書くことが楽しくなると、発信は習慣になる
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
書くことについて。
私はこうやって、
毎日発信を続けておりますが、
発信を続けるには、
どうしたらいいのか。
毎日書くには、
何が必要なのか。
習慣にするには、
どう整えたらいいのか。
そのような相談を受けることもあります。
習慣化と考えると、どうしても
「続ける方法」や「仕組み」に目が向きます。
もちろん、
仕組みは大切です。
書く時間を決める。
テーマを用意しておく。
型をつくっておく。
下書きをためておく。
完璧を求めすぎない。
そういう工夫は、
発信を続ける上で、とても役に立ちます。
でも、
それだけでは続かないこともある。
なぜなら、
発信は作業である前に、
自分の内側にあるものを言葉にしていく行為だからです。
義務感で続けようとすると、
少しずつ苦しくなる。
役に立つことを書かなきゃと思いすぎると、
言葉が固くなる。
反応を気にしすぎると、
自分の感覚から離れていく。
ちゃんと書こうとしすぎると、
書くことそのものが重くなる。
発信を習慣にするために大切なのは、
ただ頑張ることではありません。
書くことが、
楽しくなること。
書きながら、
自分に戻っていけること。
言葉にすることで、
自分の中が少しととのっていくこと。
そんな感覚があると、
発信は少しずつ習慣になっていきます。
書くことが重くなる理由
書くことが重く感じる時があります。
何を書けばいいのかわからない。
こんなことを書いて意味があるのかと思う。
誰かの役に立つ内容にしなければと思う。
ちゃんとした文章にしなければと思う。
読まれなかったらどうしようと思う。
反応がなかったら恥ずかしいと思う。
前に書いたことと同じような内容になっている気がする。
もっと上手い人がいると思ってしまう。
そうやって、
書く前から頭の中が忙しくなっていく。
書くことより先に、
評価が始まってしまう。
すると、
まだ言葉になっていない感覚が、
表に出る前に止まってしまいます。
そうして、書くことが重くなる。
「記事にする価値があるか」
「役に立つか」
「正しいか」
「うまく書けるか」
などと判断してしまう。
実際のところ、
書けないのではなく、
書く前に、自分で止めてしまっていることもあるのです。
発信は、完成した自分を見せる場所ではない
発信というと、
完成した考えを出す場所のように感じるかもしれません。
ちゃんと整理された意見。
役に立つ知識。
きれいにととのった文章。
説得力のある主張。
読者の悩みを解決する答え。
もちろん、
そういう発信をしている人はいます。
でも、
すべての発信が、
完成した自分を見せる場所でなくてもいいと思っています。
まだ途中の気づき。
うまく言葉にならない違和感。
暮らしの中で感じたこと。
今の自分が考えていること。
そういうものを、
丁寧に言葉にしていく。
それも発信です。
誰でも発信できる時代だからこそ、
等身大の姿を出していっていいと思うのです。
そんな姿に、
共感し、勇気づけられる人もいるからです。
実際に、
私が書いている文章も、
完成された答えを出しているわけではありません。
書いているのは、
私自身が生きて、感じて、考えてきたこと。
読んでくれている方と
一緒に立ち止まるための言葉。
「正解はこれです」と示すより、
「今の自分はどうだろう」と問う。
読む人が、
自分の心と体と思考のズレに気づく。
そのきっかけになる言葉を置いていく。
答えは誰かに与えられるものではなく、
自分で見つけるものだから。
発信は、
完成した自分を見せる場所ではありません。
この世の中に完璧というものはないし、
こんなふうに書いている私自身も、
ととのえている途中です。
山登りも登頂することだけではなく、
そこに至る過程に、楽しみも苦しみもあります。
それを一緒に味わえた方が、
共感するものではないでしょうか。
現代風に言うなら、"推し"。
あなたが推したいと思う人がいるように、
あなたを推したいと思ってくれる人がいるはずです。
書くことは、自分の感覚を迎えにいくこと
書くことは、
頭の中にある答えを取り出すことだけではありません。
むしろ、
まだ言葉になっていない感覚を、
ゆっくり迎えにいくことでもあります。
なんとなく疲れている。
なんとなく気になる。
なんとなく引っかかっている。
なんとなく嬉しかった。
なんとなく安心した。
なんとなく違和感がある。
その「なんとなく」を、
すぐに答えにしないで、
少し見つめてみる。
何に疲れていたのか。
どこで安心したのか。
何が引っかかったのか。
どんな言葉に触れて、心が動いたのか。
体はどんな反応をしていたのか。
思考は何を急いでいたのか。
そうやって、
自分の感覚を迎えにいく。
その時間が、
書くことの中にはあります。
だから、
書くことは発信であると同時に、
自分をととのえる時間にもなります。
書くことで、
頭の中が整理される。
書くことで、
心の奥にあったものが見えてくる。
書くことで、
体が先に感じていたことに気づく。
書くことで、
自分が何を大切にしているのかがわかる。
書くことが楽しくなるのは、
文章が上手くなるからだけではありません。
書くことで、
自分とつながり直すことができるからです。
楽しい発信は、軽い発信ではない
「楽しく書く」と言うと、
軽く書くことのように聞こえるかもしれません。
深く考えない。
適当に書く。
好きなことだけ書く。
反応を気にしない。
もちろん、
力を抜くことは大切です。
でも、
楽しい発信は、
必ずしも軽い発信という意味ではありません。
むしろ、深いテーマの方が
楽しく書けることがあります。
人生の問い。
心と体のズレ。
休むこと。
習慣。
人に合わせすぎること。
自分に戻ること。
そういうテーマは、
決して軽いものではありません。
でも、
自分の感覚とつながっている時、
書くことには静かな楽しさが生まれます。
言葉が見つかる楽しさ。
自分の中にあったものが形になる楽しさ。
誰かに届くかもしれない楽しさ。
過去の自分に言葉を届けるような楽しさ。
未来の誰かが、
その言葉で少し呼吸を戻すかもしれないという楽しさ。
楽しいというのは、
ただ明るいということではありません。
自分の深いところとつながっている感覚。
無理に作っているのではなく、
自然に言葉が立ち上がってくる感覚。
そういう静かな楽しさもあります。
書くことを、評価から少し離す
発信をしていると、
どうしても反応が気になるかもしれません。
読まれたか。
スキがついたか。
コメントがあったか。
フォローにつながったか。
申し込みにつながったか。
数字は、
発信の状態を知るための一つの材料です。
でも、
数字だけを見ていると、
書くことの喜びが少しずつ削られていってしまいます。
読まれたから良い。
読まれなかったから意味がない。
反応があったから正しい。
反応がなかったから価値がない。
そうやって、
自分の言葉を、数字だけで判断し始めると、
書くことは苦しくなります。
発信は、
読まれるためのものではありますが、
同時に、
自分の中にあるものを、
外に出してみる行為でもあります。
誰かに届く前に、
まず自分がその言葉に触れる。
書きながら、
自分の中が少し整う。
投稿したあとに、
「ああ、今の自分はこういうことを考えていたんだ」とわかる。
その価値は、
数字だけでは測れません。
書くことを、
評価から少し離してあげる。
それだけで、
発信は少し続けやすくなります。
習慣は、楽しさから育つ
習慣というと、
努力や継続力の話になりがちです。
毎日やる。
決めた時間にやる。
やる気がなくてもやる。
淡々と積み重ねる。
それも大切です。
でも、
本当に続いていく習慣には、
どこかに必ず楽しさがあります。
大きな楽しさでなくてもいい。
毎回ワクワクしなくてもいい。
書き始める前は少し重くても、
書いているうちに整ってくる。
投稿したあと、少し呼吸が深くなる。
自分の中にあったものが言葉になって、
少し安心する。
誰かに届いた時、
静かに嬉しい。
昨日の自分と今日の自分が、
文章の中でつながっていく。
そういう小さな楽しさがあると、
発信は続きやすくなります。
習慣は、
苦しみに耐えて作るものではありません。
自分に戻れる感覚があるから、
またそこへ戻りたくなる。
その繰り返しで、
習慣は育っていきます。
毎日すごいことを書かなくていい。
毎日発信していると、
毎日すごいことを書かなければいけない気がすることがあります。
これは、私自身にも確かにあった感覚です。
毎日、深いことを書かなきゃ。
毎日、役に立つことを書かなきゃ。
毎日、読まれる記事を書かなきゃ。
毎日、新しいことを書かなきゃ。
そう思うと、
書くことはすぐに苦しくなってしまいます。
でも、
毎日書くことは、
毎日すごいことを書くことではありません。
毎日、自分の状態に触れること。
毎日、ひとつの感覚を言葉にしてみること。
毎日、今の自分の視点を置いてみること。
毎日、少しだけ自分に戻ること。
それでいいと思っています。
すごい記事を書こうとしなくても、
毎日見ているものは少しずつ違います。
体の状態も違う。
心の揺れも違う。
天気も違う。
読んだ本も違う。
出会った言葉も違う。
誰かとの会話も違う。
昨日は見えなかったことが、
今日は少し見えることもある。
だから、
毎日が違う。それだけですごい。
毎日書くことには意味があります。
大きな発見ではなく、
小さな違いに気づくために書く。
そう考えると、
毎日の発信は少しやわらかくなります。
書くテーマは、暮らしの中にある
書くことが続かない時、
テーマがないと思うことがあります。
でも、
テーマは案外、
暮らしの中にあります。
私は、日々感じたことを
こうやって言葉にしています。
朝起きた時の体の重さ。
雨の日の気分。
サウナでぼーっとした時間。
神社で手を合わせた時に浮かんだこと。
本を読んで引っかかった一文。
誰かと話していて感じた違和感。
仕事の中で見えた小さな構造。
食べすぎた日の気持ち。
予定を詰めすぎた日の疲れ。
休もうとして休まらなかった時間。
ふと楽になった瞬間。
そういうものの中に、
書く種はいくらでもあります。
大事なのは、
最初から記事にしようとしすぎないことです。
まず、気づく。
次に、メモする。
少し置いておく。
後で見返す。
その中から、
今の自分が書けそうなものを選ぶ。
発信は、
日常を記事に変える作業ではありません。
日常の中にある感覚を、
丁寧に受け取っていくことです。
その受け取り方が変わると、
暮らしそのものが少し豊かになります。
書くことが楽しくなると、発信は習慣になる
書くことが楽しくなると、
発信は習慣になります。
それは、
毎日テンション高く書けるという意味ではありません。
いつもすらすら書けるという意味でもありません。
迷う日もある。
重い日もある。
言葉が出ない日もある。
何を書いているのかわからなくなる日もある。
それでも、
書くことが自分に戻る時間になっていると、
また書く場所に戻ってこられます。
発信が義務だけになると、
続けることは苦しくなる。
でも、
発信が自分をととのえる時間になると、
続けることは少しやさしくなる。
書くことで、
自分の状態に気づく。
書くことで、
感覚に輪郭が生まれる。
書くことで、
心と体と思考のズレが見えてくる。
書くことで、
誰かと静かにつながる。
その楽しさを知ると、
発信はただの作業ではなくなります。
小さく書き始める
発信を習慣にしたいなら、
まずは小さく書き始めるのがいいと思います。
いきなり長い記事を書こうとしなくていい。
完璧な構成を作らなくてもいい。
誰かの役に立つ答えを用意しなくてもいい。
今日感じたことを、
一文だけ書いてみる。
体の状態を、
短く言葉にしてみる。
本を読んで残った一文から、
少しだけ考えてみる。
人との会話で感じたことを、
メモしてみる。
自分が今、
何に引っかかっているのかを書いてみる。
小さく書く。
軽く始める。
うまく書こうとしすぎない。
それだけでも、
書くこととの関係は少し変わります。
発信は、
大きく始めるより、
戻ってこられる形で始める方がいい。
続けるためには、
立派な決意より、
戻れる余白が必要です。
書くことは、自分に還る道でもある
私は、
書くことは自分に還る道でもあると思っています。
自分が何を感じているのか。
何に違和感を覚えているのか。
何を大切にしたいのか。
何を手放したいのか。
どんな人に言葉を届けたいのか。
どんな世界観を育てていきたいのか。
書いていると、
そういうものが少しずつ見えてきます。
最初から全部わかっているわけではありません。
書きながらわかっていく。
書きながら整っていく。
書きながら、自分の輪郭が少し見えてくる。
だから、
発信は単なる集客でも、
自己表現でも、
記録でもない。
自分に還るための道でもあります。
もちろん、
読んでくれる人がいることは嬉しいです。
届くことも大切です。
でもその前に、
自分の言葉が、
自分自身を置き去りにしていないか。
そこを大切にしたい。
自分に戻る言葉を書いていくこと。
ととのえるとは、書くこと。
読むだけでもととのうけれど、
書くことでも、ととのう。
誰かのためにの前に、
自分のために書いてみる。
そうすることで、自分とつながり直す。
思考が整い、視野が調う。
そこに、楽しみが生まれ、書くことが習慣になる。
今日の小さな問い
最後に、
書くことについての小さな問いを置いておきます。
最近、何を書くことを重く感じていますか。
書く前に、どんな評価を自分に向けていますか。
本当は、どんなことを言葉にしたいですか。
誰かの役に立つ前に、
自分が気づきたいことは何ですか。
今日の暮らしの中に、
小さな書く種はありましたか。
発信を続けるために、
少し減らせる力みはありますか。
書くことが、
自分に戻る時間になるとしたら、
今日は何を一文だけ書いてみますか。
全部に答えなくていいです。
ひとつだけでいい。
書くことを、
また少しやさしい場所に戻していくために。
書くことが楽しくなると、発信は習慣になる
発信を続けることは、
簡単なことではありません。
でも、
発信を続けることを、
自分に厳しくなるためのものにしなくてもいい。
毎日すごいことを書かなくてもいい。
毎回、役に立つ答えを出さなくてもいい。
きれいにまとまった自分だけを見せなくてもいい。
今日感じたことを、
今日の言葉で置いてみる。
まだ途中の問いを、
そのまま置いてみる。
自分に戻るために、
少し書いてみる。
そこからでいい。
書くことが楽しくなると、
発信は習慣になる。
そして、
発信が習慣になると、
自分の感覚に戻る道が、
日々の中にひとつ増えていきます。
書くことは、
外へ届けることでもあり、
自分へ還ることでもある。
今日も、
急がず、飾りすぎず、
今の自分の言葉を置いていきましょう。
ととのえ職人
五木田穣
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