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漫画家アシスタント物語 古い話で章〈20〉 公園のブランコで利き腕を失う

   
《 写真上:母と同居するために、私が引っ越したマンションの4階廊下より。部屋は75㎡、カミさんと3人の同居生活の始まり。2014年、11月撮影 》
         < この「古い話で章〈19〉」は、文庫本約8ページ分 >

 
 

「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
 
ただし‥‥ 各話が連続していますので、
「古い話で章〈1〉」からお読みいただく方が、よろしいかと思います。
 
はじめての方は、
「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!

 

 
              今度は介護休暇
 
 
「 チェンマイ淡々通信 」の方では、母の葬儀の記事が続きましたが‥‥

この「古い話で章」の方で、偶然にも‥‥ 10年以上前に母と同居を始めた頃の話が、重なってしまいました。

ちょっと、混線した感じですが‥‥

以下の文章がブログ公開されたのは2014年頃ですので‥‥ どうか混乱なさらないように、ご注意ください。

では‥‥ お話は2014年の暮れに戻ります‥‥‥‥
 


まったく情けない話で‥‥‥‥

先日、カミさんがタイへ帰郷したのですが‥‥‥‥

実は、今年に入ってから、彼女の両親の体調が悪く、寝たきりに近い状態になってしまったためです。 そのため、今は母と私、二人きりの生活です。

私も新しい部屋に引っ越して一週間後に母を呼び寄せて同居を始めていたのですが、心身共に弱っている母の世話や、室内の整理に忙殺され、今月は休む暇もない有様でした。

腰痛がすっかり慢性化し、寝不足と筋肉疲労でクタクタになっている上に毎日弱っていく母の世話で鬱状態に立ち至っております。

これまで、なかったのですが‥‥‥‥ 二度連続してブログを休載する事をお許しいただきたいと‥‥‥‥

自分の引っ越しと母の引っ越し( 事実上、私が作業するはめに )、さらに同居する事の負担は、想像を超えたものがあります。

もっとも、呑気な私は気分的に楽観しているのですが‥‥‥‥ どうも自分の精神状態が普通ではなくなっているような‥‥‥‥ 

軽くなめてかかってはマズイかも‥‥‥‥

考える事は、心配事や暗いイメージばかり‥‥‥‥ 

ふと、気付くと‥‥ ジッと何もしないで動かずに一点を見つめている自分に気付いたりするのです‥‥‥‥

次々と陰鬱なイメージにのめり込んで行く‥‥‥‥ これは‥‥ ヤバいかも‥‥‥‥ 


早めに医師に相談するか、思い切って休暇をもらうか‥‥‥‥

駅ビルには、新しい小奇麗なクリニックがあったので‥‥‥‥

その心療内科のエントランスを入り‥‥ 正面の受付へ‥‥

すると、エントランス奥の待合室には、数十人の診察待ちの方々でギッシリ‥‥ その混雑ぶりを見てビックリ‥‥‥‥

受付を訪ねると、二週間先まで予約でいっぱい!

私よりも先に、日本の方がおかしくなっていると、気味が悪くなって、満員電車のような待合室から、早々に退散した事がありました。
 

  ※この後、母は老人ホームへ入ります。そして2年後‥‥
   私のリタイアを契機に一緒にタイへ移住することに‥‥‥‥
 

そんな訳で‥‥‥‥

申し訳ありませんが‥‥‥‥ 今回は、お休みさせていただきます。( スイマセンです )
 
 
とにかく‥‥‥‥
 
次回のブログは心機一転!
 
もう一人の先輩アシスタント氏のお話を始めたいと思っています‥‥‥‥
 
どうか、よろしく!
 
 

 


秋山プロのドア前から撮影した夕暮れ時の風景です。目白通りから椎名町方向を向いています。初冬を迎え、日が沈むと一段と冷えてまいります‥‥‥‥ 2012年12月の写真より

 
               その38

 《 漫画家アシスタントが・・・実は、利き腕を失っていた!? 》

 
長い間お休みさせていただきましたが‥‥‥‥

休むと言うより、雑用に追われっぱなしの毎日が続いてた‥‥‥‥ といった感じでしょうか。

さて、久しぶりにブログの続きを書き始めるというのは、ちょっと不安な部分もありますが‥‥‥‥‥‥

頸椎ヘルニア、腰痛、膝痛、高血圧に鼻炎と早漏‥‥‥‥ ボンヤリと‥‥‥‥ 土管の中か井戸の底にでも居るような気分のままキーボードに向かう事にいたします‥‥‥‥

では‥‥‥‥‥‥‥‥

もうしばらく、秋山プロに勤めていた私の先輩アシスタントの話にお付き合い下さい‥‥‥‥‥‥‥‥
 
 
少年の頃から愛らしい加川さんが、淫猥いんわいな体験( ほとんどカットしましたが )をした話からデビュー後の苦労話まで‥‥‥‥ 続けさせていただいたのですが‥‥‥‥ 

今回からは、ほぼ同時期に秋山プロのスタッフだったウイタさん( 仮名、※参照 )の話を書きたいと思います。

以前、私の取材を嫌っていたけど、私が自分の出身高校の後輩だと知って、仕方なく取材に応じてくれたあの方です。
 
身長が180㎝以上ある長身で細身の体にロングヘアー、クールな感じで鼻筋が通っているのですが、人を寄せ付けない難しい所があるウイタさん。

このウイタさんが秋山プロに在職したのは、1969年( 昭和44年 )から1976年( 昭和51年 )までの7年間。途中で何度か辞めたり戻ったりする放浪タイプの若者でした
 
世相は、自由に反体制、フーテンやヒッピーそして、ロックの時代でしたから、若者の「 家出 」や「 放浪 」がカッコ良かった時代なのです。

ウイタさんは、私が秋山プロへ入る2年前の76年まで勤めていたわけですが‥‥‥‥ いくつもの伝説を残していった秋山プロの名物アシスタントの筆頭でした。
 
今現在は、フリーのアニメーター( 原画制作者 )として活躍されています。
 
ウイタさんが秋山プロに入った1969年‥‥‥‥ 

私がまだ14歳の中学3年生だった頃、悪友から「 〇ックス 」やら「 〇ナニー 」やらを教わって、驚いたりショックを受けたりしていた同じ頃‥‥‥‥ ウイタさんは自分の漫画道を直進していたわけです。

秋山プロ( 当時はまだジョージ先生一人 )に入る頃のウイタさんの漫画道‥‥‥‥ それを書く前に‥‥‥‥ ウイタさんから聞いた子供の頃の話を書いておかなくてはなりません‥‥‥‥‥‥
 
 
1959年( 昭和34年 )、まだ白黒テレビが買えるのはお金持ちだけだった時代‥‥‥‥
 
9歳のウイタさんは、友達と地元( 横浜の鶴見 )の小さな公園で遊んでいました。
 
誰が言い出したのか‥‥‥‥
 
「 ブランコでどこまで飛べるか競争しよう! 」

男の子たちが何人も、一生懸命ブランコをこいで前方へ飛び出しますが‥‥‥‥ 一人の女の子が飛び出した距離に誰も敵わなかったのです。

「 チェッ、女の子なんかに負けてやがる! 」

舌打ちしながら、カッコ良い所を見せようと、ブランコを思いっきりこぎ出したのがウイタ少年でした‥‥‥‥

「 馬鹿だよなぁ‥‥‥‥ ホントに馬鹿だよなぁ‥‥‥‥! 」

苦々しい思いで少年時代を振り返るウイタさん‥‥‥‥。

ブランコを思いっきりこいで、最も高くまで飛んだまでは良かったのですが、飛躍し過ぎて空中でバランスを崩し‥‥‥‥
 
「 ああっ!! 」
 
見ていた子供たちが声を上げた時には、ウイタさんは右腕を下にして上半身から地面に激突していたのです。
 
全体重が腕にかかり、肘を骨折して神経を断裂してしまいます。
 
近所の町医者から大きな病院へ移送されますが、切れた神経を元に戻す事は出来ません。
 
利き腕だった右腕の自由は永久に失われました。
 
手の神経には、開く神経と閉じる神経があるそうですが‥‥‥‥‥‥ ウイタさんは、開く神経を失ったために、握った手を開く事が出来なくなってしまったのです。
 
9歳で右腕が使えなくなったウイタさんに、医師はこう告げました‥‥‥‥
 
「 左手の神経を移植すれば、右腕の機能を少しだけど回復できるけど‥‥ 左手の機能が落ちてしまう‥‥ どうするね、手術するかね? 」
 
右手を失うか、両腕の機能を中途半端に失うか‥‥ そのどちらかを選択するように、9歳の少年に求めたのです‥‥‥‥‥‥

  
  
 
  
 
     「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈21〉」へつづく・・・・
                 「古い話で章〈19〉」へもどる‥‥
                        「もくじ」 へ‥‥
 
 

 
 
 
~~~ 参照  古い話で章〈20〉~~~( 読んでも、読まなくても!)

 【その38】
・ウイタさん : 1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、転職、新宿放浪をしながら秋山プロへ入る。ジョージ秋山の一番弟子。現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。

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