル『Who Killed Mister Moonlight?(誰が月光氏を殺したのか?)』は、彼らの曲名からの引用ですが、その答えは明白です。

誰も殺してはいません。
バウハウスという「月光」は、メンバーの手を離れ、永遠のアンデッドとして、今も世界のどこかの暗闇で、孤独な少年の部屋を照らし続けているのですから。
【連載終了にあたって】
全10回にわたり、バウハウスという稀有なバンドの軌跡を追ってきました。
ノーサンプトンの「虚無」から生まれた4人の若者は、パンクの衝動とグラム・ロックの夢、そしてダブの実験精神を武器に、世界を切り裂こうとしました。 彼らは「ゴス」というジャンルを作ろうとしたわけではありません。
彼らが目指したのは、退屈な日常(Flat Field)からの脱出であり、自分たちだけの「アート」の完成でした。
その過程で生じた摩擦、暴力、ドラッグ、そしてエゴの衝突さえも、彼らの表現の一部でした。
バウハウスの物語は、ロックバンドがいかにして「神話」になるかという、残酷で美しいドキュメンタリーなのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(完)
【出典・参考文献】
本連載の執筆にあたり、以下の文献・資料を参照・引用いたしました。
■ 回想録(一次資料)
David J, Who Killed Mister Moonlight?: Bauhaus, Black Magick and Benediction, Jawbone Press, 2014.
■ 当時の音楽プレス(1979-1983)
Phil Sutcliffe, "Bauhaus: University of Surrey, Guildford", Sounds, May 24, 1980.
Andy Gill, "Bauhaus: In The Flat Field", New Musical Express (NME), November 8, 1980.
Mike Stand, "Bauhaus: Darkness and Degradation in Sound and Word", The Face, Issue 22, February 1982.
Paul Morley, "Bauhaus: Breaking Down The Walls Of Art-Ache", New Musical Express (NME), March 20, 1982.
Chris Bohn, "Ziggy Stardust: From Bowie To Bauhaus", New Musical Express (NME), October 23, 1982.
Helen Fitzgerald, "Peter Murphy: Searching for Satori", Melody Maker, October 8, 1983.
■ 回顧録・特集記事(2000年代以降)
Stephen Dalton, "Bauhaus: The Godfathers of Goth", Uncut, Issue 131, April 2008.
Julian Marszalek, "Peter Murphy Interview", The Quietus, July 26, 2011.
Martin Aston, "Bauhaus: A post-punk primer on 'The Godfathers of Goth'", The Vinyl Factory, January 16, 2019.
■ データ参照
Discogs (Release Data)
Official Charts Company (UK Chart Data)
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます。いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!