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漫画家アシスタント物語 古い話で章〈21〉 高校中退してドロップアウト!

 
《写真上:元漫画家アシスタントのウイタさんが暮らす西武池袋沿線の或る街の風景。中央のレストランで取材させてもらいました。2014年頃撮影 》
         < この「古い話で章〈21〉」は、文庫本約10ページ分 >

 
 

「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
 
ただし‥‥ 各話が連続していますので、
「古い話で章〈1〉」からお読みいただく方が、よろしいかと思います。
 
はじめての方は、
「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!

 
               その39

  《 漫画家アシスタントが・・・少年の決断に絶句する!? 》


医師から片腕の機能を失うか、手術して両腕の機能を半分づつ失うか‥‥ どちらが良いか質問された時に‥‥‥‥
 
「 嫌です‥‥ 手術するのは絶対に嫌です! 」
 
冷静に当時を語るウイタさんは、キッパリと‥‥‥‥

「 僕はハッキリと断ったよ 」

「 9歳の子供が‥‥ ですか‥‥? 」

「 断ったよ、自分は左腕だけでいい、もう手術は止めてくれってハッキリ、先生にも親にも言ったよ 」
 
ウイタさんは、絶句している私から視線を外し、どこか遠くを見つめるような目で‥‥‥‥

「 もし、あの時に手術をしていたら、絵なんて描けてなかったかも知れない‥‥‥‥ 」
 
利き腕を失うか、両腕を中途半端に失うか‥‥‥‥ そんな過酷な選択を躊躇ちゅうちょなくキッパリと決断したウイタさんは、長い病院生活の中で必死(?)に左腕を利き腕にするための訓練を始めます‥‥‥‥‥‥

大人になってからだったら無理だったかもしれない事も、子供だったから達成できたのかも知れません‥‥‥‥

最初はスプーンやお箸を左手で使う事から始め、徐々に慣らしていったのです‥‥‥‥ 入退院や骨の手術など1年間はろくに学校へ行かれませんでしたが、それがかえってリハビリには良い結果を生みました。
 
結局、ウイタさんは、1年ほどで利き腕を左手に代える事が出来きました。
 
「 きっと、大変だったのではないかと思いますが‥‥ 」
 
「 いや‥‥ それほど苦労した記憶がないんだよね‥‥ 」
 
「 ‥‥苦労してない? 」
 
「 そう、子供だったからね‥‥ それが良かったんだと思う 」
 
大人だったら落ち込んでしまうのに、子供だったから常に前向きにトレーニングし続けた事、それが良い結果に結びついたのではないか‥‥‥‥ ウイタさんは、ケガをした時や、病院での事などを語りながら‥‥‥‥

「 馬鹿だったんだよなぁ‥‥‥‥ ホントに! 」
 
‥‥と、苦笑いする。
 
ちなみに、繰り返しますが‥‥ 現在、ウイタさんは本当にフリーのアニメーターとして活躍しています!
 
 
時は経って‥‥‥‥ 子供の頃から漫画が大好きだったウイタさんが密かに漫画家に成る事を夢見るようになっていました‥‥‥‥‥‥
 
ウイタさんが高校へ入学したのが1968年、日本では反戦運動や反体制、大学解体、ヒッピーとロック文化が社会を席巻していました。
 
もっとも日本が革命前夜にあったわけではなく、大多数の若者が時代の流行に呑まれていただけで、簡単に言ってしまえば「熱病」にかかっていたようなものだったのかも知れません。
 
実は、ウイタさんが入った高校は、偶然にも3年後に私が通う事になる目黒のK高等学校でした。
 
元々は海軍の士官学校で伝統や古式を重んじる陰気な学校‥‥‥‥ 変革や解放といった時代の流れとは無縁なカビ臭い校風‥‥‥‥ そんな古いだけの学校にウイタさんが馴染むはずもなかったのです‥‥‥‥

ウイタさんの父親は〇京電力に勤める律儀な人でした、当然、地道な生き方をウイタさんへも期待したに違いありませんが‥‥‥‥
 
しかし、ウイタさんは、密かにドロップアウト( レールをはずれて自由に放浪する )して漫画家への道を歩もうと企んでいました。
 
ウイタさんだけではなく、当時は多くの若者が何かを求めて新宿を彷徨っていたのです。
 
或る者はゲバ棒を持ち、或る者はドラッグを吸い、或る者は全身で舞い、或る者はギターを持って歌い、そして、ある者は街角で詩を売りました。
 
ウイタさんが最も影響を受けた漫画作品「 フーテン 」( 永島慎二作・まんだらけ出版部 )には、一編の詩が載っています。
 
その一部を引用させていただきたいと思います‥‥‥‥
 
「 フーテンをすすめるうた 」より
 
まず、親をうらぎれ
つぎにきょうだいもあったら うらぎれ
いまきみが 中学生だったら 勉強を投げだせ
高校生なら 学校をやめてしまえ
 
 ( 中略 )
 
金を盗め 友情を盗め 女を盗め
元気のないやつは ふんづけていけ
そして傷つけ 血を流せ
その血を 大地に吸わせることこそ
愛なのだ
 
 ( 後略 )
 
当時は面白かったこの詩も、今読むと「 乱暴 」とか「 無謀 」とか感じたり、または「 幼く 」感じたりするやも知れませんが‥‥‥‥

こうした時代の風潮に多くの若者が影響を受けていました。( ホント、当時は「 これが 」カッコ良かったのです )

ウイタさんも‥‥‥‥‥‥

『 毎日、同じ事の繰り返しなんて我慢できない! 』
 
入学したK高校を翌年、退学してしまいます。
 
ちなみに、私はこのK高校をちゃんと卒業しておりますのです、はい。

 
 
 


豊島区南長崎にある子育地蔵尊の裏側です。画面左が地蔵尊の屋根、右の白い建物が落合電話局、画面中央奥が『トキワ荘』や私が暮らしたボロアパートのあった辺り。拙ブログ読者のふじもんさんのコメントによると、この『旧落合電話局』も取り壊されるそうです‥‥ 2014年5月撮影

 
               その40

 《 漫画家アシスタントが・・・親に心配ばかりかけていた!? 》

 
子供の頃から漫画が好きで、中学から高校へ通う頃には漫画家を目指している‥‥‥‥

そんな人は珍しくもない昨今ですが‥‥‥‥ だからと言って高校を中退してしまう人は少ないかと思います。

秋山プロアシスタントの先輩であり、高等学校の先輩でもあるウイタさんが二年生になってすぐ中退してしまうのですが‥‥‥‥

1970年前後は、まだ「 まんが道 」は単なる「 道楽 」でしかありませんでしたので、簡単には両親を説得出来ません‥‥‥‥

そこで‥‥‥‥ 何度か家出を繰り返し‥‥‥‥ かなり強引ではありますが、両親に退学の許しをもらったそうです。

ちなみに、ウイタさんが家出中に両親は新宿を探し回り‥‥ あの有名な漫画喫茶の「 コボタン 」( 当時の漫画ファンの聖地 )へも探しに行ったそうです。

心配する両親をよそに、家出した本人は、新宿の街の中を呑気に蝶のようにフワフワと飛び回る‥‥‥‥

そんな「 自由 」や「 放浪 」をカッコイイ事だと思える時代の風潮も後押しして、ウイタさんの「 漫画道 」がスタートします。

元々、ウイタさんにとっては、目黒の高校は滑り止めの二流三流校、最初から学業に興味なんてありませんから、なんの未練もありません。
 
学校の先生や友人に相談する事もなく、別れや新しい人生の門出を祝う事もなく、引き留められる事もなく‥‥‥‥ 淡々と漫画家に成ることだけ考えていたのです。
 
実は、私も高校の時に一度、美術志向の友人と一緒にデザイン専門学校へ転校しようと考えた事があるのですが、その時には担任の教員から「高校だけは出ておいた方が良い」と慰留されたものでしたが、ウイタさんの担任教員は、「 あ、そ~ 」という返事だけ、あっさりしたものだったそうです。
 
最後の授業に向かう日‥‥‥‥ といっても勉強するというよりも私物を整理しに行くだけですが‥‥‥‥ 学校近くの東急目蒲線の某駅を降りようとした時でした‥‥‥‥

定期券と一緒にうっかりキセル乗車( 違法切符 )した時の切符を駅員に出してしまう失敗から、駅長室へ連行されてしまいます。
 
よりにもよって、最後の登校日なのに‥‥‥‥
 
駅長室で説教されるだけでは済まず、罰金を支払う羽目になるのですが‥‥‥‥
 
担当した若い駅員は、今日で退学するウイタさんの話を親切に聞いてくれた後で‥‥‥‥

「 高校ぐらいは出ておいた方が良いんじゃないか‥‥? 」

「 でも‥‥‥‥‥ 」

「 もし、学校を辞めないでいるなら、今回の事は見逃してもいいよ 」

「 はぁ‥‥‥‥ 」

「 違法行為には目をつぶるから、高校だけは出ておけよ! 」

「 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 」

そう、真剣に説得してくれたのですが‥‥‥‥‥‥ 

ウイタさんは、高校を辞める決意を変更するつもりはありませんでした‥‥‥‥ 当然、罰金を支払う事になります。
 
高校生活の最後の日に、酷い思い出が出来たものですが‥‥‥‥ ウイタさんにすれば、友人も先生も、自分が学校を辞める時にはあっさりしたものだったそうで‥‥‥‥ この時の駅員さんの方が、より温かい印象として記憶に残ったのです。
 
 
高校を中退した当時は、漫画家に成る事しか頭になかったのですが‥‥‥‥ 願望だけで漫画家に成れるほど世の中、甘くはありません。
 
結局、1年ほどは親のやっかいになりながらチョコチョコと漫画を描くのですが‥‥‥‥ それから先の見通しが立ちません。

心配した両親( ホントにウイタさんの両親は心配しっぱなしです )は、デザインなどの専門学校へ通う事を勧めたりします。
 
この頃、放浪癖のせいなのか‥‥‥‥ 両親との生活に息苦しさを感じていたのか‥‥‥‥ 数回、家出を繰り返しますが、すぐに家に戻って行ったそうです。( すぐに寂しくなっちゃうんですね )

そんな頃、17歳のウイタさんは、ジョージ先生の門をくぐる事になるのですが‥‥‥‥ その時にも、家出中でした。

それにしても‥‥‥‥ 家出したり、新宿の街を放浪したり、親に心配ばかりかけてしまう‥‥‥‥ しょ~~もない話ですが‥‥‥‥‥‥

考えてみると、私も高校生の頃は、家出まがいの事をしていたし、なんの目算や経済力もないのに、イ~加減な事をやっていました。
 
‥‥‥‥似たような高校( 無責任 )時代だったようにも思われます。
 

  
  
 
  
     「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈22〉」へつづく・・・・
                 「古い話で章〈20〉」へもどる‥‥
                        「もくじ」 へ‥‥
 
 
 
 
 
 
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