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【Vol.4】人間関係で悩み苦しみ、鬱になった『ととのえ職人』が、「動じない心」を手に入れた話。

ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣ごきたゆたかです。

前回と前々回で、運動と勉強に対する劣等感と低い自己肯定感だった私が、もがきながらも、だんだんと克服していく様子を書いてみましたが、読んでいただけたでしょうか?

このシリーズの記事では、私が「パーソナルトレーナー」から「ととのえ職人」になっていった経緯(出来事や想い)などを書きながら、実体験と専門家としての立場から、

  • なぜ、ととのえることが大事なのか

  • ととのえるとはどういうことか

  • どういうふうに、ととのえるのか

  • ととのえると、どんな効果があるのか

  • その他、心と体の健康に役立つこと

なども、織り交ぜながら書いていますので、少しでも興味を持ったら、ぜひ読んでいってください。

きっと、何かしらのお役に立てる情報があると思います。

前回の記事で、私が「鬱になった」という話をチラッと書きましたが、今回は鬱になったその当時の状況を振り返りつつ、今では完全に「動じない心」を手にするまでに至った話を書きたいと思います。

何か参考になることがあれば、幸いです。

※文の途中に所々貼ってあるリンク記事は、全てこの15年の間に私が書いた記事です。
※関連するワードを深めた内容や補足する内容であったり、当時の様子が窺える内容になっています。
※お時間がある時には、ぜひ、そちらも読んでみてください。


鬱になりやすい人の特徴

まず初めに、鬱になりやすい人の特徴(性格)を書いておきましょう。

  • 完璧主義: 常に完璧を目指し、自分自身に厳しい基準を設ける傾向がある。真面目。責任感が強い。

  • 悲観主義: 常に悪い方に考えがちで、ポジティブな面を見ることが難しい。

  • 内向性: 人と接するのが苦手で、孤独になりがち。

  • 依存性: 他人に頼りがちな傾向があり、自分の力で問題を解決するのが難しい。

  • 自己批判: 常に自分を責め、自分の価値を低く評価する傾向がある。自己肯定感が低い。

これらの性格的な特徴に、環境要因などが重なり、鬱になる可能性が高まります。

私の場合は、前回・前々回の記事で書いたように、劣等感の塊と自己肯定感の低さが根底にありましたし、基本的に真面目で、責任感が強く、完璧主義です。さらに、内向性も高いです。

悲観主義や依存性は持ち合わせていないものの、ガッツリなりやすいタイプでありました。

※性格診断は、この本が良かったです↑

※私は、回避性の愛着障害を持っていますので、依存性はありません。
(今では安定した愛着を築けています)

根底にあった私の想い

はい、今回も専門学校時代まで遡っていきます(笑)

19歳の冬。専門デビュー(笑)を目指していた私は、とにかく真面目に一生懸命勉強していました。

入学して半年以上が経ち、同級生の何人かが、新宿の某フィットネスクラブでアルバイトを始めていました。

私も誘われたのですが、何せ千葉の田舎から2時間かけて学校に通っていますから、新宿からアルバイトして帰るには終電が早すぎますし、学校が休みの日にわざわざ出ていくのはしんどい。現実的にちょっと厳しい。

ただ、勉強のために、スポーツクラブでアルバイトをするのはいいなと。同級生の話を聴くと、とても楽しそう!現場で学べて、お金もいただけるなら、こんな嬉しいことはない。

よし!俺も地元のスポーツクラブでアルバイトをしよう!と思い、応募しました。

※初めてのアルバイトでした。
※19歳から現在に至るまで、20年以上、フィットネス分野にずっと携わり続けています。

まだ無知であったあの頃、そこには身体作りのプロ、運動指導のプロ、「トレーナー」がいるものだと思っていました。

…しかしながら、そこにいたのは、パートやアルバイトの普通の主婦の方や、スポーツとは関係のない学校・学部の学生、フリーターの方などで、、

…あれ?普通の人しかいない?え?それで指導できるの?

もちろん、パーソナルトレーナーなんて1人もいません。むしろ、パの字もないような状況で、現実は、想像していたものと全くかけ離れたものでした。

研修(指導に関わるものはほぼ0でした)が終わり、現場に立ち、会員の方がトレーニングをしている様子をみてみると、明らかに効果の出ないやり方、ケガをしてしまいそうなやり方が溢れています。。

私もまだ専門1年目の学生。まだまだわからないことだらけではありましたが、見てて何かがおかしいことくらい分かります。

あんな人こんな人には、いったいどんなアドバイスをするのだろう?と、若かりし私は、気になって仕方ありませんが、、先輩スタッフたちは、誰も何も気にも留めない様子で、何もしません。

「…え?何これ。。」

新宿の某フィットネスクラブで、アルバイトを始めていた同級生の話を聞くと、ちゃんと指導もするし、パーソナルトレーナーもいる。パーソナルトレーナーの人気の人の指導の様子を観たり、色々質問ができるから、とても勉強になるとの事。

「都内と千葉でこんなに差があるのか。。」

この時に、
「この現状は変えなあかん!誰がやるの?俺でしょ!」
…とは思ってませんが(笑)、

将来は、都内で仕事するのではなく、この現状をなんとかしたい!地元千葉で活動しよう!田舎でも、正しいフィットネスを普及させたい!と密かなる想いを胸に抱きました。

この時の原体験と、この時の想いが、生真面目で、責任感が強く、完璧主義な私を、後に苦しめることになります。

※ちなみに、この現状は20年経った今もほとんど変わっていないと感じています。

新店舗立ち上げ

その後、大学に編入学し、大学2年次の冬に、地元のスポーツクラブから、千葉市内某所にあった大手フィットネスクラブに移籍しました。

施設のレベル、トレーナーのレベル、会員さんの体など、すべてが段違いで、とても刺激的で楽しかったです。

社員の方から評価され、ジムリーダーを任されたり、責任とやりがいを感じながら、正しいフィットネス、正しいトレーニング、正しい情報を伝えようと、日々頑張っていました。

1年ほど経った頃だったでしょうか。
ある日、地元に新店を出店するという話が耳に入ってきました。

「五木田くん、五木田くんの地元の〇〇市に、新店舗出すみたいよ」
「え⁈どこにですか?」
「元家具屋の空きテナントがあるみたい」
「…あー、あそこですね!確かに結構広いスペースありますよ。〇〇市にできたら、絶対人集まりますよ!」

なんて、話してましたが、その時はまだ自分が関わることになるとは思っていませんでしたし、そのつもりもありませんでした。

※だって、この時には、地元から離れて一人暮らししてましたからね。わざわざ戻ってまでやりたいとは思ってませんでした。十分満足して楽しんでいたから。
※さらに、この時は、教育実習が近づいてきているタイミングもあり、どちらかというと、トレーナーというよりは、教員になることの方に意識が向いていたというのもあります。
※が、まだまだ将来的なことはハッキリと考えられていない状況でした。
※トレーナーの道を進むきっかけ、社員になった理由などもあるのですが、そちらも別途記事にして書きます。

ちょうどその頃は、アルバイトをしていた店舗のすぐ近くに新店舗ができるタイミングで、私もその準備と運営に携わっていました。

その時にヘルプできていた本社に近い社員の方から、
「〇〇店の準備も手伝ってもらえるかな?」のような話があり、
「もちろん、できることがあれば、手伝いますよ」と何気ない会話だと思って、話していました。

〇〇店のオープンが正式に決まり、入会申込が始まっていました。でも、それは他店での出来事。情報としては知っていますが、私には関係ない話だと思っていました。

そんなある日、出勤すると、社員の人に声をかけられます。

「五木田くん、五木田くん、ちょっと!」
「え?なんですか?」
「ちょっとこれみて!」

※画像はイメージです。

「は?なんですかこれ?😧
「人事通達、きてるよ
😅
「え?これ決まってるんですか?
😧
「人事通達ってアルバイトにも来るんだね。初めて見たよ
😅
「え?マジですか?
😱

という感じで、なんと、いきなり、自分の意志とは関係なしに、
地元〇〇店に新規出店メンバーとして、招集されることになりました(笑)

※手伝うって話が、まさか異動になるとは思いもしませんでした(笑)
※ちょっと、ブラックな感じもありましてね(笑)当時は、これが普通だと思ってました。

新店舗は、郊外型の初めての出店になる店舗で、地元の土地勘もあるし、経験も十分だし、即戦力になるだろうということで抜擢されたようです。

まさかやー😅

対人関係で悩み、鬱になる

当時、この大手フィットネスクラブでのアルバイトの他にも、

  • フリーランスのパーソナルトレーナーとしての活動

  • 整形外科で理学療法士のリハビリのアシスタント

もやっておりまして、また、ちょうど同時期に、教育実習で地元に帰ることが決まっておりましたので、諸々の調整をする必要がありました。

ギリギリまで働きつつも(本業は学生ですが笑)、一旦、パーソナルトレーナーとしての活動は休止、リハビリのアシスタントのバイトも終了、そして、アパートを引き払い、一度実家に戻ることにしました。

※大学時代のパーソナルトレーナーとしての活動、また、リハビリのアシスタントのバイトに関しても、当時色々思うところ、感じるところはありまして、それが今に活きています。
※これもまた別途記事にする予定です。

早速、地元に帰り、新店舗の上司になる方に挨拶に行き、シフトの調整などの話をしに行きました。

新店舗のオープン日は、9月16日。
ただ、9月1日から、母校での3週間の教育実習が決まっておりましたので、その間は、土日のみ入る形でお願いしました。

※教育実習をされたことがある方は、これがどれだけ大変なことかお分かりいただけるでしょう(笑)普通、教育実習中はアルバイトなんかしてる余裕ないはずです。
※いや、実際に余裕なんてなかったけど、自分追い込んでたんですね。
※ここにも、真面目さと責任感と完璧主義が出ちゃってます。
※また、必要とされていると思うことで、私の劣等感と低い自己肯定感を補っていたんだろうと、今は思います。

教育実習終了後は、普通にシフトに入るようになり、即戦力として、ジムリーダーを任され(そのために異動してきているから)、アルバイトという立場ではありますが、中途入社で入ってきた社員の方々(もちろん全員年上)にも指示を出しながら、やりがいと責任感を感じながら、真面目に働いていました。

私は期待されていると勝手に張り切っていますから、責任感はバッチリ!で、「こう在るべき」という価値観(会社の理念と前店舗での経験)があり、また地元を盛り上げたい!正しいフィットネス、正しいトレーニングを伝えたい!というような使命感も感じており、ジムリーダーという職務を全うしようとしていました。

…しかし、ここで問題が発生します。

客観的に見ると、私はただの学生のアルバイトです。(23歳)
中途入社の社員の皆さんは、26歳、27歳、28歳と、全員年上。

でも、私は入社して1年半以上。
中途入社の社員の皆さんは、入ったばっかり。

年下の学生アルバイトにあれこれ指示される(偉そうだったかもしれません)のを、20代後半の男性が、あまりよく思わないという気持ちも分かります。

私としては、責任感があり、完璧主義で、理想像がありますから、指示も聴いてくれないし、仕事もできないし、なんやねん!みたいな気持ちが、、正直湧いてました。

当時は、劣等感と低い自己肯定感を克服しつつあり、自信に満ち溢れている時です(今思えば、過信気味でしたね)。

でも、心がまだまだ病んでいますし、まだまだ未熟な1人の若者です。
言い方がキツかったり、失礼だった部分もあるでしょう。

※大いに反省して、今があります。
※当時は大変申し訳ありませんでした。

また、悪いことに、中途入社の方達が一向に試用期間を抜けられないのです。

社員になるには、社長面談で合格をもらうことが必要と、前回の記事でも書きましたが、それ以前の前提がありまして、

社内に座学と実技のテストがあり、それぞれレベル1〜3まであります。
その座学と実技のテストでそれぞれレベル1を合格していることと、直属の上司の推薦があることで、社長面談に進めるのですが、、彼らは何度受けても座学のテストに合格できないでいました。

私は、アルバイトでも座学の研修を受け、そのテストにA判定で一発合格しているので、なんでできないの?と、ちょっと心が歪んでいる時期ですので、舐め腐っているというか、小馬鹿にしてしまっていました。

※そんな態度が、出てしまっていたかもしれません。
※本当に申し訳なかったと、今の私は思えますが、当時はただの若造でした。。現在は、大いに反省しています。

それもよくなかったとは思いますが、そんなにめちゃくちゃ難しいテストでもないのです。(まぁ、難しいっちゃ難しいんだけど、ちゃんと勉強していけば、わかる問題だし、やっぱりそれくらいの理解がないと、適切な指導ができないものですから)

※これは、私だけじゃなく、上司の社員の先輩も同じような評価をしていました。
※客観的にも、「仕事ができない」という認識を周りからもされていました。
※今では、頑張っても頑張れない人たちもいるよなぁと思いますし、頑張り方がわからなかったんだろうなとも思います。

…そうこうしているうちに、大学卒業を迎え、私も社員としての試用期間に入ります。そして、中途入社の彼らより先に正社員になり、さらにはサブリーダーという中間管理職の役職がすぐにつき、、

一気に学生のアルバイトという立場から、彼らの上司という立場になってしまったのです。

そう。本来、新卒の立場の何も知らない若者に、たくさんのプレッシャーが、一気に押し寄せてきたのです。

※今思えば、完全にキャパオーバーです。
※すべてにおいて、未熟でした。
※現状に成長が追いついていませんでした。

さらに、どんどん状況は悪化していきます。。

人手不足もあり、先輩社員の人たち・上司が異動していき、ついには、社歴が1番長いスタッフは私となり、店舗の中では店舗副責任者という立場になり、本来の役職ではやらないはずの範囲の仕事をこなすようになり、マネジメントチームとして本社会議にも出席するようになりました。

店舗の運営をする。ヒト・モノ・カネを管理する。それらを段階的に学習する・経験していく、教えてもらう暇などなく、一気にすべてが押し寄せてきました。教われる人がいない。自分でやるしかない。マジでプレッシャー、ハンパないって。。

※この時に、経営やマネジメントについて、学んでいた事、実践していたことが、独立した後に大いに役立つことになります。

しかしながら、根っからの真面目人間で、責任感が強く、完璧主義な私は、頑張りました。今思えば、たくさん空回りしていたと思いますが、とにかく必死でした。どんどん余裕がなくなっていきました。

コミュニケーションとりたい。チームとしてうまくやっていきたい。うまくやりたいのに、うまくいかない。。思うようにいかない。。

…どんどん、心と体が疲弊していきました。

鬱病の症状

そして、だんだんと不調が出てきました(当時、自覚はありません)。

鬱病の症状としては、

  • 悲しく憂うつな気分が一日中続く

  • これまで好きだったことに興味がわかない、何をしても楽しくない

  • 食欲が減る、あるいは増す

  • 眠れない、あるいは寝すぎる

  • イライラする、怒りっぽくなる

  • 疲れやすく、何もやる気になれない

  • 自分に価値がないように思える

  • 集中力がなくなる、物事が決断できない

  • 死にたい、消えてしまいたい、いなければよかったと思う

まさに、これ。

気分が全然上がらないし、トレーニングできてないし、食欲も全然沸かないし、寝れないし、常にイライラしてるし、思考もネガティブだし、死にたいって思ってました。

反動で、朝まで飲んで、カラオケで騒ぐ、なんてことも多々ありました。

※躁状態なので、正確に言うと躁鬱病(双極性障害)ですね。

さらに、出勤しようとすると(店舗に近づいていくと)、だんだん咳が止まらなくなり、勤務中も常に咳き込んでましたし、常に胃の辺りがキリキリしてたし、吐き気も常にあり、血便も出ました。顔色も悪かったでしょう。

※顔色の悪さを誤魔化すためと、自身でなんとなく察してはいたので、治療のつもりで、タンニングマシン(日焼け)に入っていたりもしました。
紫外線(日光)を浴びると、セロトニンが分泌され、幸福感や安心感をもたらし、鬱病の治療効果があると言われています。
※これのおかげで、多少持っていた部分もあると思います。

いよいよ会社に行けなくなった

血便がでた辺りで、さすがにこれはまずい、、ということで精神科を受診し、「躁鬱病」という診断を受けました。

会社にも相談し、休暇を取ることを勧められましたが、何せ真面目で責任感たっぷり、頑張り屋さんの私です。完璧主義もあり、休むという選択肢は決断することができませんでした。

本社には、問題があるスタッフの異動(私の一番のストレス要因)、及び即戦力となるスタッフを異動させて欲しいというお願いをしていました。その希望はずっと通らずにいました。

※今思えば、身勝手とも言える希望に思えます。
※希望が通らないのは、当然ですね。
※自分が特別であると勘違いしている部分がありました。

そうこうしていると、社内研修でアメリカに行くことになりました。

人事の方からは、良い気分転換にもなるだろうから、研修が終わったらまた考えよう、という話で落ち着いていました。

※このアメリカ研修は、本人が希望し、社長の指名で将来を期待されているスタッフのみが行くことができました。
※アメリカ研修に行ったスタッフが辞めていくというジンクスがあり、(行った時は、そんなつもりなかったのに)本当にその通りになってしまい、大変申し訳なく思っています😅

フィットネスの本場アメリカでの経験は、私のその後の人生を変える程の大きな価値観の変容を起こしました。滞在中は、見るもの手にするものすべてが新鮮で、本当に楽しかったです。

ベニスにあるマッスルビーチ。

観戦したエンジェルスvsヤンキースの試合で、松井秀喜選手が目の前でホームランを打ちました。遠く日本から離れた地で活躍される日本人の姿に感動し、刺激を受けました。

電光掲示板に映る松井選手
ラスベガスで有名な噴水ショー

楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰国しました。

…が、帰国したら、まず発熱しました。

当時、鳥インフルエンザが流行していた時期で、感染したか⁈と思い、病院に診察を受けに行ってもどこも引き受けてくれず、たらい回しにされ、、やっと検査してもらえたと思ったら、、陰性😅

つまり、ただの風邪。。

どっと疲れが出たのか、緊張の糸が切れたのか、家に帰り、大号泣。。(たらい回しにされてる時も泣きそうでした)
何かが弾けました。もう限界がきてました。

出勤しようと考えたら、体が動かない。家から出られない。
本社に連絡し、「もう無理です。。異動させてください。。」
と、逃げるように、急遽、異動させてもらうことになりました。

※アメリカ研修に行ったまま、店舗に一度も戻らず、異動してしまい、店舗スタッフや会員の方には、ご迷惑とご心配をおかけし、大変申し訳なく思っています。ずっと心残りでした。
※事情に関しては、スタッフにも、会員の方にもちゃんと伝わってなかったと思います。(強がっていたから)
※信頼を裏切る行為だったと思いますが、本当にどうしようもなくなってしまったのです。本当に申し訳なく、思っています。

環境を変えることで、立ち直る

人は、環境の影響を一番に受けるものです

変わりたいと思ったら、環境を変えるのが一番簡単で、影響力があります。

【読書2019】 No.230 移動力/...

Posted by 五木田 穣 on Tuesday, October 22, 2019

※こちらの新版もでています。
※一言で言うと、まず環境から変えるのが良いという話。

当時は、そんなことを理解していたわけではありませんが、とにかく環境を変えなければ、自分が潰れてしまうというのが本能的に分かっていたのだと思います。

※実際のところは、すでに潰れてしまってましたけどね。

異動させていただいたら、上司がいて、立場が一つ下がって、負担やストレスが減りました。以前の私を知っている人もいないし、気持ちがだいぶ楽になりました。

正直、人と接するのが怖いというか、接客するのも怖かった部分がありますが、徐々に、徐々にですが、少しずつ落ち着きを取り戻していきました

仕事はちゃんとできていたので、完全に職場での対人関係や立場上のストレスが原因だったことが明らかとなりました。

これからの生き方・働き方を考えた

ただ、新しい環境に身を置いたときに、
冷静になって自分を見たときに、
自分の将来が見えなくなってしまいました。

具体的には、まず収入が一気に減りました。
過労ではあったものの、役職手当、業績手当、人手不足での休日出勤手当、シフト外での社内パーソナルもやっていたので、それらの基本給以外の収入がすべてなくなったときに、引くほど手取りが少なくなりました。

※マジで休むということをしていませんでした。そりゃ、病むわ(笑)
※安月給過ぎて、働いてらんないと思ってしまいました。

大袈裟ではなく、ほぼ半分くらいになりました。生活に支障がでるレベルでした。別のストレスに悩まされます。。

かつ、今後収入が大きく増える見込みがない。新店舗では、絶対的なポジションの上司がいて、出世も期待できない。

俺のやりたいことってなんだっけ?

前回の記事でも書きましたが、そんな時に出会ったのが、稲盛和夫さんの「働き方」と「生き方」という本です。

号泣しながら一気に読み、生き方、働き方を見直すことになります。

異動した店舗で、最初に所属していた店舗で一緒だった先輩トレーナーと再会します。元々社員だった方ですが、フリーランスのパーソナルトレーナーとして独立されて、その店舗にはパーソナルトレーナーとして活動されていました。

※大学の時に、パーソナルトレーナーとしての活動先を紹介してくれた方でもあります。

勤務中に、パーソナルトレーニングの様子を見ていたり、休憩中に話したり、一緒にご飯に行ったりして、パーソナルトレーナーという働き方がだいぶ身近に感じられるようになりました。

※この先輩トレーナーが、独立を後押ししてくれました。

また、実は、この病みに病んでる時期に、父親がガンで亡くなっています。

※とにかく、色々が重なり、落ちに落ちていたのです。
※父の死について、親子関係などについても、別途記事にする予定です。

父は、約1年半の闘病生活の末、他界しました。享年58歳でした。

父は学費を払うため、懸命に働いてくれました。孫が生まれ、これから余生をゆっくり過ごせるという時に亡くなっていきました。

父はやりたいことをやれたのか?
もっとやりたいことがあったのではないか?

「時間は有限だ」「自分のやりたいことをやれ」
父の死は、私にそんなメッセージをくれました。

「一度きりの人生なら、自分が心からやりたいと思うことをやりたい」
「トレーナーとしての道を追究したい」

と思い、これからの人生を考え、会社を辞めて独立することにしました。

その時の想いを書いたのが、こちらの記事です。

会社を辞めて感じたのは、〇〇だった

最終勤務日は、私は早番だったのですが、遅番のスタッフが風邪かなにかで休みになり、急遽8時〜23時の通し勤務(笑)

休憩もろくに取れていなかったと思いますが、そんな働き方は慣れっこなので(それもどうかと思いますが笑)、怒りどころか、最後の最後にこんな働き方くるかーと笑けてきました。

※笑えるくらい、回復していたということでもあります。

まあ、そのおかげで、早番から遅番まで、多くの会員さんやイントラの皆さんに最後の挨拶ができたので、結果オーライでした。

最終勤務日は、そんなブラック勤務でも、長時間勤務も全然つらくないし、やめることの寂しさなんてゼロ。むしろ、翌日からの生活が楽しみで、ワクワクとニヤニヤが止まりませんでした😁

ロング勤務が終わり、帰る時には名残惜しむこともなく、超笑顔で爽やかに「お疲れ様でしたー!」とサッサッと帰りました(笑)

翌朝起きて、まず頭に浮かんだことは、

「自由だぁーーーーー!!!!!」

です(笑)ニヤニヤして起きました。あの日の光景は今も目に浮かびます。
もう行かなくていいんだ!世界がキラキラして見えました。

不安感よりも、新しい環境に身を置くこと、新しいことに挑戦すること、全て自分で決められることが、嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。

翌朝、書いたブログはこちら。

自分らしく生きること

退職をきっかけに、自分の最も大事な価値観は「自由」である、ということに気がつきました。

不安がなかったわけではないけれど、それ以上にワクワクが勝っていました。いや、正直不安だらけではありました。

ただ、私を突き動かしたのは、当初に抱いた想いです。初めてスポーツクラブでアルバイトした時に感じた想い。そして、自分自身の心身の健康を乱したこと。ガンで父親を亡くしたこと。

当時のブログに記載していた想い↓

理念
・運動・栄養・健康に関する正しい情報の提供をし、人々の健康増進、身体機能低下防止に役立つこと。
・地元千葉に正しいフィットネスを普及させていくこと。
・運動指導者としての社会的地位を高めていくこと。

特に、私が現在活動しているエリアでは、運動・栄養・健康に関する正しい情報の提供は行われていなと感じ、だからこそ、やりたい、やらなければ、と思った

これから市場0で、前例がない状況で、始める。不安がないわけがありません。それでも、ワクワクが勝ってました。根拠のない自信はあって、自分にならできる!やれる!と思い込んでました。

実際は、根拠がないわけではなくて、不安を消すために、徹底的に市場調査をやりこんで、分析して、戦略を立てて、いける!と思えたからです。

帰宅時や、休みの日に、千葉県内の至る所にあるスポーツクラブや公共施設のジムを調べ、見学しにいきまくりまして、活動場所の候補(最初に攻める市場)を絞っていきました。

机上の空論ならいくらでも言えるのですが、実際に現場に行って、肌で感じるものってありますからね。候補だったのですが、スタッフや会員の雰囲気などで、自分には合わないなと思うところも多々あり、1箇所ずつ絞っていきました。

ちなみに、譲れない条件というのも最初に決めていました。

※せっかく自由になり、自分で決めれるようになったわけですからね。
※自分が嫌だと思うことはしない、自分の心を後回しにしない、そう最初に決めました。

その1つが、業務委託料は、8対2であること。7対3のクラブが多い中、売上で割合が変動するところが多い中、その条件に合うところ・その条件でやってくれるところを探していきました。

最終的に1箇所に絞り、直接営業をかけました。パーソナルトレーナーとして活動させてほしいと。事前にそのクラブの特性、会社のミッション、地域性、会員層に対して、自分がどう貢献できるのか、具体的な数字を示しつつ、交渉し、活動開始となりました。

この頃には、確信に近いものがありました。
自分を信じることが自信ですから、信じ切ったんです。

俺にはできる!俺にしかできないことがある!
千葉県ナンバーワンのパーソナルトレーナーに俺はなる!笑

と、アファメーションしてました。

自分というものを理解すること

私は、同じ環境に身を置き続けることがあまり好きじゃありません。
飽きっぽいんです。双子座気質というか。O型というか。

※だから、お店を持つこともしませんでした。311の大震災を経験したことで、店を持つことがリスクだと考え、リスクヘッジという意味もありましたが。
※なので、自由に動き回れるように、曜日ごとに活動施設を変えてました。毎日違う場所に行くことで、小旅行みたいな気分を味わっていました。

先述したように、私にとっては「自由」に動き回れることが1番大事な価値感です。自分を犠牲にして、心も体も蝕んでしまった経験があるので、自分の心を犠牲にすることはしない。納得しないことはしない。これは譲れない。そのために、独立したのです。自分のことは全部自分で決めたいから。

自分は、縛られることが大嫌いだと、内省を深めていく中で、ハッキリと「自分」というものがわかってきました。

そして、本田直之さんの『7つの制約に縛られない生き方』を読み、ハワイと東京のデュアルライフというその生き方に憧れ、そんなんやりたい!やってみたい!と思いはじめ、トレーナーという職業でどう実現できるかを考え続けてきました。いかにこれを実現するかだけを考えてきました。

※現在は、沖縄に住みながら、県外に出張しに行くというスタイルになりました。

あの時決めたことは、実際にほぼ実現しています。もちろん、全てが実現したわけではありません。が、現在沖縄に住んでいて、理想とした生き方に限りなく近く、仕事は成立しています。

自分を縛るのも、自由にするのも自分次第だと、ハッキリと言えます。すべて、自分で決められるのです。

「動じない心」を手にする

「決めて、やる」というのが大事なんです。
まず「決める」こと。
次に、決めたことは「やる」こと。

自分にルールを決め、守ること。
一度決めたことは、ブレないこと。
ブレないものを最初に決めること。

自分が自分にした約束は、絶対に自分で守るようにする。
そうすると、「自己肯定感」が高まります。「自尊心」も高まります。

決める前の前段階が、「感じる」こと。
自分の心を大切にする。

感じたことをもとに、内省する。内観する。

自分らしく生きる、自分が「快」で過ごせるように、生き方・働き方を考えていく。そして、行動していく。

ちなみに、7つの制約とは、時間、場所、働き方、人間関係、思考、お金、服装です。これらに縛られることなく、自由に自分で決めて、自分の人生を生きる!主体的に生きる!そう決めました。

※この本を読んだのは、後々のことではありますが、読んだ時に、自分の気持ち・思ってることを言語化してくれた!という感動がありました。

1番大事なのは、自分の「思考」です。自分の思考に縛られて、制限かけちゃってる人、自ら奴隷になっている人がいかに多いか。

私が、ブレない心を手にするまでにやってきたことは、

  • 色んな本を読む

  • 色んな人に会う

  • 色んな場所に出かける

です。どんどん新しいことに挑戦し、新しい情報をインプットし、アウトプットする。新しい刺激を入れ、どんどん知識と経験を積んでいく。

人は自分の知識と経験からしか、物事を判断できませんから。自分の可能性という枠は、自分で拡げていくしかありません。そこに気がつけたから、徹底的にやっていきました。

また、常日頃から、言葉、思考、行動の3つに対する習慣を変えることを意識してきました。悪習慣を良い習慣に変えていったのです。

「変われない」のは、変わろうとしてないから。
「変われない」のは、変わるための行動をしていないから。
「変われない」のは、変わり続けようとしないから。

本気になれば、人は変われる。
本気になれば、人は変えられる。

知識と経験を積めば、思考は変わっていく。
思考が変われば、行動が変わり、結果が変わっていく。

とことん自分と向き合い、自分の価値観をあぶり出し、どんな風に生きていくかを決めた。そして、それを守った。

動じない心とは、自分の軸があること。

他人に合わせる事をやめて、自分の人生を生きると決めたのです。自分の心で感じて、自分の頭で考えて、自分の足で歩いていくと決めたのです。

ここまで書いてきた通り、決して、順風満帆だったわけではありません。悩み、苦しみ、もがいて、今があります。そんなこんな色々ありまして、動じない心を手にするまでに至ります。

そして、実体験と専門家としての立場から、今はこんな考えで、こんな事を提供しています。

今回も長くなってしまいましたが(笑)、最後までお読みいただきありがとうございます!

とにかく、これからもいろんなことを書いていきますので、気に入ってくれた方は、引き続きよろしくお願い致します😊

私の記事は、こんな方にお勧めです!

  • 心と体を快適に過ごしていきたい方

  • 本質的な『健康』で在りたい方(健康はなるものではなく、在るものです)

  • 自分の人生を、自分の頭と心と足で歩いて行きたい方

  • トレーナーや治療家などの、心と体の健康に関わる職業の方

  • 私という存在に興味を持ってしまった方(笑)

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ととのえ職人 五木田穣

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