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どこにも属さないということ

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

先日の東京出張。

大都会東京。
赤坂・虎ノ門あたりにいました。

特許庁前

その前日は、
沖縄本島北部の名護市にいて、
自然の豊かさ、海のキレイさを感じていた。

東京のビル群に1人立ち、
辺りを見回しながら、
頭によぎる。

…俺の居場所はどこなんだ?
昨日は大自然、今日は大都会。
その距離1600km。

…でも、これが、私の日常。

普段は、那覇市に住んでいて、
都会過ぎず、田舎過ぎず、
空港からも近く、アクセスは良い。

その1週間前は愛知にいて、
名古屋市にいたり、清洲市にいたり、東海市にいたり。

沖縄に住んでもうすぐ丸7年になる。

誰か知り合いがいたわけではない。
仕事があったから、移住したわけでもない。
ただ住みたいという理由だけで移住した。

私は会社員ではない。
独立して丸16年になる。

会社員時代、心を病んだ。
組織に属すのが性に合わないことがわかった。
自分の考えを押し殺すことの辛さを知った。

「自由」であること。
それが、私の1番の価値観である。

誰かに縛られるのが嫌い。
何かに縛られるのが嫌い。

理不尽なことには、従いたくない。
自分の言いたいこと、やりたいことを、
我慢したくない。

だから、私はどこにも属していない。
所属というものがない。

自由に、気ままに、思うままに、
あるがままに、生きている。

…なぜ、人はどこかに所属したがるのか?

所属しないという選択

私は、どこにも所属をしないという選択をした。

安心の代わりに手に入れたものは、自由だった。
安定の代わりに手に入れたのは、やりがいと生きがいだった。

会社、組織の人間から、ただの個人になった。
肩書きはなくなった。縛られるものがなくなった。

自分の名前だけ、自分の実力だけ、自分の人間性だけで
評価されるようになった。選択されるようになった。

組織にも依存しないし、コミュニティにも依存しない。
誰かに依存しない。何かに依存しない。

自分が行きたいところに行き、
自分が生きたいように生きる。

自分が会いたい人に会いに行き、
自分がやりたいことだけをやる。

どこにも属さないということは、
縛られないということ。

私は自由を求めて、所属しないことを選択した。

縛られないことの意味

でも、自由とは、
好き勝手やっていいということではない。

自由には、責任が伴う。
やったことは、すべて自分に返ってくる。
それを、因果応報という。

誰かの正しさに合わせなくていい。
誰かの価値観に依存しない。

自分の足で立ち、自分の脚で歩き、
自分の体を使い、自分の心で感じ、
自分の頭で考え、選択と行動をしていく。
自分の人生を、生きていく。

すべて、自分で決められる。
すべて、決めた結果が返ってくる。
自分で決めたことだから、すべて納得がいく。

自由とは、
自らみずか由る」と書く。

誰かの価値観ではなく、
自分の内側にある理由に従うこと。

自分の人生を、
自分の足で立って生きるということ。

「自由」とは、
周囲の状況に縛られず、
自分自身の内なる道理で生きる
主体的な"在り方"と言える。

どこにも属さないという在り方

どこにも属していないということは、
個人によるということ。

どこかの組織、どこかの団体、
そういうものにとらわれない。

立場ではなく、"在り方"で生きる。

かといって、1人ではない。
関係を絶っているわけではない。
群れないけれど、つながっている。

ゆるく、つながっている。
どこにも属していないけど、
どこにでもゆるくつながっている。

どこにも属していない自由さが、
どこへでもいける身軽さを実現している。

どこにも属していないということは、
孤立ではなく、自立しているということ。

自立と共生。

自立したもの同士が、共に生きていく。
そんな世界観が私の理想です。

自分の人生、
もっと自由であっていい。

終わりに

どこにも属さないことで、
自分に属することができました。

どこかに属すのではなく、
自分を中心に世界が広がっていく。

お花みたい😊

自分の人生を彩るのは、
自分自身なのだと思います。

どこにも属さない自由が、
自分を中心に置く"在り方"が、

人生を美しく、
楽しいものにしてくれる。


私がこの"生き方"を選んだ理由は、
過去にあります。

次回は、その話を書きますね。

ととのえ職人
五木田穣

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